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隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

作品を好きだからこそ「アニメ化アレルギー」になるんです

漫画・アニメ「実写化アレルギー」の人達にそろそろ本気でうんざりする - YU@Kの不定期村
「実写化アレルギー」な人達のある認識の強さに心底驚いた話 - YU@Kの不定期村
実写化アレルギーとか気安く言わないで欲しい - はてな匿名ダイアリー


アレルギー。過剰に免疫反応が起こること。
前2つの筆者は以下のような枕ことばを述べている。

昨日、人気アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の実写ドラマ化が発表された。
(略)
私のTwitterのタイムラインは主に特撮や映画が好きな人で構成されているが、それでも昨日は「あの花」の話題が尽きなかったのだから、この作品にとても人気があることを実感した。まあ、“話題”といっても、そのほとんどは悲鳴だ。「なんで実写化するのか」「またか…」「頼むからやめてくれ」「めんまが銀髪じゃないようだがスタッフは彼女がクォーターという設定を無視しているのか」。
(略)
しかし、最近やたらと過剰に、「漫画・アニメの実写化」に噛み付く人が多いように感じる(ドラマ版「デスノート」然り)。

漫画・アニメ「実写化アレルギー」の人達にそろそろ本気でうんざりする - YU@Kの不定期村

筆者の意見はまぁ置いておくとして、「アニメ化」においても、その発表がなされると少なからず話題になるかと思います。
アニメ化と実写化は意図も規模も同じものではないので実写化、アニメ化された作品を単純に比較しても意味が無いとは思いますが、とはいえここではアニメ化について考えたことをつらつら書いてみます。

結論から言うと、アレルギーになるのは仕方ないし、それは作品が好きだからだよ、です。

噛みつけるほど原作に触れているのか

ところでみなさんはそんなに原作に触れていらっしゃるのでしょうか。

私がアニメにきっちりと向かい合ったのは高校生でした。2005年から2010年ぐらいのアニメについては深夜に限って言うならば95%以上視聴していました。そのうち漫画・ライトノベルなど問わず、アニメ化よりも前に原作に触れていたものはほとんどありませんでした。誇張はしておりません。また、私の所持している漫画1000冊、ラノベ150冊ぐらいの内、8割以上はアニメを見てから購入したものです。
当時と比較して、より漫画雑誌やライトノベルに手を出すようになったため、現在のアニメにおいては「それなりに」原作を知っておりますが、それでも2割にも到達しないと思います。

そういった経緯があったので、アニメ化に対して悲観的な人を見ても今ひとつ感情移入ができないということが続いていました。なんでそんなにアレルギーになっているのだろうか、と真面目に思っていたのです。原作を知っていた作品がアニメ化した、という経験を初めてしたのは撲殺天使ドクロちゃんOVAだったと思いますが、文句のない映像化に不満がなかったことも、その思考を後押ししたと思います。


そんな私が最初にぶつかったアニメ化の悲劇は、ライトノベル『紅』シリーズのアニメ化でした。『紅』はスーパーダッシュ文庫から発刊されているライトノベルで、作者は片山憲太郎さん、イラストは山本ヤマトさんです。同作者の『電波的な彼女』シリーズと合わせて私の人生を変えた、支えてくれた作品で、アニメ化が決定した際はそれはもうワクワクしました。
なお先に書いておきますが、以下に書く作品への批評は私個人の思いなので、作品の評価とイコールでは考えないでほしいと思います。
さて、紅1話を見た私は少なからずショックを受けました。普段マイナスのことを感想に書くことは無いのですが、思わず書くぐらいには。「登場人物のイメージが全体的に違う」という小見出しを付けて、以下のように書いていました。

例えば弥生。弥生は紅花のお付きの人ですね。1話にしてかなり喋ってましたし、また現在連載中のジャンプスクエアでも結構影が濃いですよね。そして紅花。紅花がとても善人な人に見えてしまう。根が善人とかそういうのは置いておいて、クールという言葉が似合わない人になってる感じでしょうか。全体的にクールな人がクールに見えない現象に陥ってました、私だけでしょうか。

紅 第1話 EDのクレジットが読みにくい

そして2話にして、視聴を打ち切りました。

というわけで、前回の感想で散々原作とは比べないとか言っていたのですが2話を見てあまりにいたたまれなくなったのでうまく昇華させつつ書いていこうかなと。多少キャラの設定が違うのはしょうがないかなと思っていましたが、時々度を越えたものがあったりするのが見ていて一番辛い、と私は感じました。真九郎が学校で紫に電話しているとき銀子がドアの隙間から様子を伺うシーンがありましたが、銀子はそんなことしない。

飛影はそんなこといわない=銀子はそんなことしない


アニメ化に際して、初めて腸が煮えくり返った経験でした。強く強く、本当に強く失望し落胆し吐き気を催し、悔しくて辛くて泣きそうになりました。
そしてそこから、肌感覚で重要な知見を得ました。それは、原作への強い愛は、アニメ化アレルギーを発生させるには十分な力を持っている、ということです。
なお本項の見出しに「噛みつけるほど原作に触れているのか」と記載しましたが、この意味は、99%の人が原作に触れているのではなく、原作への強い愛を持っている少数の人達の声が強く上がっている、ということです。国民的レベルの作品や、映画化するなどで露出が多い作品はまた違うのでしょうが。


話を戻します。紅にて精神が崩壊しそうになった私は、同作者の『電波的な彼女』のOVAシリーズにて完全に精神を崩壊させます。

強い原作愛はアレルギーを引き起こす

強い怨嗟を示すために、当時書いた記事から長めに引用させてください。

さて、色々と書きたいことがあるのですが一番言いたい事を最初に書いておこうと思います。正直な所、電波的な彼女の原作1巻におけるあるシーンがちゃんと映像化されてくれていれば他のシーンがどんな出来だろうといいやっ、と思うはずだったんです。が、見事にそのシーンをカットされちゃいました。本編が約40分程度で1巻を丸々全て再現するなんて不可能だろうとは思っていましたが、カットしていいところと悪いところ位は分かってくれていると(発売前は)スタッフを応援していたのです。それだけに非常に残念です。つまり、ヒロイン堕花雨の素顔初公開シーン(特徴的な目が見えるシーン)のことです(もちろん目だけでなく顔立ちもなんですが)。なぜここまでこれを強調するかといいますと、単純に私がこのシーンが一番お気に入りだからです。人によりけりだとは思いますが、このシーンがとても良いシーンだということは原作を読んだ方なら分かると思います。山本ヤマトさんによる、あの雨の一枚絵。OVAと原作のストーリーの比較するためにこの絵をもう一度見てみましたがとてもよかったです。もうちょっと掘り下げますと、雨の素顔は安売りしちゃいけないものなんです、個人的には。OVAでは、原作でのそのシーンがカットされるだけでなく、見事に安売りされてました。具体的には、普通に目が見える(素顔が見えるシーン)がよくあります。最後の方はずっと見えたりするシーンもあります。

「電波的な彼女」 OVA 感想

この感想を見て、多くの人は「こいつ何言ってんだ」となったと思います。「お前がどういう風にアニメ化して欲しかったとか知らねーよ」とも思ったと思います。そしてキモいと思ったと思います。
一方で、一度でもアニメ化に強く強く落胆した人には少なからず共感いただけると思っています。たとえ電波的な彼女という作品を知らなくてもです。

『境界線上のホライゾン』から考える、原作付きアニメについての一考察という記事でも取り上げましたが、翻訳家の第一人者である戸田奈津子さんの翻訳について、通訳者で教授の鳥飼玖美子さんが、西村博之さんとの対談で以下の様なことをおっしゃっていました(参考:「英語公用語は必要か?」 ひろゆき×鳥飼玖美子 ‐ ニコニコ動画(原宿))。

――完璧でない場合があるという前振りを受けて。

ひろゆき「元々の、その映画の原作まで読んでますみたいな人と比べたら、やっぱりさすがにかなわないですよね」
鳥飼玖美子さん「原作まで読んで、そして映画をじっくり見てね、詳しい人って色々いますよね。そういう人から見たら、これは違うじゃないかって、それは出てきますけども、私としては大目に見てあげてくださいって」

「大目に見てあげてくださいって」だけ切り取ると「ふざけるなよ」という気持ちにもなりそうですが、前後の文脈からするとそれほど怒るところではないため、是非元ソースを見ていただければ幸いです。
少し補足すると、映画の翻訳作業というのは、映像を何回も見て綿密に考えられているのかと思ったらそうではなくて、僅か1回程度でダダダーと訳されていくのだそうです。そうしないと、多くの映画の翻訳作業が間に合わないそうなのです。さらに、日本語と英語による言葉の数の違いや、一行に何字という字幕の制約、喋る人のタイミングであったり…と、完璧はそもそも無理なんだということのようです。


でも、やっぱり好きなんですよね、作品のことが。この作品のこのシーンのこのキャラクターのこの仕草がね、このシーンの掛け合いがね、言葉の選び方がもう最高でね……一挙手一投足にのめり込んでいるというのはそういうことなんです。

ではなぜアニメ化アレルギーになるのか

前述したように、アニメ化に際しては愛ゆえの過ちがたくさんあることが分かりました。ではどうして、アニメ化することに対してアレルギー反応が出るようになるのでしょうか。
私の中では以下の仮説があります。

  • アニメの評価イコール原作の評価になりうるという不安から
  • ちゃんとアニメ化してくれるんだろうかという不安から
  • 一度アニメ化された作品が再度アニメ化されることは稀だから

1つ目について。これは鶏が先か卵が先かの問題になるかもしれませんが「アニメ化がうまくいくことなんか稀であるのに、その映像化が原作の面白さだと思われたらどうしよう、困る」というものです。作品を好きであるがゆえ、多くの人に作品を知ってもらいたいのに、もし微妙な出来だったら作品にもう興味を持ってもらえないかもしれない、という不安を持ってしまうのです。アニメやってたから見てみたけどなんか微妙やなww……あぁ……。

2つ目も1つ目に近いですが、ちゃんとアニメ化してくれるんだろうかという不安に襲われるのです。どうやって尺におさめるんだろう、それなりに説明が多いけど映像化は可能なのか、これは文字だからこそ映えるのではないか……好きだからこそ、原作の良さを生かして最高のものにしてもらいたいけれども……こんなことならアニメ化してほしくなかった……おぉ……。
そして3つ目は、1つ目と2つ目とさらにつながるかもしれませんが、もしアニメ化したものがイマイチだったら、もうその後アニメ化することはないんだろうなという不安です。最近でこそ、一度アニメ化された作品が再度アニメ化されることが多くなってきましたが、それでも多くはありません。
アニメ化ブームに乗って原作が利用されているのではないか、ただの販促のためだけのなんちゃってアニメ化になっていないのだろうか……もうやめて! ……。


長くなってきたので、そろそろまとめに入ります。

作品への愛をなめるなよ

つまり、私が言いたいのは、別に「実写化を批判するな」ということではない。「実写化するなら違って当然、いくつかの設定は変わるだろう。それがどう転ぶかは、観てみないと分からないよね」という姿勢が、なぜ取れないのか、ということだ。

漫画・アニメ「実写化アレルギー」の人達にそろそろ本気でうんざりする - YU@Kの不定期村

そんなことは百も承知なのだ。百も承知で、その上で我々は、アニメ化に際して、不安を抱くのだ。それの何が悪いのか。不安だし楽しみだし、ワクワクとビクビクが入り混じった感情で、成功を強く願いながらも「こうなってほしい」と一縷の望みをかけて制作側には届きもしないだろうと思いながらも不安点を上げるのだ。それの一体何が悪いのか。
もしかして、筆者が嫌悪する人たちは、原作になど何も興味がなく、とりあえず初報に含まれる設定を原作と比較し、相違点を挙げ連ね、「ここが違う!」「これも違う!」と叫ぶ。決まり文句は「スタッフは(原作を)分かってない!」。毎度毎度、お祭りのようにこれをやる人なのか?
もしそうなら、問題設定がおかしい。実写化やアニメ化が決まったときにそんな風に振舞う人たちに「お前たちには原作への理解がない」などと思っている人は居ないよ。せいぜい「まーたまとめサイトがPV目的のためにまとめているのか」だよ。
もちろんそこには問題はあると私も常々思っています。まとめサイトの影響力は少なくないので、実写化やアニメ化に否定的な卑劣な記事を見た人がその作品を見る前から嫌いになってしまうことがあるだろうということに対しては危機意識を持っています。
でも、そのことと「実写化は違って当然」という認識が圧倒的に欠けていて、悪い意味で原作至上主義な人が多すぎるのではないかという批判は全く噛み合わないわけですよ。レイヤーが違いすぎる。つまり主語がでかすぎるくせに脇が甘々すぎる。

終わりに

受け手はそんなにバカじゃない。