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隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

コンテンツを楽しむことに躊躇してはいけない

お金的にも、精神的にも!


コンテンツは水物だ。楽しめるその時に、全力で楽しまないと損。
そんなことは分かっているつもりだったけれども、忙しさとかそういうのを言い訳にしていた気がする。「いやー、忙しいからさ、なかなかできないんだよねー」と。

ただ、やっぱり、コンテンツはすごい力を持っている。すごいものを見たら、その後、ずっとボーッとしてしまうくらいコンテンツの力はすごい、何をするにも手がつかず、お酒を飲みながら無心に漫画を読んでしまうぐらい、コンテンツの力はすごい、力強い。

今日は、ぷよぷよテトリスというゲームの、有志が開催している大会の上級者同士の対戦を、Twitchで見ていましたが、内容が熱くて、興奮して、最後まで見て、そしてほわーとなっていました。すごいな、と。コンテンツの力はすごいな、と。ぷよぷよはやっぱり面白いなと思いましたし、ぷよぷよというものに対してここまで上手くなれるんだという尊敬の念が改めて出てきたし、何より熱い試合で、こんな面白い試合を無料で見れるなんてすごい時代になったなぁと。

ずっとPS4の購入をなぜか躊躇していましたが、やっぱり買うことにしました。今買わなきゃだめだなぁ、楽しめる時に買わなきゃダメだなぁ、と。自分はゲームはあまりやらないのですが、ハードをなんだかんだ買ってたりします。買うときはは大体、好きなゲーム・やりたいゲームが出てくる時です。思えば、PS2は、ぷよぷよフィーバーがやりたくて買ったのでした。PS3は、true tearsのBD BOX発売に合わせて、BD再生機として買いました。PS VITAは、絶対絶望少女を買うために。そして今、PS4は、ぷよぷよテトリスをやりたくて。

買わないで後悔するより、買ってコンテンツを楽しむことが何より素晴らしいことなんだろうなと改めて気付きました。ありがとうぷよぷよ

2015年の自分が選ぶ、TVアニメの楽しみ方10軸

あけましておめでとうございます。そして、ご無沙汰しております。


さて皆様は、以下の企画をご存じでしょうか。
「話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選」参加サイト一覧: 新米小僧の見習日記
アニメのブログの界隈ではそれなりに恒例となっている、話数単位選と呼ばれる、その年に放送されたアニメの中から話数単位で10本上げてみようという企画です。

ルール
・2015年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


この企画に対して個人的には、10本も選ぶんだからそりゃまぁそれなりに見て選出していないと、記事を読んでもらった人に失礼だよなぁとか思ってしまいます。

そんな私が2015年にきちんとすべての話数を見たアニメは以下の2つしかありません。

2つのアニメはどちらも非常に面白く、やはりアニメは面白いなと噛み締めながら見ていた作品です。この2つについては多分そこらの人より語れます。とはいえ、年間の話数という単位で薄めると、途端脆くなります。先ほども述べたように、10選出はそれなりに幅を求めるし求められていると私は思うからです。

ただ、この話数単位選を始めとして、OP選やED選など選出系の企画はすごく好きです。過去に書いた記事は以下です。


どこかで関わっていたいと思う気持ちが強く、どうにかならないもんかと頭を捻ってみたところ幾つかの案は出てきました。本記事はその1つ目となります。
何をするのかというと、この記事では2015年の自分を持ってして、「どんな軸でアニメを見るのか」を10選してみよう、と思いました。10選10軸。私が深夜アニメに本格的に傾倒したのが2004年から2005年にかけてなのでちょうど10年という節目でもあります。


アニメとは人それぞれ楽しみ方が違うものであって、人がどうこう言おうが、全くどうでもいいわけなんです。わけなんですが、質がどうなのかは置いておいて、このアニメ供給過多の時代、コンテンツ供給過多の時代、はたしてアニメの楽しみ方は自由なのだろうかと思うこともあります。
オタク趣味自体がカジュアルに捉えられ、追っかけていないとクラスの友達から疎遠になってしまう対象がテレビ番組だけでなくネットのコンテンツにも広がっています。そんな中、本当に楽しい、「自分にあった」面白いコンテンツに出会う方法とは何なのでしょうか。
誰もがオタク差別、隠れオタクがまだ残っていたような時代からの濃ゆいオタクではありません。私の弟が時々聞いてきます。「面白い○○って何かない?」と。思わず「そんなん自分で調べろよ」と言いたくなります。でも違うんです。情報が溢れてしまっている現代、自分の「本当の面白いもの」を見つけること、さらにもっともっと面白いものを見つけられ続けることは結構大変なんです。
世のコンテンツプロバイダーには、もっとポータルの立ち位置を強めて欲しいと思います。「そこに行けば、何か面白いものがある」という強いポータルになってほしいです。


さて長々とした前段となりましたが、要するに、アニメにはこんな見方もあるんだ、って思ってもらえたら幸いです。楽しみ方は誰にも邪魔をさせない。

第1軸「萌え」

萌えとは、最も分かりやすくあり分かりにくくもある概念です。アニメにおいて「萌え」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、萌えを感じるアニメしか見ない、ということになります。

属性(例えば妹とか)とは少し違います。属性よりも幅は広いです。広いがゆえに、節操がなくなります。とは言いつつも、1クール放送されれば少なくない数の萌え萌えしい作品が放送されることになりますから、それを片っ端から見るのです。なぜなら可愛いからで、可愛いと萌えるからです。そしてニヤニヤできますし、安心できます、いろいろと。安心できるのです。心は疲れません。常に癒され、ほわ〜となります。
2chで可愛い画像を集めまくります、Pixivで集めまくります、同人誌を手に入れまくります……ここまでワンセット。萌えをとにかく享受して体を潤い続けさせるのです。これが「萌え」を軸にしたアニメへの接し方です。私も萌えヲタです。

具体例:ローゼンメイデン

第2軸「妹」

妹とは、最も分かりやすくあり分かりにくくもある概念です。アニメにおいて「妹」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、可愛い妹が出ているアニメは全部見る、ということになります。

新番組の番宣で妹っぽいキャラが見えたら「おおおおおおおおおおおおおおおお」「今のは多分妹キャラ。このアニメは来期のトップやな」「妹キャラが居るから勝つる」とつぶやきます。
また、新番組時期になったら、アニメのキャラクター紹介を片っ端から開いて妹キャラが居ないか確認します。血縁関係があるかどうかもきちんと確認します。義理の妹も、もちろん妹ではありますが、実妹をより高尚なものとして取り扱います。

そして、アニメが始まったら、とにかく妹に注目します。一挙手一投足に注目します。すると、妹を起点として各キャラクターの様々の心情が見え隠れします。妹以外も見ていいですが、妹を中心に見ることを忘れないようにしましょう。妹は活力をくれます。これが「妹」を軸にしたアニメへの接し方です。妹はいいですよね。

具体例:お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ

第3軸「エロ」

エロとは、最も分かりやすい概念です。アニメにおいて「エロ」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、エロを感じよ、ということになります。

可愛さとはまた違う、エロさ。パンモロのような露骨なエロもあればパンチラのような匂わせるエロもある。夜這いするかのようなドキドキなシチュエーションもアレば、ラッキースケベのような突発的なシチュエーションもあります。
乳首券が発行されなくても泣かないし、DVDで光規制が解禁でも文句を言ってはいけません。なぜなら私たちは紳士だからです。アニメには真摯に付き合わなければなりません、それがエロとなればなおさらです。

「エロそうだなー……」って思って、見始めるの全然OKです。周りから「ありえないわー」とか言われてもそんなの関係ありません。エロいって思って、見て、エロかったらすごく楽しいし嬉しいじゃないですか。だから、見たほうがいいじゃないですか、真理じゃないですか。これが「エロ」を軸にしたアニメへの接し方です。エロは活力ですよね。

具体例:聖痕のクェイサー

第4軸「ネタ」

ネタとは、最も分かりやすくあり分かりにくくもある概念です。アニメにおいて「ネタ」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、ネタをネタとして楽しむ、ということになります。

泣けるアニメ、硬いアニメ、アイドルアニメ……疲れませんか? そりゃそういうアニメもあることは知っているけど、そんなんばっかり堅苦しいって思いません? やれ「アイドルがいい」、やれ「これは泣ける」とかアホかと……違うだろうと。「おい、30分間丸々パンを焼くアニメがあるんだぜ」「霧谷の心剣がなんと、マシンガンになった。剣なのに……」とか、普通じゃないぜ。ふつうじゃないものがアニメにはある。そういうものに出会いたいから私たちはアニメを見ていたのではないのか?

馬鹿にしているんじゃない、精一杯馬鹿になりながら一緒に笑ってるんだ。ネタアニメはこれだからやめられない。これが「ネタ」を軸にしたアニメへの接し方です。ネタと思ったものがネタ。

具体例:シャイニング・ハーツ 〜幸せのパン〜

第5軸「ラブコメ

ブコメとは、最も分かりやすい概念です。アニメにおいて「ラブコメ」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、ああああああああああああああ、ということになります。

ブコメとは、もうどうしようもなくいたたまれなく、その場にいたらこっちまで悶え苦しんでしまうような甘々で苦々なシチュエーションが繰り広げられるわけです。幼なじみ、転校生、学校のアイドル、もう一人の幼なじみ、学校……ほらもう、ラブコメです。
きっと苦しくなるでしょう。ラブコメは甘くもあり苦いので、早々楽にはさせてくれませんよ。あなたが愛しているキャラクターが幸せになれるとは限りませんよ。いいんです、それでも見るしか無いんです。なぜならその一瞬、刹那、「ああああああああああああああああ」ってなるからです。ラブコメは真理。
これが「ラブコメ」を軸にしたアニメへの接し方です。八雲は天使。

具体例:スクールランブル

第6軸「ギャグ」

ギャグとは、最も分かりやすい概念です。アニメにおいて「ギャグ」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、とにかく笑う、ということになります。

本気でやっているギャグも良いし、バカバカしいギャグもいいし、シュールなギャグもいいし……とにかく笑いましょう。笑えるのがギャグのいいところ。笑ってもいいんです、手加減なく笑うことが許されているのです。

なんていうんですかね……笑顔にさせてくれるんですギャグは。あぁ、面白い、と。エロや萌えとも違って、心の底から声を出して、笑わせてくれるのがギャグアニメです。実況ともすごく合いますよ。「ちょwwwwww」って打ち放題。
笑顔に笑顔に。これが「ギャグ」を軸にしたアニメへの接し方です。だけど通してギャグだと腹が痛い。

具体例:這いよれ! ニャル子さん

第7軸「女児向け」

女児向けとは、最も分かりやすくあり分かりにくくもある概念です。アニメにおいて「女児向け」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、童心に返ろう、ということになります。

プリキュアアイカツ、プリリズ、プリパラ……勧善懲悪なストーリーを気楽に楽しみましょう。「脚本がー」「ストーリーがー」「論理的な根拠がー」とか言う奴が現れますが相手にしてはなりません。彼らは別の時間軸に生きているのに、私達の軸に干渉してくる悪い奴らなのです。

「頑張れ、ぷりきゅあー」「いちごちゃんになりたい」「リズム!」「かしこまっ」……童心に返ってみんなで応援するんです。かわいいは正義だし、戦う姿は熱いし、踊りはアイカツだし……そりゃ元気にもなるわってもんです。
たかが女児向けアニメ、されど女児向けアニメ。侮るなかれ。子供の心を動かすのは難しいです。これが「女児向け」を軸にしたアニメへの接し方です。アイカツ! アイカツ!

具体例:アイカツ

第8軸「アニメーション制作」

アニメーション制作とは、最も分かりやすい概念です。アニメにおいて「アニメーション制作」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、信頼、ということになります。

アニメはアニメで楽しむべき……そりゃそうです。加えて、自分が楽しめるさらなる軸があるならば、より一層楽しめます。「楽しめる軸」となぜ言えるかといえば、それはその作品を心の底から楽しめたからです。次もすごいものを創ってくれるに違いないという信頼。これがとても重要。クリエーターへの信頼です。

継続した面白い作品を作ってくれるアニメーション制作会社を見つけたらもうこっちのもの。それだけで楽しむ軸ができてしまいました。期待しつつ、応援しつつ、見守ることは本当に楽しい。次はどんなことをやってくれるんだろうとワクワクさせてくれます。これが「アニメーション制作」を軸にしたアニメへの接し方です。ぱにぽにだっしゅ! は神アニメ。

具体例:ufotable

第9軸「オリジナルアニメ」

オリジナルアニメとは、最も分かりやすい概念です。アニメにおいて「オリジナルアニメ」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、何が起こるかわからない、ということになります。

商業的には、オリジナルアニメは怖い。できれば、実績のある原作を持ってきて原作付きアニメとして展開したい、メディアミックスしたい! ……でも? オリジナルアニメは爆発力を持っている。
何が起きるかわからないあのワクワクは何ものにも変えられません。来週の放送が始まるまで来週のストーリーは分かりません……これがどんなにワクワク感を生み出すのか。漫画に引きがあるように、アニメにだって引きがあります。予想、考察……誰も答えを知らない中で、ネット上に様々の言説が飛び交う時期はもう、脳汁が出まくりです。ネットという集合知でさえ最後の結末は明かせない。

オリジナル is 一つの心理。原作付きアニメに飽きてきたら、萌アニメにもしも飽きてきたら……オリジナルアニメに傾倒してみましょう。これが「オリジナルアニメ」を軸にしたアニメへの接し方です。Cの2期、はよ。

具体例:C

第10軸「キャラクター」

キャラクターとは、最も分かりやすい概念です。アニメにおいて「キャラクター」で見るとはどういうことでしょうか。それはとても簡単で、天使に出会ったような……、ということになります。

アニメはキャラクターが9割……なんて私は割りと本気で思っていたりします。それだけキャラクターが私達に与える衝撃は大きいのです。ストーリー? そんなものは後からついてくる。道を歩いていたら突然ぶつかって、前を見たら光り輝く眩い天使が手を差し伸べていたら……これが天命か……ってなるわけです。

雷にでも打たれたような……あぁ、私は、この子と出会うために生まれてきたんだなって素直に思えるそんなキャラクター……出会ってしまったらもう引き返せない。引き返させてくれない。

これが「キャラクター」を軸にしたアニメへの接し方です。いちごちゃん、大好きです。乃絵は、天使でした……。

具体例: true tears

終わりに

10軸! なんて言ってますがアニメの見方は10で収まるものでもないですし、人に指図されるようなものでもありません。小難しいことは置いておいて、アニメって多様な見方があるなぁと改めて思ったりしたのでした。

2016年、アニメは殆ど見れないかもしれませんが、アニメを好きだという気持ちはきっと変わらないだろうという自信があります。アニメだけでなく、オタク趣味全般において、自信があります。
とは言え、そればかりに時間を割けなくなってきたのも事実です。限られた時間の中で、やること、やりたいことが多すぎます。でもそれって、もしかしたら昔から変わらないことなのかもしれません。やりたいことは無限にあるけれども、やる時間は限られている。後はそれをどう捉えるかの違いだけ。

2016年も、積極的にネットで活動できるかは分かりませんが、よろしくお願いいたします。

アニメを見るのには前提知識はいらない。アニメの楽しみ方を他人に押し付けないで

アニメ見るのにも前提知識が必要って何だかなぁ

アニメ見るために芸術的かつ社会的かつ文化的かつミリタリー的なきょーよーが必要ってどんだけだよ

それはまだましだとすら思う。なぜなら、そのアニメの考察をするためにはもしかしたら必要なことかもしれないから。アニメに対して、アニメの物語を読み解くために、そういった知識は不可欠ではないけれども、きっと意味はあると思う。それをやるかどうかは勝手だけれども。


だから、アニメを見るために、アニメを楽しむために、アニメを考察するために、芸術的かつ社会的かつ文化的かつミリタリー的なきょーよーが不要だと、それが一方的に正しいのだと言うのはやめてほしい。アニメの楽しみ方を他人に押し付けないで欲しい。単純に、あなたが、そういうコミュニティに属していて、それに不満を持っているだけなのに、それを一般化して、押し付けるのはやめてほしい。


アニメなんて何も知らなくても楽しめる。制作会社がどこだ声優が誰だ監督が演出が……そんなものいらない。歴史やら経済やら知らなくたっていい。
能登麻美子さんの能の字を知らなくてもスクールランブルを楽しめたように、歴史を知らなくても境界線上のホライゾンを楽しめたように、経済を知らなくてもCを楽しめたように。
アニメの楽しみ方と、自分が気に入らないこととを混同しないでほしい。

アニメ『おそ松さん』第1話の未収録問題に関連して

「おそ松さん」第1話の未収録問題を語る上で、知っておきたい作品まとめ - karimikarimi

上記記事を読みまして、すぐに思い出した作品は『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』(以下、まなび)でした。
ご存じの方も多いと思いますが簡単に説明しすと、まなびのオープニングでは、まなびを始めとする主人公5人が自分たちの通っている高校の校舎やグラウンドに、スプレーで落書き(スタッフ名など、いわゆるクレジットの内容)をして回るという演出がなされています。この演出に対してBPOから苦情が入り、第7話のオープニングからは彼女らがスプレーで書いた文字は書いたそばから「消える」演出に変更されました。7話より前は、落書きのクレジットは消えず、残ったままの表現方法だったのです。
詳細は『まなびストレート!』イッキ見オールナイト トークショー簡易レポート - 隠れてていいよ という記事で書きましたので譲りますが、ufotable代表取締役である近藤さんらが某局に呼び出しされて、結果としては修正を余儀なくされたという顛末でした。そして悲しいことに、DVD及びその後発売されたブルーレイボックスでは修正後のオープニングのみが収録され、修正前のオープニングはお蔵入りになってしまいました。私は当時の録画を誤って消してしまっており、今でも深く後悔しています。
ちなみに、まなびストレート!という作品は名作も名作なので、見てください。是非に。『まなびストレート!』関連記事一覧 - 隠れてていいよ なんてものもありますので、こちらもよろしければどうぞ。強い使命感を持って見てください。大事なことなので二回言いました。


未収録とは反対に、テレビ放送そのまま全く修正が入らずパッケージ化された作品もあります。それは2006年に放送されていた『MUSASHI -GUN道-』というアニメ。ヤシガニの再来、ヤシガニを超えたと当時揶揄……いやネタにされていた作品で、なんというかもう説明不要のものでした。未修正版で発売というニュースが出たときは公式が本当にそれをやるのかと目を疑ったものです。
MUSASHI-GUN道-とは (ムサシガンドウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
ヤシガニアニメ/ ヤシガニ屠る/ 同人用語の基礎知識


アニメは、クリエーターが魂を削って創った作品なのだから、修正や未収録というのはかなりセンシティブに扱われるべき問題だと私は考えています。同時に、慈善事業ではないため、関係各所への配慮も必要になってくることも理解できます。
製作委員会の判断でということですがアニメのクレジットからは製作委員会の内訳がわからなかったので、本作品の企画・プロデューサーを調べていると以下の記事にあたりました。おそ松さん : アニメ製作委員会によりますと以下の様な感じらしい。

企画
安藤隆 :大一商会
上田憲伯:ぴえろ
廣部琢之:テレビ東京
勝股英夫:エイベックス・ピクチャーズ
山西太平:電通
中村直樹:AT-X

プロデューサー
尾崎茂樹:大一商会
松井将司:ぴえろ
土方真 :テレビ東京
飯泉朝一:エイベックス・ピクチャーズ
原裕和 :電通
桑原正人:フジオ・プロダクション
南寛将 :AT-X

ソースはどこなんだろうと悩みつつも、もう一度オープニングをよくよく見てみるとちゃんと上記の記載がありました(【ニコニコ動画】おそ松さん 第1話「復活!おそ松くん」)。
過度なパロディが起因して最終的に未収録に至ったことは間違いないとは思うのですが、多分、実情はもっと複雑なんだろうなと思います。

ニコニコ動画では「2015年11月12日 0時」を持って1話が配信停止になるそうなので、まだ見ていない方で興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。見た上で、1話の表現が果たして未収録になるほどのものなのかご自身で判断されるのが一番良いと思います。
個人的には、こういったパロディはこれまでも多かれ少なかれ多くのアニメでも行われてきたものだという認識で未収録になるほどのものなのかとは思いますが、おそ松さんというブランドが加味されたことでややこしくなったことは容易に想像できます。

終わりに

まだ1話しか見れていないので、2話以降も頑張ってみたいと考えています。アニメに関する表現規制の問題は結構いろいろとあるので、時間があればまとめたいなぁと思う次第です。

どこか遠くのように感じようとしてしまう

年齢を重ねるにつれて、物心ついてから肌感覚で接した人の訃報を聞くことが多くなりました。とても辛い。目をそらしてしまう。はてなブックマークの人気エントリに上がってきて、目に入ると、一瞬目を見開いて、そのままスクロールさせてしまいます。
そこに人の死が横たわっているのですが、まともに見てしまうと、いろいろとやられてしまう。ぐっとぐっと、こうなんていうか、胸を押し付ける感覚が押し寄せるのが分かってしまうので、見ないようにしてしまう。悲しむ前にまず、悲しむことを避けようとしてしまう。

もう会えない、もう聞けない、もう見れない……それが辛すぎる。辛いなぁ……なんだろうなぁ。




覚えてていいよ(KOTOKO

今は 思いきり凹んでいいよ
自然と元気になれるまで 気長に待っているから
無理矢理に笑顔作らなくっていいよ
たまには 振り返っていいよ
気がすむまで、ずっと ずっと
覚えてていいよ

だけど椎名ましろはよっぽど人間らしい

椎名ましろが怖い。絵に打ち込むほど少女は人では無くなっていくようだ(さくら荘のペットな彼女) - おすすめを猫箱に

上記記事に直接言及するわけではないのですが、なんとなく感じたことがあったので。


そもそも私は『さくら荘のペットな彼女』についてはアニメのみで、且つ途中で視聴中断してしまったので言及する立場に無いのかもしれませんが2012年の話数単位選でも選んだ第3話に感銘を受けたことは事実なので、主にその時の感情を再度整理してみたいと思います。
『さくら荘のペットな彼女』3話 よほど誠実に生きていたのはましろだったのだ


本作品は、才能がない主人公が才能がある奴らの巣窟で、もがき苦しみながら成長していく話だと記憶しています。その中でも、椎名ましろというヒロインは特に才能があるという設定で、同時に、誤解を恐れず言うと「頭のおかしい」キャラクターです。
最初に紹介した記事から引用させてもらえれば

彼女の絵はとんでもなく巧いものの、しかしそのせいなのか一般常識から生活能力に関わる全てが欠落していた。コンビニに行けば陳列棚の商品を金銭を払わずむさぼり食い「貨幣経済」について全く教わったことがなさそうな素振りであるし、服の着替え、入浴、髪を乾かす事……そういった些事も一人ではこなせなくいつも神田空太に面倒を見ていもらっていた。
まさしくタイトル通り「ペット」なのである。手助けが必要な少女であり、周りの人間が意識的に「介護」してやらねばと思わせるほどに椎名ましろは一人では生きていけない。

椎名ましろが怖い。絵に打ち込むほど少女は人では無くなっていくようだ(さくら荘のペットな彼女) - おすすめを猫箱に

のように、いろいろと破綻しているのです。
しかし、悔しいのは、ましろは誠実に生きていることです。「こういうことをやりたい」と思ったことに真っ直ぐで、努力を惜しまず、誠実なのです。多くの才能を持たない人が口にする言い訳など無く、とにかく行動します。漫画家になるために、寝る間も惜しんで書きまくります。
本能を持っている。やろうとしていることに対して真っ直ぐなのである。

上記第3話の記事内でも特に取り上げた、ラブホテルの取材に関連したシーンの会話は今でも私の心を捉えて離しません。3話は椎名ましろと、さくら荘に住んでいる三鷹仁がラブホテルに行くお話で、ましろに好意を抱く主人公と、三鷹仁に好意を抱く上井草美咲が「なんで! どうして!」と勘違いする……シチュエーション的にはベタなお話。ベタと書いている通り、これはましろが漫画の取材のためにお願いしたという話です。

「待て待て、分かってんのかこの状況。ラブホに、男と女だぞ」
「分かってるわ。今日はここに泊まるのよ。」
「おまえな、全然わかってないだろ。いいか、椎名、おまえはもっとよく考えて行動しろ。こんな場所に男と来て何かあったらどうする気だよ」
「意味ないわ」
「あ?」
「考えても。私は取材に来たもの。これは書くために必要なことよ。だから私はここへ来たの。」
「へ…?」
「空太は。空太はどうしてここにいるの?」
「どうしてって……」
「忙しいって言ってたのに。猫の飼い主、見つかったの?」
「見つかってない。」
「なら、どうして? わかってないのは、空太の方ね。 さよなら」

アニメ『さくら荘のペットな彼女』第3話「近すぎて遠い…」より

会話が、状況が、声が、映像が蘇ってきて胸が締め付けられます。
端的に言えばましろは、自分がなそうとしていることが大事であり、それ以外には興味がありません。大なり小なり、さくら荘のペットな彼女ではこういったエピソードが多々描かれるのですが、変な子だと思うよりも「誠実である」と感じることが殆どでした。

誠実だと感じる理由は、主人公の神田空太が一般人サイドにいて、ましろと対比的に描かれることが多かったこともあります。これまた私の心をグリグリえぐりました。3話では空太が、ゲームクリエイターになるという夢を改めて捉え行動を起こそうと、「どうすればクリエイターになれるのか」と、チャット上で赤坂龍之介(引きこもりプログラマー)に聞こうとするシーンがあります。

このシーンで空太は、赤坂龍之介に質問しようとします。「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」、と。そしてキーボードで画面上に「ゲームクリエイターになるには」までタイプするのですが、ごく僅かの時間を置いて、バックスペースで消して、そして「いや、やっぱりいい」とタイプして確定させる。

ゲームクリエイターになるには」の続きはもちろん「どうすればいい?」が補完されるのだろう。しかし空太は「〜なるには」までしかタイプできなかった。

『さくら荘のペットな彼女』3話 よほど誠実に生きていたのはましろだったのだ

少なくとも自分はおそらく、空太の側にいると思う。でもそれは自覚したくない。にも関わらず、本作品ではそれを容赦なくぶつけてきます。辛い。同時に、ましろの天才性を改めて認めなければならない。だから「誠実」という言葉で表現したくなる。

椎名ましろは人間としては破綻しているはずなのに、自分よりよっぽど人間らしいと感じてしまう。

終わりに

さくら荘のペットな彼女の原作は完結したそうなので、そろそろ原作を読もうとは考えています。確か過去、放送当時の最新刊までは一気買いした記憶があるので、積んである本たちから探しだしてやろうと思います。


関連するかもしれない記事:話数単位で選べ! 2012年も素晴らしいアニメに沢山出会いました

「アニメ“なんか”見てる場合じゃない」

「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠

ところが、そうやってゲームと共に生き、ゲームに助けられてきたはずの私が、「残り少ない人生をゲームに費やしてホントにイイのか?」と考えはじめているのである。この文章のタイトルは『ゲーム“なんか”やってる場合じゃない』だが、このゲーム“なんか”という思いつき自体、なんだかおかしい。ゲームによって生かされていたような人間が、ゲーム“なんか”とは何事だ!
 俺はゲームが大好きだったはずだ。いや、今でもゲームが好きなはず……そうじゃなかったのか?

「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠


社会人になって私はある問題と戦い続けています。アニメが殆ど見れなくなったこと、です。それまで当たり前に、沢山のアニメを見てきたのに、しんどくて辛くてアニメが見れなくなって、でも見るために、必死にもがきました。
環境が変わる、歳を重ねる……原因はいろいろあると思いますが、一度でもアニメから距離を置くのが本当に怖かったのです。離れるのは簡単だけど、戻るのはとても力がいるという強迫観念を持っていました。

この数年は、信じられないほどの環境変化がありました。仕事、プライベート含めてとにかく激動でした。結果としてオタク趣味のライフスタイルは激変しました。アニメは今は殆ど見れていません。

このアニメはなんとか見るようにしよう、1本ぐらいは追いかけてみよう……あんなにもアニメを愛していて、ほぼ全てのアニメを見ることが普通だったのに、「このアニメだけは」とか「1本ぐらいは」とかアニメに対して失礼なことを考えるようになってしまいました。

とはいえ、齢を重ねてきた結果として「今、やらなければならないこと」が多すぎる。
 一週間のうち、自分が好きにできる時間はそれほど多くない。仕事・家族・コミュニケーションの時間を削れば、現在の社会適応はたちまち崩壊するだろう。人間関係も仕事も、時間やお金や体力を割いて“手入れ”をしなければ、簡単に腐ってしまうことを私は知っている。現状を維持するだけでも相当なリソースがかかる。

「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠

生きることはほんとうに辛い。魂を削って仕事をしていると特に最近は感じる。魂を削るなら自分の好きなことに削りたいと心の底では思っている。
ワナビーという言葉をご存知ですか。want to beを略した俗語、ネットスラングで、何かに憧れてなりたがっている人を揶揄して使われる言葉です。なぜワナビーという言葉が侮蔑的に使われるのかというと、その対象の多くが行動を伴っていないからだと私は思っています。端的に言えば、口だけ、ということ。
もう笑えない。自分はワナビーであるかもしれないと思うようになってしまった。昔は、とにかく全力で自分の好きなことに時間をかけ続けていたから、ワナビーのワの字も出なかった。誰がどう思おうが、自分は全力でやっていた。今はどうか。妥協していないか。もう諦めていないか。

それでもコンテンツには感謝している

私は例えワナビーなどと嘲笑されようとも、アニメ・コンテンツに対する思いだけは持ち続けます。コンテンツに対する恩返しはコンテンツしかありえません。そう思って今、日々を生きています。

毎日がしんどい。体力もどんどん減っていく。やる気がでない。寝たい。しんどい。会社行きたくない。でも生きねばならない。これは紛れもない事実。そして同時に、コンテンツに対して恩返しもしたい。これも紛れもない事実。

じゃあどうするか。生きるしかない。生きねば。まだ風が吹いています。


「まだ風は吹いているか、日本の少年よ」
「はい、大風が吹いています」
「では生きねばならん」