読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

見るアニメを制限するか、制限がなくなるように精神状態を整えるか

4月から社会人です。

働き始めたことで、仕事を終えてから見るアニメについての考察を深めている最近なのですが、その中で、MXで現在夕方に再放送が行われている『ふたりはプリキュア Max Heart』を見ていて思うところがあったので、少し書いてみます。具体的には、アニメを見る精神状態について考えます。

プリキュア Max Heart、25話26話では人生について語りかけてくる!

第25、26話は、わりかし深いテーマが描かれていました。深いといっても別に深刻というわけではなく、単に私に訴えかけるものがあったという程度のものです。
25話は「友達とは何か」、26話は「将来とは何か、夢とは何か」といったものがテーマとなっており、それらに悩む二人のヒロイン、ひかりとなぎさが描かれていました。
サブタイトルは以下のようです。ちなみに日付は、初回放送日だと思われます。

  • 第25話 『ひかりの夏の日 さなえの思い出 』 2005/08/14
  • 第26話 『負けるななぎさ! みんな悩んで大きくなった!! 』 2005/08/21



さて、仕事が終わってから見たいアニメとはなんでしょうか、見たいジャンルとはなんでしょうか、見たいストーリーの内容とはなんでしょうか?


まだまだ考えている最中ですので答えは出ていませんが、
疲れる内容のアニメ作品・ジャンル・ストーリーはしんどい
と、現実問題、感じています。


なんせ、仕事終わりってだいたい疲れているもんなので、疲れている精神状態にさらにボコボコにされるような辛い話を見たら、時と場合にはよりますが、結構心が荒んでくるんですよね。SAN値が下がるというか。


特定の作品というだけでなく、特定の作品の中の、ある話が駄目だということもあります。普段は萌え萌えしている作品だけど、特定の話は暗いというパターンとか。例えは最近だと『パパのいうことを聞きなさい!』という作品の続きを見ようと、仕事から帰って帰宅一番、再生ボタンを押したらアバンから明らかに、尋常ではない暗い空気が漂っていて、即停止ボタンを押してしまいました。
仕事帰ってきたぞー→アニメみるぞおお→うわああああ
という感じ。普段はわりとロリロリしている作品なんですよ?



また疲れる内容という意味では、クライマックスに近づいている作品も、仕事終わりに見る気になれないことが多いです。これは特に、ストーリーがギャグではない作品に顕著で、例えば無印ファイ・ブレインなんかは仕事終わりに見ようと再生ボタンを押そうとするのですが、「こんな気持ちでファイ・ブレインの最後を見届けるのは如何なものか」という気持ちが先行して、中々再生ボタンが押せなかったのでした。


だけど別に、それは作品が悪いわけではないんですよね。

さてさて

仕事終わりに限らずだと思いますが、精神状態が安定していない時のアニメ視聴というのは、様々な問題を抱えていると私は思います。
以前精神状態や体調によって、アニメの評価は著しく偏るという記事でも書きましたが、ただでさえ昨今は放映数が多いのだから、アニメによっては、いや殆どのアニメが1度の視聴で終わってしまう可能性が高いのです。

するとですね、その「一度目」の視聴を行う際、果たして私たちはどんな精神状態にあるのでしょうか。辛い楽しい悲しい朗らか……そんな感情の差によって、アニメに対する評価はどのように変わってくるのでしょうか。

そして、その一度の視聴で、アニメの評価が決められてしまうことは、とてもとても怖い事だと私は思うんですよ。アニメは一期一会、その時はその時、と割り切る態度も必要だとは思いつつも、だけど作品に失礼である、という考え方も私はしてしまうんですね。ダブスタですが。


話をプリキュアに戻して

上記のプリキュア25話・26話の内容は、仕事終わりに見るにはどうなのか。もし単にアニメを消化している、という心持ちでしたら結構辛かったと思います。「友達とは何か」などというテーマ性は普段はむしろ好物のはずだけど、仕事終わりのSAN値が下がった状態だと辛い……と、「普通の作品」ならなった可能性が高いです。
しかし実際は、25話26話に限らず、楽しんでプリキュアマックスハート再放送)を視聴しているわけです。


これは「プリキュアシリーズ」という前提があるから楽しんで見れている部分があります。プリキュアだからなんでも許せるという言い方もできますし、勧善懲悪的なストーリーだということが分かっている、という考え方もできる。とかく、プリキュアだからで許せる部分はある。SAN値が下がっていても、プリキュア視聴だよ、って考えると復活する、みたいな。
つまり、アニメに対する心持ちによって感じることは全く変わってくるわけです。


繰り返しになりますが、ただの深夜アニメで放送されている作品で、いきなり「友達とは何か」「将来とは何か、夢とは何か」とやられたら、仕事終わりには辛いのではないか、と思うところはあるんですよ正直なところ。

何が言いたいのか

上記でお話しした幾つかの具体例を抽象化すると、以下の様な2つに大きくは分類できると考えています。

  • アニメに対する心構えや視聴する際の精神状態という、自分自身の環境の部分
  • ギャグなのかシリアスなのか重いテーマ性なのか、というような作品側の環境の部分

すなわち自分自身の問題として捉えるのか、作品内容の問題として捉えるのか。
もちろん両方の方面から「考えていくこと」それ自体は正しいとしても、では自分の行動として落としこむ場合はどうするのか。



この問題に対しては、上の二点と対比させることで以下のような対処法が思い浮かびます。

  • 疲れている時は、見る作品を自分で制限することで、SAN値を下がらないようにする
  • 自分の精神状態を安定させることで、疲れているだろう時でも、好きな作品を見る


後者は一見、矛盾しているように思われるかもしれませんが、それはここまで「仕事終わりイコール疲れている、もしくは安定しない状態」だという前提で論を進めてきたからです。つまりは、仕事終わりイコール疲れているとは限らないということなんですよね。または、疲れていても、様々な方法論で、気持ちを前向きにできるかもしれないという話。



さて私の態度としては、「疲れている時は、見る作品を選ぶ」という、制限をする方向ではなく、「どんな状態でもアニメを楽しく見れるようにする」という、自分を変える方向に動きたいのです。そうじゃないと、多分、アニメの視聴幅を自分で著しく制限してしまうと思うのです。



私はわりと、アニメに罪はない、などという製作者性善説に立ってしまう人で、「アニメがつまらないと思った時、それはつまらないと思った自分がいるだけだ」ぐらいに思っています。時折寄り過ぎだと指摘されるのですが、まぁそういう立場からの意見だと受け止めてもらえればと思います。

まとめ

あるアニメを一度しか見れないという制約があるとします。そんな時、あなたは、どんな精神状態であろうとしますか?