隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」

アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係 (1/4) (Business Media 誠)


小説や漫画がドラマ化やアニメ化されることは、それが広告効果となって知名度が上がったり、売り上げが増えたりするため、一般的には作者にとって良いことだと思われがちだ。しかし、ライトノベル作家松智洋氏は「必ずしも良いとは限らない」と主張、アニメ化された『迷い猫オーバーラン!』の経験を例にメディアミックスの功罪を語った。

このエントリで書かれている内容

上記事では、幾つか小見出しがあり、同時に意見を書こうとすると長くなりそうなので、ある程度は記事を分散させて書こうと思います。

今のライトノベル作家のメディアミックスへの視点

ラノベ作家としては、アニメ化される機会が増えている現状は嬉しいことだと言う。けれども、「アニメがこけたら小説もこける」という恐怖を感じながら自分の作品と向かっているのも事実だと、松智洋さんは指摘する。

どういう作品を書いたらアニメになるのか…

本来は、ライトノベル(原作)がまず存在して、そこからアニメ化へと繋がっていくことが当たり前でした。というか、そういうもんだと思ってました。しかし今は逆転現象が起こっていると氏は指摘する。つまり

  • どういう作品を書いたらアニメになるのか。

と考えながら書いている人が増えているというのです。この是非については、松智洋さんが、自身の作品である「迷い猫オーバーラン!」のアニメ化を例にとって掘り下げておられます。

アニメ化の企画の流れ

基本的にアニメ化の企画書は、制作側から出版社に提出され、その企画書に対して出版社側のフィルタが通された(チェックされた)後、原作者に回ってくるそうです。
氏は、その際「原作準拠」についての重要性を語っています。

制作側と作家の立場

  • アニメにはアニメの文法があるのだからそれに合わせるべきだ。

松智洋さんは、ライトノベル作家になる前はゲームやアニメのシナリオライターを長くやっておられます。そんな氏が、業界に入って最初に習ったアニメの作り方がこれなのだそうです。

今は原作準拠のほうが主流だそうですが、少し前までは「原作通りにやらない」ということが、制作側としては普通だったそうです。

一方作家の立場からするとどうだったか。ここは氏の言葉をそのまま引用いたします。

一方、作家の立場からすると、メディアミックスによって得られる金銭的な対価はさほど関心の中心にはならなくて、多くの場合は自分の作品をどういう風に伸ばしてくれるか、大事にしてくれるか、楽しく面白く作ってくれるかというところが企画書を見る時の主眼となります。そのため、制作会社や監督、スタッフや声優、放送枠など、実際にどのような形で作ってくれるのかというのが、原作者側からするとものすごく気になるわけです。

当たり前のような言葉のはずなのに、重いです。

個人の批評、マスの批評は作家へのプレッシャーになることがある

  • 現状は、原作準拠のアニメが主流である。
  • 結果、原作にも責任が発生してしまう。

原作準拠であるがゆえに、アニメがこけた(成功した)理由・原因が、原作まで下りてきてしまう、と。
氏は、視聴者側からは「あの人たちがアニメを作ったのに、原作がダメだったから売れなかった」という話になりやすいです。、とまで指摘しています。

アニメのまとめブログ・感想ブログ、twitter2chの各種スレ、オタク文化の一般化…等々、多くの要因が重なり、個人の意見が公に出てきやすくなっていることで、「視聴者=批評家」となりやすい現状があります。
そういった個人の意見が集約されマス(大衆、大勢)の意見として押し寄せてくる現状が、原作者に取ってはプレッシャーとなっている、と氏は指摘する。

小説の内容の出来不出来については自分で責任を負えるのですが、アニメの出来不出来については基本的に責任を負えないわけです。責任を負えないのに、「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」として語られてしまうので、アニメの完成度は作家にとっての死活問題にもなりうる状況が今あると考えています。

信頼の○○、原作クラッシャーの△△

だから、企画書に「制作会社:京都アニメーション※」と書いてあったら、多分ほとんどの原作者は「オッケー」とハンコを付いて返すと思います(笑)。

ちょっと笑い話っぽく氏はこう言っていますが、実際問題として、これは死活問題なんだろうなぁと。

煽りすぎは良くないとは思う

アニメを見て、感想を書いたり考察してみたり…それ自体には何の制約もありません。「このアニメ、つまらないけれど(面白いけれど)、原作もつまらないのかな(面白いのかな)」と書くのも自由。ただ、既存のマスコミのように、世論誘導といいますか、画一的な、「このアニメはこうだ!」といったような方向へ誘導するのは、どこかでブレーキを掛けておかないと、あまりよろしくないのかなと。意識してやっているかやっていないかは別として、強く思う。