隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

例えば、魔法少女が居る世界って「非日常」ですか?

絶賛放送中のまどか☆マギカ。最新5話では、新キャラ活躍、ほむら△、と見所満載で、目が話せません(感想はこちらから)。そんな魔法少女達が活躍する今クールの裏では、「神様で中学生!」で有名、かみちゅ!という作品が再放送されております(感想はこちらから)。

神様で中学生。一体どんなアニメなんだ?と思われると思います。簡単に説明しますと、主人公の一橋ゆりえが、ある日突然「神様」になるところから物語は始まります。神様とは八百万の神を指し、たくさんの神様が登場します。神様が居ることが当たり前の、よく分からない世界観で進む、コメディーでギャグでシリアスで笑い、いろんな要素が詰まったホンワカアニメ、といった感じでしょうか。

そんなかみちゅ一言で表すと、どんなアニメでしょうか

シュール?非日常?

中々に、面白さの表現方法が難しいのです。シリアスな笑いというと、シリアスに寄り過ぎると思いますし、やはり「シュール」という言葉が似合うのかな、と私は思います。
しかしシュールというと、たくさんの解釈ができますね。Wikipedia先生によると、

シュールとは、「現実離れしたさま」、「普通の理屈では説明できないさま」、「難解で奇抜なさま」、「幻想的なさま」、「意外なさま」など、非日常的なものを指す言葉。語源は、20世紀前半の前衛芸術運動であるシュルレアリスムシュールレアリズム)から。

シュルレアリスム - Wikipedia

かみちゅという作品は、現実離れしているし、普通の理屈では説明できないし、難解で奇抜だし、幻想的だし…つまり非日常的という言葉で表すことができそうです。

非日常的という言葉も、曖昧ですね。無意識に「非日常」という言葉を使っていますが、日常という言語に接頭語の「非」が付いた、という解釈が正しいようです。「日常」コトバンクで調べてみると

つねひごろ。ふだん。平生。「―用いる道具」「―会話」「―性」

日常(ニチジョウ)とは - コトバンク

つまり非日常とは、常ではない、ということですね。

日常とは?

何を基準に非日常なのか。ゆりえが、神様になる前を基準にしているのか、もしくは神様である事を基準にしているのか。ただよく考えると、私たち(つまり視聴者)の一般的な生活、リアルな生活が基準だと考えるのが普通なんですよね。
現実の世界では、(多分)かみさまが中学生ではありませんし、(多分)誰も不思議な力を持っていないだろうし、(多分)火星人が攻めて来たりもしない(と信じたい)。そういう意味で、かみちゅの世界は「非日常」であると言っても、あまり反論はないような気がします。


ただ、この定義に従ってしまうと、殆どの作品は非日常ということになってしまいますよね。つまり、

  • 無口・巨乳でドS・貧乳の3人に囲まれた生活(これゾン)
  • 謎のパワードスーツを着こなす(IS)
  • 夢の中へ入り込む(メリー)

といった作品は、全て非日常作品として分類されてもいいはずです。ですが、この3作品だけみても、積極的に「非日常」作品だ!と訴える人は少ないように思います。どこら辺に、非日常認定ラインが引かれているんでしょうかね。おそらく、かなり上のラインに引かれているんだと思います。

非日常認定ライン

というのも、もしラインが低ければ、主人公が複数の女の子にチヤホヤされる、いや、主人公が学校に通って仲間とダベリ、女の子に憧れるというシチュエーションすら非日常になりかねないのですよ。つまり、私たちが「非日常」のラインをそれなりに上に設定している理由は

  • そうしないと、殆どの作品が「非日常」になってしまうから

に他ならないわけです。全ての作品は、リアルでないのだから「非日常」となっちゃうわけですね。
ただ、そんな事を言い出すとキリがないので、私たちは安易に「非日常」認定しないのでしょう。懸命な判断だと思います。



ここで、例のコピペが思い出されます。

Q. 「まほらば」と「まぶらほ」と「マヴラヴ」と「ラブひな」と「ネギま」の違いを教えてください。

A. 全然違う作品です。
 まほらば 主人公が上京したアパートに可愛い女の子が沢山いて囲まれる話。
 まぶらほ 主人公の遺伝子を狙う可愛い3人の女の子に囲まれる話。
 マブラヴ 主人公の通う学校に可愛い女の子が沢山いて囲まれる話。
 ラブひな 主人公が女子寮の管理人になって可愛い女の子に囲まれる話。
 ネギま  原作者の赤松某が声優の女の子に囲まれる話。


どう見ても非日常です。本当にありがとうございました