隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

神のみぞ知るセカイから考える、アニメ化された作品の原作者の立ち位置

結論

                       ヘ(^o^)ヘ いいぜ
                         |∧  
                     /  /
                 (^o^)/ 原作者がアニメ化された作品を
                /(  )    素晴らしいと言うなら
       (^o^) 三  / / >
 \     (\\ 三
 (/o^)  < \ 三 
 ( /
 / く  すみません、それでいいです
       

はじめに

間違えないで欲しいのですが、原作者が絶対であるなんて思ってません。が、それを振りきってまで批判的な記事を書く、いや、批判的な考えを持つことはどうなのか。もし原作者が「アニメ化されて、とりあえず面白いわー」のノリならどうでも良いのですが、例えば、原作に出来なかったことをアニメ化ではやってくれた、と主張したら、一読者・視聴者としてはもう、「何考えてんだ、俺」となる、ならざるを得ない。
神のみぞ知るセカイのアニメに対して、原作レイプか?という内容・スタンスの記事を幾つか書きました。(ただし、肯定的記事もたくさん書いてますので、興味のある方はタグで検索してみてください。)

ですが現在は、批判的な視点で考えても自分が得することがないと判断し中断しました。なぜそういう思いに至ったかを、綴ります。
ただ、もう一度、念を押しておきたいのですが、今回の神のみに関しては、かなりの例外です(原作者の主張に逆らってまで、批判的考えを深めることができなかった)。ここまで心を折られた、気持ちが弱ったのは久々。
なお、神のみぞ知るセカイという作品は原作もアニメも大好きです。ここは間違えないでもらいたいです。原作は是非読むべしですよ。普段立ち読みしてばっかりで「神のみ」って雰囲気暗そうだし、よく解らん漫画だわーって思ってるあなた!そういう人は必ずハマる。私がそうだったから。

原作者のアニメ化に対するスタンスを読み取る

:: 12/21:「Loverary」 | HoneyDipped
上記事は、神のみぞ知るセカイの原作者、若木民喜さんのブログ「HoneyDipped」への、12月21日付記事へのリンクです。是非読んでいただきたい。この記事には、栞編に始まり、アニメ化全般について原作者がどういう思いを持っていたかが書かれています。以下、作者のブログを遡って、アニメ化に関して若木さんの気持ちが出ているであろう記事を幾つか列挙します。なお、注意点として、原作者のブログという仕様上、原作のネタバレが多少あります。

もっともっとありますが、直近のものをピックアップしました。ちょろっと書かれているものから、熱く語られているものまであります。是非読んでみてほしい。

熱い想い、そして批判

アニメ化に関してや、また神のみの作品に対する若木さんのスタンスや考え方について、上の記事も含め沢山読みましたが、熱い。作品をとても大事にしておられる。それこそ、一視聴者が「原作レイプ」なんて言葉を口にしてはいけないくらい。

批評・批判をするときは、とてもとても気力がいると私は思います。だから私は、自分のブログはアニメの「感想」という呼び方に、あえてしています。記事を遡ったり検索してもらえれば分かりますが、「批判」とか「批評」という言葉を殆ど使っていませんし、また、使うときは本当に、自分が許せない時だけです。

私にとって、他人の考え方を批判する時というのは、自分の考え方が真っ向から否定された時、向こう側(例えば制作者側)の考えが逸脱しすぎていると感じた場合、です。具体例をあげてみます。

true tearsの乃絵に関して

私は乃絵を好きだった。乃絵に幸せになってほしいと思った。例え、比呂美とくっつくことになっても、乃絵が幸せになってくれれば良いと思っていた。でも、自分の中で、あの終わり方は、乃絵が幸せではなかった。だから批判したし、今でも根に持っているし、また制作者側つまりスタッフには、いい感情を持っていない。ハッキリ言えば、それ以後の作品に期待が持てないくらい。花咲くいろは、頑張って!と応援したいけれど、心の何処かで、すでに落胆している。乃絵派の人が、「花咲くいろは、見てやんよ」って呟いたら、私はそれを特攻と呼ぶことにしている。

電波的な彼女OVAに関して

私が絶対に削ってほしくなかったシーンが削られた、さらに大事な切り札が安売りされた。だから、感情的に批判記事を書いた。→「電波的な彼女」 OVA 感想(ネタバレ注意)

Angel Beats!に関して

制作者側が1話放送前にハードルを上げまくった。その姿勢を批判したかったから批判した。(ただし、これに関しては後日考え方が変わった→AngelBeats!に見る、0話切りさせないアニメの販促方法

まとめます

この記事で何が言いたいか。批判・批評をするということは、自分の根底にある生き方や考え方に従い、他者に真っ向から立ち向かうことであると私は思います。批判には批判が返されてなんぼだし、ある意味、それが批判する側の責務でもあるし、また避けられないことでもあると思う。
だけど、その大元にある、根本が、ある意味で第三者的な意見から圧倒的に覆される、さらにそれが最強に別格の発言力を持つ場合、心が折れるいったい誰が、アニメ化された作品についてその原作者と批判合戦をやりたがるのか。
神のみぞ知るセカイでは、私はアニメの劇中歌商法スタンスを良くはない、というスタンスで批判的な記事を書いた。しかし、原作者のブログからは、このアニメ化の、ある意味ではこの劇中歌商法のスタンスや、「一見」間延びしているような脚本も、肯定されていた、と私は受け取ることができた。そして、肯定されるとともに、理由が明確に、熱い想いを伴って書かれていた。だから心が折れた。

予防線

アニメ化において、原作者という絶対的な力を持つ者、ただし第三者的立場(本当の直接にはアニメ化に携わっていないという意味)にある者の意見を再優先して、自分の意見を押し殺すとは何事か!とお怒りの方もいらっしゃると思います。私も普段はそういう考え方をします。批判に限らず、感想を書く時でもそう思っています。でも今回の件では、悪いところがない、悪意がない、熱い想い、そんな肯定意見に対して、私は勝つすべがない。言葉遊びとかそういうのではなく、気持ちで勝てる気がしない。だから心が折れた。
神のみのアニメを、今後も批判スタイルで見たら、多分つまらなく感じてしまうと思ったので、批判的考え方は放棄した。
じゃあ、原作者のブログの細かいところの揚げ足取りをして、今度は原作者を貶めようというのか?そんなことはバカげてるしあり得ないし、絶対にやらない。
ただ今回の件のことに限らず、一般論として平気で人の揚げ足を取り貶める行為をやっている人が多いことは主張しておく