アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係 (1/4) (Business Media 誠)
小説や漫画がドラマ化やアニメ化されることは、それが広告効果となって知名度が上がったり、売り上げが増えたりするため、一般的には作者にとって良いことだと思われがちだ。しかし、ライトノベル作家の松智洋氏は「必ずしも良いとは限らない」と主張、アニメ化された『迷い猫オーバーラン!』の経験を例にメディアミックスの功罪を語った。
このエントリで書かれている内容
上記事では、幾つか小見出しがあり、同時に意見を書こうとすると長くなりそうなので、ある程度は記事を分散させて書こうと思います。
- ライトノベルがアニメ化しやすい理由―メディアミックスの功罪
- 「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」
- 創作活動の停滞が、アニメ化の後には起こりやすい(この記事)
- 作家がメディアミックスに望むこと(執筆予定)
前回までのおさらい
一つの元記事に対して連続して記事を書いていましたが、少し間があいてしまったので軽くおさらいです。
1990年代までは半年に30本程度だったアニメの製作本数が、極端に増加しました。それにより
- メディアミックスの成功から、深夜枠で薄利多売的なアニメ制作が始まる。
- アニメ作品そのものをコンテンツとして見る。
このような動きが活発になりました。安い放映権料で済む深夜枠にアニメを押しこみ、DVDなどで元を取る、という考え方のことですね。メディアミックス展開が前提となっているために、とにかく新しいコンテンツを供給し続けないといけないという逆転現象が起こり始めている、と。
松智洋さんは、最近のライトノベル作家は、「どういう作品を書いたらアニメになるのか。」と考えながら書いている人が増えていると指摘しています。ここから、「原作準拠」についての内容が続きます。
今は原作準拠のほうが主流だそうですが、少し前までは「原作通りにやらない」ということが、制作側としては普通だったそうです。
- 現状は、原作準拠のアニメが主流である。
- 結果、原作にも責任が発生してしまう。
個人の意見が集約されマス(大衆、大勢)の意見として押し寄せてくる現状が、原作者に取ってはプレッシャーとなっている、と氏は指摘しています。
本記事の流れ
アニメ化は、作家にとってプラスではないのでしょうか? ということで、元記事の中盤からの話題、アニメ化のメリットについて掘り下げていきます。果たして、メリットはあるのでしょうか?
そして、メリットがあれば当然デメリットもあるはずです。デメリットについても、以前の記事より詳細に見ていくことにしましょう。今回は実際にライトノベル3作品を挙げ、アニメ化によるデメリットについて深く考えています。
アニメ化されることのメリット
端的に、箇条書きにしてみます。
- 知名度が上がる。それに伴い、販売部数の増加・各種グッズ販売による二次収入の発生。
- 「アニメ化された作家」という箔がつく。その結果、作家としてのポジションが安定する。
- その結果、出版社から声がかかりやすくなったり、新刊があまり売れなくても次の巻を出してもらえるようになったりする。その結果、「書き続けられる場所を得られる」。
またメリット・デメリットどちらの要素も入っていると思いますが、
- 出版社主催のパーティなどで、「アニメ化された作家」と「アニメ化されていない作家」で壁を感じる。
を挙げられています。
書き続けられる場所を得られる、これが一番のメリットではないか? と松本さんは仰っています。なるほど、アニメ化による好循環ですね。
しかし、この「書き続けられる」という部分は、後から紹介する「デメリット」にも大きく関わってきます。
松智洋さんが語る、アニメ化を見据えた作品戦略
ところで松智洋さんの、「迷い猫オーバーラン!」という作品は、アニメ化を見据えた戦略を練られていたそうです。
- 初期は隔月で1巻ずつ出し、1年間で6巻。
- 巻数がたまっていることがメリットとなる。
- 早く次の巻を出さないと忘れられてしまう。
- メディアミックスする側にとって原作が定期的に出ていることはものすごく重要。
- アニメ化された後、新刊が出なくなると、「何のためにメディアミックスしたんだろう」ということになりがち。
アニメ化されることのデメリット
それでは、アニメ化によるデメリットとは何でしょうか。大きく分けて、以下の2つを述べられています。
- 「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」として扱われてしまうこと。
- 「アニメの終了=原作の終了」ということになりがち。
前者については以前の記事でも述べましたが、ここでは元記事から引用したいと思います。
(略)
これはアニメの出来が良い、悪いに関わらず、自分の作品の評価にそれによるバイアスがかかります。つまり、原作よりアニメの方がすごく面白い場合でも、原作者の心は折れます。原作よりアニメの方がすごくつまらない場合も、自分の作品が売れなくなるので、原作者の心は折れます。もちろん自分の作ったキャラクターと同じキャラクターがアニメにも出ているのですが、作っている人は違うので、本来、切り離して考えなければいけないのですが、それは非常に難しい。
さて、実は今回の記事の肝は後者、つまり「アニメの終了=原作の終了」についてです。以下、これについて掘り下げていこうと思います。
松智洋さんが語る、「アニメの終了=原作の終了」
元記事を読んでもらうのが一番かもしれませんが、自分なりにまとめてみます。
- アニメ化の最大のデメリットは、アニメ化後に作家が新作を発表することの難しさと生みの苦しみではないか。
- アニメ終了後に販売部数を伸ばす作品はまれで、途中でのアニメ化が作品の寿命を短くしてしまう。
- アニメ化された作品の次回作というのはどうしてもハードルが上がる。
- 読者側からの期待。
- アニメ化された作家という気負い。
- アニメ化されると考える時間というのが生まれてしまう。
- 一時的な販売部数の伸びから収入増加。それにより貯金が増加。
- それに伴い、「1年くらい暮らせるな」と思うと、「いい作品を書くために、もっと時間を使うべきではないか」と考える。
- 結果、創作活動の停滞がアニメ化の後に発生しやすい。
松智洋さんは、
余談ですが、「そうならないために、飲むか馬(競馬)かで金をなくしておくのはいいことだ」と業界では言い伝えられています。両方すると身を滅ぼすという話もよく聞きますが(笑)。
と笑い話で述べられてますが、切実な問題なのだと思います。
事例から考える、「アニメの終了=原作の終了」
調べたくないので調べませんでしたが、作品がアニメ化された作家の次回作というのは、結果としてビックリするほど時間が空いたり、スタートしてもすぐに終了してしまったりすることが多いはずです。
「アニメの終了=原作の終了」というワードを聞いて、どんなライトノベル作品を思い浮かべますか? 私はそんなにライトノベルに詳しくないのですが、メディアミックスに関連して話題になった作品が幾つか思い当たります。
今回の記事では、「涼宮ハルヒの憂鬱」、「紅」、「とらドラ! 」の3作品について考えてみます。
「ゴメンね!」から始まる延期ストーリー―「涼宮ハルヒの憂鬱」の場合
「2011年5月25日世界同時発売」。本当に5月に発売するんだろうな!と疑う権利が私たちにはあるはずです。当初2007年6月に発売予定だった、谷川流さんの「涼宮ハルヒの驚愕」。気づけば2011年。
Wikipedia先生によると、無印ハルヒが放送されたのが2006年4月から7月にかけて。また2007年7月7日に第2期の制作が発表され、2期の本放送が2009年4月から10月にかけて行われました。「驚愕は2期に合わせて販促なんだろ」って愚痴をこぼしていたのが懐かしいです。2期どころか、放送終了後から1年半程経過しちゃいました。
誰もが思ったでしょう。「アニメ化のせいで執筆が遅れているのではないか?」「もう書けてるんだけど、如何に売るかを戦略的に考えているんだろう」等々。真実は分かりませんが、私たちは不信感を抱かざるを得なかったと思います。
「紅商法」という言葉まで生み出した―「紅」の場合
「紅商法」という言葉をご存知でしょうか。他にも「醜悪(祭)商法」とも呼ばれることがあります。紅とは片山憲太郎さんが書かれているライトノベルで、現時点で冊数的には4冊出ております。冊数的には、と書いたのはややこしい事情があるからです。ここからは、私が当時体験したことを書いていきます。
紅が放送されたのは2008年4月から同年6月です。この前後、紅に関わる本が漫画を除いて3冊発売されました。「紅 〜醜悪祭〜(上)」「紅 〜醜悪祭〜(下)」「紅 公式ファンブック」の3冊です(ちなみに漫画版は同年6月に発売されています)。下に表も載せていますが、上巻は2007年11月中旬、下巻は2008年4月下旬、ファンブックは同年5月です。アニメ化決定時期を考えると、上巻もメディアミックスを見据えた発売だったと言えるでしょう。
ところで、「商法」という言葉は、あまり良い意味で使われませんよね。紅の場合、何が原因で「紅商法」などと呼ばれるようになったのでしょうか。
ここで、話を分かりやすくするために既刊のページ数を記します。
タイトル | ページ数 | 発売日 |
---|---|---|
紅 | 313 | 2005年12月20日 |
紅 〜ギロチン〜 | 325 | 2006年7月25日 |
紅 〜醜悪祭〜(上) | 221 | 2007年11月22日 |
紅 〜醜悪祭〜(下) | (本編)122 | 2008年4月25日 |
紅 公式ファンブック | (本編)15 | 2008年5月23日 |
え?と思われた方が多いと思うので、少し説明します。まず「(本編)」についてです。
下巻の構成は、「本編が122ページ」と「アニメ第1話の脚本+『紅』用語辞典等々が55ページ」となっています。つまり、上下巻に分ける必要は無かったけれども、メディアミックスに伴い分冊された、と予想できます。本の厚さ的には、ギロチン = 醜悪祭 上+下巻、くらいです。
これだけなら、まぁ納得はしにくいけれどメディアミックスとしてはよくあることじゃないの? と思われるかもしれません。実は真の問題は、ファンブックの「(本編)」についてです。このファンブックには、醜悪祭の後日談が収録されています。後日談だから、プラスアルファ的なものなんでしょ? とお思いかもしれませんが、実は醜悪祭下巻の終わり方が悲惨です。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、「え?そこで終わり? 今から盛り上がっていくシーンじゃないの?」「下巻で完結してないじゃん」…もっときつい言葉を使うならば「投げっぱ」です。
本当に理解がしがたいところでぶつ切りになっており、「続きはファンブックで!」と言われたもんだからビックリなわけですね。さらには、後日談はファンブック中わずか15ページという少なさで、当然挿絵もありませんでした。これをメディアミックスの罪過と言わずして、なんというのか。
当時は本当に憤りましたし、この記事を書くために引っ張り出したファンブック等々を見てまた少しイライラがよみがえってきました。
念のため付け加えておくと、私は片山憲太郎さんの作品が大好きです。だからこそ、こうやって批判もしたいんです。当時、商法に乗せられるのは悔しいとは思いつつも、ファンブックを買いました。作品が好きだったからこそ、買わないという選択肢はありませんでした。なんと、お互いがWin-Winになれない商法か。
最終話と最終巻が同時?―「とらドラ!」の場合
思えば、とらドラ!もメディアミックスを語る上では外せない作品ですよね。ご存じの方もおられるかもしれませんが、少し説明します。
とらドラ!は、2008年10月から2009年3月まで放送されていた、竹宮ゆゆこさん原作の作品です。終わってみれば、2クールで原作10巻分全てを、(ほぼ改変なしに)アニメ化。最終巻である10巻は、アニメ最終話の放送とほぼ同時に発売という、異例の進行だったと記憶しています。とらドラという作品の結末を、最初に原作で見るかアニメで見るか、悩んだ人も多かったのではないでしょうか。
ところで、とらドラ最終巻の発売日は2009年3月10日です。その後、とらドラのスピンオフ第3弾を2010年4月に発売。さらには新作、「ゴールデンタイム」を2010年9月に発売。現在2巻まで発売されています。
アニメ放送終了後から1年でスピンオフ、さらに半年後には新作という進行スピード。素晴らしいと思います。
創作活動の停滞
今回はこの3作品を挙げましたが、探せばもっと様々な事例が出てくるのではないかと思います。
統計的なデータがないので感覚的なものになりますが、筆が早い遅いはあるものの、アニメ化の後、明らかに執筆・出版スピードが落ちている事例は少なくないのではないでしょうか。松智洋さんの指摘は、納得出来る部分が非常に多いです。
まとめ
今回は、メディアミックスのメリットデメリットについて、元記事を参考に掘り下げました。具体例として挙げたのは3作品なので、サンプルが少ないとは感じています。ですがアニメ化後の創作活動の停滞は、高い確率で発生している、と仮説を立てておきたいと思います。
メディアミックスの問題は、本当に難しいと思います。