隠れてていいよ

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あずにゃんの気持ちはあずにゃんしか分からない、はい論破!

本記事の中盤以降で、true tearsのネタバレがありますのでご注意ください。

あずにゃん問題? 何それ食べれるの? - TinyRain


あずにゃん問題ってなんやねん、ということなんですが、私は放送当時ネットの記事を貪り読んでいなかったので、今更知った内容です。あ、深刻な内容ではないんで、かる〜くゆる〜く見てもらえればと思います。



彼女は、すでにかなりの実力もあるようだし、最終話?というか、最後のおまけで彼女の部屋の中は、まさにJAZZ一色で、かなり音楽に入れ込んでいることがわかる。それほどの思いを抱えて生きているのならば、やっぱり「音楽を目標」にレベルを追求することを、もう少しやってもいいのではないか?って思うんだよ。

あずにゃん問題(笑)〜日常をたゆたい「いまこの時の幸せをかみしめる」か、それとも志と夢を持ってつらく茨の道をかけのぼるか? - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために


あずにゃん問題を誤解を恐れずものすごく端的に言うと、あずにゃんは音楽の道もあったはず、音楽の道にあずにゃんは行くべきだったよなぁ、というお話。まぁ確かにあずにゃんは、いつの間にかゆるふわになっていましたね。



それに対して、冒頭で紹介したstr017さんの記事内では、スッキリばっちりこう書かれている。

ではまず、あずにゃん問題があると思ってるあなた方に問いましょう。

あなたは、あずにゃんですか?

はい、復唱。

あなたは、あずにゃんですか?

あずにゃん問題? 何それ食べれるの? - TinyRain

(太字は原文ママ

いいですねぇ、このスッパリ感。確かに我々はその人じゃないから、そしてその人じゃない以上その人の気持ちは正しく分からない、所詮推測の域を出ない。だからそもそもあずにゃん問題なんて存在しない。

あずにゃん問題って、提唱してる人達自体の問題じゃないでしょこれ? あずにゃん自身の問題でしょ? じゃあその答えはあずにゃんが出せばいい訳で、あずにゃんが出した答えはゆるふわに回収されるってことじゃないですか。けいおん!! の方でもこれ散々やったでしょ? あなた方はけいおんの何を見てたんですか? 答えは劇中で出てたでしょ? それを今更の今更蒸し返すんですか? バカなの? 死ぬの?

あずにゃん問題? 何それ食べれるの? - TinyRain

ちなみにすとらいさんの記事の続きを読むとおっさんが悲しくなるかもしれませんのでご注意を。

とは言っても、それだと

とは言っても、それだと、全てのアニメの全てのキャラクターのことは、キャラクターのことだから考えてもしかがたないという論になってしまうので、そういう意味でやはり極論なのですよね。切り口が鋭い極論。

私は、true tearsという作品の、乃絵が、好きで好きで好きで好きで好きすぎてたまりませんが、眞一郎が比呂美を選んだことに対して今でも眞一郎を恨んでいますが、この問題に対しては果たして私は何を考えればよいのでしょうか。このストーリーを考えた人でしょうか、最終的に「これでいこう!」と決定を下した人でしょうか、それとも眞一郎というキャラクターの生き方・考え方でしょうか。
こういう問題に対して「あなたは眞一郎ですか? 違いますよね、だからあなたが『眞一郎は乃絵を選ぶべきだった』と主張すること自体ナンセンスなのですよ」と言われても困るわけです。

確かに、漫画ではありますがHUNTER×HUNTERでは冨樫さんは、キャラクターを頭の中で動かして矛盾が無いよう、まるで漫才を行わせるようにセリフの掛け合いだとか、キャラクターの行動を決めていたそうです(単行本や、ヘタッピマンガ研究所Rなどでそういった内容を冨樫さんが語っていた)。
ヘタッピマンガ研究所Rの冨樫さん回をまとめた記事、冨樫義博が作り出した「話作り」のメソッドから引用すると、

キャラクター作りについては基本的に漫才を行わせるつもりで書くのだという。ネームにする前に紙にキャラ達のセリフのかけ合いを書き出す。その中でキャラ同士が自分らしさを守った上での最良の一手を「ボケ」「ツッコミ」のような感じでかぶせていく。
(略)
論理展開の実際はキャラ達と相談する感じで行う。例えばキャラが二人いて片方が『俺はこっちに行って戦う』もう一方は『俺はこっち』と別行動する展開にしたいとする。作中では省略されたとしても、そういう展開になるまでの経緯をセリフのかけ合いとして紙に書き出してみる。本当にそんな結論になるのかという検証作業のようなものを行うのだ。その過程で『あ、こいつの性格だとこっちに行きたいとは言わないな』となったらその展開はボツにする。これは冨樫義博の「こだわり」などではなく、そういう事をやっておかないと不安になるから行うのだという。それを行わないとキャラがちゃんと生きていて、自分で判断してる様に思えないからだそうだ。


つまりこれも極論ではありますが、そうやって生まれてきたキャラクターの行動というのは突き詰めれば矛盾のない、そのキャラクターだからこそ行う行動になっているわけだから、「そのキャラクターはこうすべきだ」と言うのはナンセンスかもしれない。
しかし、何かのきっかけが変われば、そのキャラクターは別の行動、道を歩んでいたのかもしれないし、考え出したらキリがない。ただ、「ストーリーを作ったのは他でもなく人」であるからして、やはりそこには何かしらの意図が働いているのだと思っていて、だからこそそこに対して「なぜそういう行動を取らせたのか」という議論には非常に意味があると私は思っています。
だからこそ、あずにゃん問題とかについては、そういう議論があるのはとても正しいことだと思いますし、またstr017さんのような考え方も全然オッケーだと思います。




だからまぁ、どちらが正しいかと言うよりは、いろんな切り返し方とか考え方があるっていう、まぁそんなぬるい終わり方でどうでしょうか。