隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

『クロクロク』『ひめドル!!』連載お疲れ様でした。そしていつも終わってから後悔する自分から抜け出せない

週刊少年ジャンプで連載していた2作品『クロクロク』(中村充志)、『ひめドル!!』(今日和老)が、2013年第52号をもって連載終了となりました。クロクロクは17話、ひめドルは16話での「打ち切り」でした。
「打ち切り」という言葉を使うことには抵抗がありますが、しかしジャンプを昔から読んでいる人であればあるほど、打ち切りであるかどうかは肌感覚で分かるかと思います。

連載、お疲れ様でした。

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どちらの作品も読み切りの時から好きでした。どちらの漫画も何より女の子が魅力的で可愛かった。クロクロクのヒロインである遊佐千秋は、純朴で素直でそこはかとないエロさを漂わせる素晴らしいヒロインでした。回を追うごとに、胸が強調されて描かれていたように思います(私にとってそれはご褒美にほかならないものでした)。ひめドルのヒロインは鮫島アルト。家庭の事情でヤンキーだけど、アイドルに憧れる普通の女の子(髪型とか服装が決まると最高に可愛い)という直球な設定を持った女の子で、彼女がアイドルである鮫島アルトになった時の「あの笑顔」は、何物にも変えられない幸せを私に与えてくれました。ずっとずっと、そんな彼女たちを眺めていたかった。


ジャンプはアンケート至上主義です。例外はあれど、人気が落ちてきたと思われる作品はだんだんと誌面の後ろを飾るようになってきます。アンケート至上主義、そんな事実は言われなくても知っていたことです。だのに、私はこれまで一度もジャンプのアンケートハガキを出したことがありません。
正直に言うと、ジャンプを読み始めた小学校高学年からずっとジャンプを「購入して」読んでいたかというとそうではありませんでした。初期は友達に読ませてもらっていました。中学はずっと買っていました。高校からだんだんと買わなくなりました(立ち読みで済ませていました)。大学時代は殆ど立ち読みでした。社会人になってからは3週間に1回ぐらいの頻度で漫画喫茶でまとめ読みしていました。そして今、ここ2ヶ月ぐらい、またジャンプを買い始めました。アンケートハガキは一度も出したことがありません。

2つの作品が終わりました。終わってから、後悔しました。「何でもっと応援しようとしなかったんだろう」と。ジャンプにかかわらず、サンデーでもマガジンでも、不自然な形で終わった作品を見ると、そしてその作品が大好きだった作品だった場合、本当に泣きたくなるほど悲しくなります。あぁ、この作品はもう続きが読めないんだ、って。でもそれはいつも連載が終了してから気づきます。

少し前に、これもジャンプで連載されていた作品でラクロスというスポーツをテーマとした『クロス・マネジ』(KAITO)という漫画が「打ち切り」になりました。なぜジャンプで連載されているのだろうかと思ってしまうような大人っぽい「爽やかなスポ根ラブコメ」でした。ヤング系で連載されていてもおかしくないような絵柄そしてストーリー内容でした。大好きな作品でした、そして終わりました。終わってから、あぁ終わっちゃった、と思いました。
更に1年前くらいでしょうか、これもジャンプで連載されていた『ST&RS-スターズ-』(原作:竹内良輔、漫画:ミヨカワ将)という漫画が終わりました。宇宙、そして宇宙人をテーマとしたミステリアスで且つ読者に勇気を与えてくれる素敵な作品でした。「空」という言葉には昔は「嘘」と言う意味もあった、という内容のお話は、今でも感動が脳裏に焼き付いています。恥ずかしながらコミックスを買っていないので、感想を書かれていたブログから引用させていただきます。

「ST&RS」第3巻 宇宙人のメッセージを受け取っていたいづみと真帆。共通する二人の過去とは? : 3階の者だ!!

(略)
ですがその星で友達とあまり遊ばなくなってしまい、付き合いが悪くなったと友達が減り、同時に宇宙からメッセージを受け取ったと嘘をついてる、と囁かれるようになってしまいました。
そんな状況になったのも、自分が宇宙人とか酷いことを言ったせいだと真帆に謝るめぐる。
ですが、真帆は嘘つきだと囁かれてもかまわないと言うのです。
「そら」は昔「ウソ」と言う意味もあった。
それは、昔の人は空なんて飛べるはずが無いと思っていたから。
だけど飛んで、そこから宇宙にまで行っている!

(元ブログさんでは、まさに私が感動したシーンのページを引用されています。是非元ブログさんの方を見ていただければと思います)


詳細に詳細に覚えているわけではありません。だけど、思い出そうとすれば直ぐに思い出せるほど、当時、私はこの漫画に感動させられたのです。だのに、そんなに心を動かされた作品であったのに、私は『ST&RS-スターズ-』が終わってからでないと、「もっと応援しておけばよかった」と後悔しませんでした。

何度繰り返せば理解できるんだろう

昔サンデーで連載されていた『かってに改造』という漫画がありました。作者は久米田康治さん。突然の打ち切りとなった作品で、なぜ打ち切りになったのか真相は闇の中。ネットでは盛んに打ち切り理由が議論されました。「ネタ切れ説」「編集長黒幕説」その他真偽不明な多くの説が現れたり消えたりしていました。
その後、マガジンに誌を移して『絶望先生』の連載を始められました(現在連載は終了しています)。絶望先生の単行本には「紙ブログ」という、かなり踏み込んだ内容が書かれる雑記コーナーのようなものがありました。厳密に何巻だったかちょっと思い出せないのと、本当に紙ブログだったか記憶が定かではないのですが、久米田先生はサンデーの打ち切りについて以下の様なことをおっしゃっていたと記憶しています。
「(かってに改蔵が)もしかしたら打ち切りになるかもしれない、と分かってからは漫画内でその危険信号を出していた、助けを求めていた。だけど誰ひとりとしてそれに気づいてくれなかった。なぜ連載中に気づいてくれなかったのか。終わってからでは遅いのだ」という内容だったと記憶しています(すいません、私の完全な記憶違いかもしれないのですが、ご存知の方いたら指摘をいただけると幸いです)。

終わってからでは遅い。「そんなこと言われなくても分かってるわ!」と言われたらそりゃそうなんです。だけど私はなぜか、それが実際に終わってからでは無いと、動けないようです。

漫画というものは、何もしなくても寄り添ってくれているもので、勝手に続いていくもので、それをずっと楽しんでいられるんだ……そんな傲慢な気持ちがあるのかもしれません。「漫画を読みたいのであって、政治的な部分に口を出したくないんだ」とさえ思っているのかもしれません。
でも、でも、でも、それはキレイ事なのかもしれません。 『クロクロク』『ひめドル!!』だって、連載中に私が感想記事を書いて、それが何かの拍子でポーンとアクセスが上がって、それをきっかけにネットで良くも悪くも盛り上がって、結果それが回り回って作品人気を押し上げたかもしれない……かもしれない、かもしれない。もっと作品を読み続けられることに繋がったかもしれない。……いや、こんな考えを持つことが傲慢なのかもしれない。

作品に力があれば、何も説明しなくても人気は出る、ずっと続く……という性善説に立ちたいという想いを、おそらく心のどこかで持っているけれど、でも、それだけでは、これからもずっと後悔し続けるかもしれないと思いました。
だけど、ここまで考えてもまだ、私は「いつも終わってから後悔する自分から抜け出せない」という考え以上に前に進めません。もちろん好きな作品は応援していきたいです。でも中々行動に起こせない。そもそも起こす必要がほんとうにあるんだろうか、とさえ思ってしまう自分に嫌悪してしまいます。

私は漫画家ではないですけれども、漫画の世界が優しい世界でないことは少しぐらいは分かっているつもりです。でも、なまじ「そういう事実」を知ってしまったら、今更だけれども、どういう態度を取っていくべきなのかちょっと最近分からなくなってしまいました。

終わりに

いったい自分はどうしたいんだろうか、答えが出ません。でもひとつ言えることは、漫画はとても面白いということです。漫画をずっと読んでいきたいです。でも、本当にそれだけでいいのでしょうか。分かりません。