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隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

『君の名は。』に私の頭は占拠されている

アニメ 映画 君の名は。

本記事は現在公開中の映画『君の名は。』のネタバレを含みますので、その点ご了承いただければと思います。
また、作品そのものというよりは、作品から受けた私の気持ちが多く綴られています。








随分と久々のブログの更新となりましたが、そのきっかけが新海誠さんの最新作『君の名は。』だったことは、必然ではないけれども偶然でもないと思っています。前作『言の葉の庭』のおかげで私は会社を辞めずに済んだと言っても過言ではありませんし、代表作『秒速5センチメートル』は、私の心をいつまでも掴んで離しません。

幾つかの映画を見に行った際に、新海誠さんの最新作が間もなく公開されるという情報を予告映像にて見ていましたが、正直なところ、予告映像を見ても心が踊らなかったことを覚えています。


当時を頑張って思い出すと、私はどうも「リア充っぽいなぁ」という感じていたようです。隣に座っていた女性二人組の一人が、予告映像が終わった瞬間に「これ面白そう」って言っていたのが耳に入ったのも、それに余計に拍車を掛けたのかもしれません。

どうも、若い男女が入れ替わるという。良い意味で普通の恋愛が描かれそうだ。予告からそんな表面上だけを受け取り、あぁこれは見ても自分は幸せになれないだろうなと強く感じてしまったことを覚えています。上から目線で言えば、あぁなんか普通の作品になりそうな気がする、みたいな(ひどい話ですが)。



というような自分の中の前評判だったものですから、見に行くとしても終了直前になるだろうし、最悪劇場に足を運ばないかもと思っていました。それよりも『シン・ゴジラ』に強く惹かれていて、『君の名は。』を見る前に既に2回劇場に足を運ぶほどでした。

ではなぜ『君の名は。』を見に行こうとしたかというと、それはもう単純で、仕事から逃げ出したかったからに他なりませんでした。昨年から今年にかけて、休まるどころかどんどんと苛烈になっていくプロジェクトと仕事量に、常に体と心は疲弊していて、荒んでいました。
見に行ったのは土曜日。幸いにして土日は休みだったものの、その週も毎日泥のように働き、夢にまで常に仕事が付きまとうほどでした。だから土曜日、目が覚めて、仕事が無いことにホッとして昼過ぎまで二度寝して、のそのそと起き上がり、スマホを触りながら、みぞおちの下辺りが痛むのを感じたとき、これはもう何かに逃げないと壊れてしまうと思いました。
だから、無意識的に劇場情報を調べ、チケットを取ったことを覚えています。
私は『君の名は。』にすがったのです。新海誠さんの作品なら、今の私に、良くも悪くも影響を与えてくれるはずだと、すがりました。

映画の開始時間までは2時間近くありましたが、家にいる気分ではなかったので、映画館近くの漫画喫茶で時間を潰しました。漫画喫茶までの道すがら、私は少し後悔していました。今この気分で、この精神状態で新海誠さんの作品を見ることは危ないのではないか、と何度か自分に問いかけていました。止めたほうが良いのではないか、でもチケット取ったからやっぱり見たほうがいいかな、などと逡巡していました。
少なくとも私の中で、新海誠さんの作品は劇物になりうるものなのです。何かが壊れるきっかけになる可能性を秘めたものなのです。
ただやはり、結果的に、私は土曜日の夕方からの上映に足を運びました。

飲み込めない

よほど最近の私は頭が仕事でいっぱいだったようです。本作品は時系列が多少複雑で、ちゃんと集中してみていないと、あれどうなったんだっけ、と混乱しがちではあります。とは言え、死ぬほど複雑ではないため、普通に見ていればそれなりに納得感は出てくるはず……なのです。にも関わらず、私は見終わって最初に感じたのは、もやもや感でした。
圧倒的なもやもや感だったのです。なんというか、消化不良感とも少し違う、感情をどこへ持って行ったらいいのか分からずただ右往左往するだけの感覚とでもいいますか。

各所に散りばめられた伏線に対して、つながりを持って接せられないと言いましょうか。その時々に対して「あ、そうそう、そうだよね」と思うだけ。「髪を切ったのは失恋したからだよね」なんて、思うだけ。なぜか線にならない感じが続いていました。
だからだったのもあるかもしれません、糸守市が彗星災害によって跡形もなくなってしまっているという事実が突きつけられるシーンは、本当に息をのんでしまいました。時間が一瞬止まりました。

災害の事実の発覚までは、若い二人が楽しそうに青春している、それに対してただ漠然と眺めているだけだった私は、災害の様子が描写された瞬間から頭がおかしくなりました。ぼうっとなってしまって、その後の話の内容が全然頭に入ってきませんでした。物語の中の時系列は完全に吹っ飛び、並行世界などという概念は僅かにも浮かばず、ただ画面上で繰り広げられる男女の姿を、ただただぼうっと眺めることだけしかできませんでした。

いつの間にか、糸守の住人は助かり、現在まで時間が針を進める部分まで来ても、まだぼうっとしていました。そして最後に、二人が出会えて、エンドロールが流れるそのときになって、初めて「あ、終わった」とようやく息を吐くことができました。

劇場が明るくなり、満席の映画館から人が流れだす波に逆らわないように、しかし思考はとても不明瞭でふわふわしていてどこか上の空で、エレベーターを待つ間も周りの楽しそうな感想も頭に入らず、ただただもやもやとしていました。


帰宅してから、ネットで作品についての考察記事やインタビュー記事を読みまくりました。貪るように読みました。今自分がホワっとしているのはきっと、普通じゃないに違いないということを確認したかったのだと思います。誰かが皆が書いている確からしい感想や考察が無性に読みたくなったのです。そこには、私が気づかなかった時系列の妙や、細かな演出の機微、そして素直な感想がありました。

同時に、ひどい気の持ちようで映画を見てしまったんだという後悔がありました。だから、2回目を見に行きました。

飲み込めた

細かな一つ一つのシーンについて、より強く自分の感情が現れました。さらには、点ではなく線として物語を理解することができました。三葉、そして瀧の心の機微が手に取るように分かりました。そりゃ泣くわ、切ないわと。
「お前さぁ、知り合う前に会いに来るなよ」という言葉の重さが、かたわれ時の奇跡が、二人の決意が、そして助かったからこその記憶の薄れが……全てが愛おしくて、ゾクゾクとしてくるのです。
舞台はどこなんだろうか、行ってみたいな、とか。口噛み酒って確か本当にそういうことをやっているところがあったような、とか。三葉って美人という設定だけど、スタイルの良さはどの程度なんだろうか、とか。東京まで意外と近いんだな、とか。それもまた結び、というフレーズは使いやすいな、とか。瀧くん……瀧くん……ってつぶやきたい、とか。音楽と映像が組み合わさると、やっぱり飛び切りすごいな、とか。オープニングがあるのは地味に良いな、とか。三葉ちゃんかわいいな……薄い本は出るかな……とか。
止めどなく想いが溢れてくるのです。楽しいのです。思考が占拠されるんです。


あぁ、また救われてしまったと。新海誠さんの作品に私はまた一つ、命を救われたと。1度目に見た自分の心はダメだったのだと気付かされ、2回目を見るために心を解きほぐすことができ、そして飲み込み涙することができました。そして、どんどんと明るい思考に頭が占拠されるのです。

すごいすごいぞ、皆が見ているぞ

twitter で『君の名は。』と検索すると、中高生の若い子達の感想がずらりと並ぶ。驚くほど並ぶ。面白かったと、見応えがあったと読み切れないほど並ぶ。これを素晴らしいと思わずして何がオタクか。暇があったら検索して読んでいる。
アニメや漫画などというコンテンツが、昔のテレビのコンテンツのように、若い子たちの共通言語として消費される土壌に来ているということはもちろん分かっているつもりでした。でも、これはやり過ぎだろうと。こんなヒットするなんて……レイトショーでもほぼ満席がまだ続いているとか……。すごいことだなと本当に本当に素直に思いました。

毎日twitterを検索して、若い子たちの思いを読むだけで、私は救われてしまっています。いつまでこの人気が続くんだろう、興行収入は一体どこまで伸びるんだろうと、ワクワクしながら毎日を過ごしてしまっています。

終わりに

本作の二人は最後に出会うことができましたが、出会えなかったという結末を迎えてほしいという願望が出てこなかったというと嘘になります。しかしそれはきっと、この物語が幸せな形で終わったからこそ思える、とても贅沢な願望なのだと思いました。
三葉、瀧、この二人の想いはとても強く、歪んでいない形で存在していました。だから、二人の想いが最後に叶うことは、物語としては必然だったのかもしれません。


あぁ、やはり新海誠さんの作品は素晴らしい。



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