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隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

ドキドキ!プリキュア劇場版 今と過去と未来とアニメ『C』

映画 プリキュア

ドキドキ!プリキュアの劇場版『マナ結婚!!? 未来につなぐ希望のドレス』を見てきました。
テレビ放送についてはしばらく視聴が止まっていたので、いきなり劇場版を見に行っても大丈夫か心配だったのですが、杞憂でした。

見に行ったのが先週なので詳細までを覚えていなかったりするのですが、しかし特に印象が残った部分については書き残しておきたいと思います。
なおネタバレがあると思いますのでお気をつけ下さい。



正直なところ、始まって20分くらいまででしょうか、ちょっとだけ期待はずれ感があったことは否めませんでした。ストーリーが云々というよりは、作画にあまり気合が入っていなかったからです。私は別に作画ヲタでもないし、ただのアニメ視聴者なのですが、とは言っても、劇場版にしてはちょっと粗が目立ったように思います。もちろん劇場版バイアスはあるのでしょうが、うーん、と違和感を覚えてしまうシーンが幾つもあったことは間違いありませんでした。「作画が心配でドキドキしてしまった」という感情が一番正しいかもしれません。やはりアニメはアニメの中に集中させてほしいというのが私の思いで、その意味で序盤はハラハラしました。
では中盤以降いきなり元に戻ったかというと、確かそうでなかったようには思います。ただしそれを全く気にさせないストーリー内容が展開されたことで、気にならなくなりました。

今回の映画のテーマは、公式にはどうかは知りませんが、「過去と未来」ということになるでしょう。「悲しい未来が来ることが分かっているのならば、幸せな過去に閉じこもり続けることを良しとする」のか、「過去の悲しみや喜びも踏まえて、未来へと進んでいく」のか、という2つの価値観の中で主人公相田愛(マナ)は揺れます。

過去の楽しい思い出とは、お祖母ちゃんが生きていること、愛犬マロが生きていること。過去の辛い思い出とは、愛犬マロが死んでしまうこと、お祖母ちゃんが死んでしまうこと。
家族との死別。特にマロは不慮の事故で突然の別れであり、マナにとってはトラウマレベルであるはずなのだけれど、どうやらそのスイッチを意図的に切っていたように感じられた。が、今回、過去の世界に飛ばされ、愛犬マロに再開したマナは、強く強く思うことになる、そう「過去に居続けたい」と。
マロが死ぬシーンや、マナがマロと再会するシーン、おばあちゃんとの会話のシーン、どれも細かな表情の変化や仕草が丁寧で、強く強く感情移入しました。



本当はもっと詳細部分を掘り下げて書きたかったのですが、記憶が曖昧になりすぎているので、この辺りで止めます。時間があればもう一度見に行って、その時に書きたいと思います。


アニメ『C』との連想

「過去と未来」というキーワードが出てきてから、私は映画を見ながらも、アニメ『C』のことを頭の片隅で考えていました。『C』とは2011年4月から6月にかけて、ノイタミナで放送されたアニメーション作品です。全11話で、お金と未来をテーマとした、オリジナル作品です。本作品は「今と未来」の対比が実に鮮やかに描かれている作品で、今を選ぶのが三國壮一郎、未来を選ぶのが主人公の余賀公磨というキャラクターです。この作品が面白いのは、主人公の公磨が最初から一貫して「未来」が大事であると考えていわけではないことです。様々のキャラクターとの出会いを通じて「自分で答を出す過程」がきちんと、そして残酷にも描かれます。そして更に面白いことは、主人公の考えた通りに物語が進むというよりは、それぞれのキャラクター出した答え通りに、それぞれのキャラクターが進んでいく、という結末を迎えることです。つまり、正解がないという結末を迎えるのです。
「今と未来」について、ある時、公磨と三國壮一郎は以下の様なやり取りをします。


公磨「可能性の失われた未来しか残らないなら、現在がある意味が無い」
三國「失われようがどうしようが、未来自体がなくなることはない」

三國「今がなくなったら、未来もなくなる」
公磨「未来の為に今があるんだろ!」


どちらも意見も正しいし、そして間違っているとも言えます。お互い最後まで譲らず、自分の意志を貫く事になります。なぜこういう考え方に二人が至るのか、そして世界はどう進むのかという点については是非本編を見てほしいなと思います。ちなみに、Youtubeのフジテレビアニメチャンネルで、全話無料公開されています。実はついさっきまでこの情報知りませんでした……。

さて、プリキュア劇場版に話を戻しますが、今回マナは過去に閉じこもることはしない、という決断をすることになります。しかし私は、もし仮にマナが、過去に閉じこもっていようという判断をしたとしても、批判することはできなかっただろうなと思うのです。過去ではなく未来を見る、という考え方はある種「絶対的な正義」として、現実でも語られることが多いと思うのですが、決してそれは真理などではありません。ある人が、強い想いを持って何かの選択をしたのであれば、それはきっと正解なんだと思うんです。仮にそれが明らかに間違っていること、客観的に見ておかしいことであったとしても、私はそれを正解とは言わないまでも批判はできません。

プリキュア劇場版で、マナが選択した「未来」という答えも、それが正解かどうかは分かりません。ただ、作品では、なぜマナが「未来」を選択しようとするのかについて語られます。私は、それを見て、カタルシスを感じました。こうやって今文章を書いているのもそういうことです。

終わりに

女児向けだからといって「低俗なものだ」「内容がない」と、プリキュアに限らず先入観を持っている人は少なく無いと私は勝手に思っているのですが、案外、そうでもないんですよ。私が毎年なぜプリキュアシリーズを見て、また劇場版にも足を運ぶのかというと、面白いからです。面白いし、そして考えさせられるからです。難しく考える時もあれば、楽に考えることもありますが、どちらにしても「面白い」のです。低俗なものなんてないんですよ。




と、ちょっと劇場版の内容からは外れてしまったかもしれませんが、ここまで書いてきたとおり、「過去と未来」というテーマ性を持ったストーリーとなっており、見に行って損はないと思います。

映画館では今しか見れないですよ!