隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった

今日、『絶望先生』第三十集を買ってきて、一気読みしました。

読み終わって、マガジン本誌で読んだ時のことを思い出したり久米田先生の心情を考えたりしていて、ため息が出たりしました。
それと同時に「良かった、まだ変な方向に傾いてなかった」って安心しました。


絶望先生を読み進めている最中、多分読み始めて数十ページでしょうか。その時に、ふとこう思ったのです。「このまま読み進めると多分30分くらいは掛かる。すると、このあとすべきことができないかもしれない、まずいかもしれないなぁ」って。
だけどね、ちゃんと読み進めることができました。だって、作品に失礼じゃない。ここで絶望先生を読むのをやめたら、まるで現実の瑣末なことのほうが大事みたいじゃない。


私は社会人になってもアニメを見ていますが、アニメを視聴するペースは別として、見ている量自体は、最盛期に近いものがあります。すなわちほぼ全部見てる、という状態です。またブログ更新頻度も、それなりに上がっています。

この現象に対して、当初は深く考えていなかったけど、やっぱり気になったので考えた。そうしたら、それは「怖いから」だという事がわかった。

これまでアニメに当たり前のように接してきたわけです。でも、もし、社会人になったからといって「ちょっと忙しいから見るアニメを絞ろうかなぁ」とか言って、思うだけならまだしも実際に実行してしまったら、きっともう二度とアニメに対して熱を持って接することができないかもしれないという怖さがあるんです。

実際過去にそういうことはあった。私はバイクが好きで、購入して2年間は1年で1万2千キロずつとか平気で走ってたのに、今メーターを見ると2年後のメーターと大きな差がない。原因は、勉強とか就活とかそういうので「時間がないからちょっと乗らなくてもいいか」から始まったと分かっている。そして結果的にバイクに乗ることは殆どなくなった。
でも怖いから、たまに乗る。結局実家から東京にもバイクを持ってきてしまった。怖いから、バイクを手放すと多分今後十数年は乗らないことになるのが怖かったから。



怖い。今アニメを見るのを止めてしまったら、なんとなく戻れない気がするのです。今アニメに対して考えることを止めてしまったら、なんとなくアニメから離れちゃう気がするのです。16日に「結構忘れてる、だけど好き」が成り立つ理由という記事を書いたけど、多分この記事の自分の中の本質は、怖いから、だと思う。怖いから、理論武装しないと戦っていけなくなっている。

◯◯を卒業する、とか言葉があるけど、実際卒業なんてしなくていいはずなんです。卒業させているのは、周りの環境だとか世間の目だとか現実問題とか、そういうのがあるからですよ。
でもやっぱり環境が変わって、生活が変われば、そういう「卒業」という言葉がよぎる。いや、完全にやめることはないかもしれないけど、「減る」という方向へ流れる。



コミケ3日目終了後、ずいぶん長くお世話になっている方と喋っていて、「今年のコミケは何か熱くならなかったわ」という話題で盛り上がってしまった。そもそもこういう話題で盛り上がること自体が今まで無かった。その方とはC72くらいから毎開催後の3日目の後に必ずお話するんだけど、今までそういった話題が出たことがなかった。
もちろん様々な要因が重なった結果だという議論はしたけど、その中で、ある指摘に対して私はもう考えざるを得なかった。
「社会人になったことは、一つの要因かもね」と。

何かいろいろセーブ掛けていた気はするんです。3日目は始発で行ったら次の日の体調に影響するからちょっとゆっくり行くか、とか。仕事があるからサークルチェックがそれほどできないのは仕方ないのかもね、まぁ現地で回ればいいじゃない、とか。そういう諸々が重なり、準備が殆どできず、コミケを迎え不完全燃焼になったのだと思っている。



そうやって、無意識にセーブを掛けて物事を楽しめなくなっているという現状を再認識して、凄く怖くなったのです。無意識的に打算的になっている自分が怖くなったのです。



それで最初の話に戻る。今日、ふっと絶望先生を読んでいて、たかだか30分程度の時間を、熱中しようとした30分程度の時間を棒に振りそうになった。逃げそうになった。
だけど、何とか持ちこたえた。それを持ちこたえさせてくれたのは、絶望先生という作品に他ならない。こんな素晴らしい作品を途中で読むのことをやめるなんて、という思考が勝った。
良かった、まだこんな素晴らしい作品があることに感謝した。本当に本当に感謝した。そしてこれからも漫画だけじゃない、ラノベもエロゲも映画も何でも、もちろんアニメも見て行こうって思いました。

まだ、まだ打算的な方向に完全には流れていなかった。



良かった、まだ変な方向に傾いていなかった