隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

『ペンギン・ハイウェイ』はSF作品特有の後味の良さがあった

遅ればせながら、『ペンギン・ハイウェイ』を見てきました。

penguin-highway.com


大阪市内の近い映画館は比較的上映回数が少ないため時間調整に少し手間取りましたが無理無い範囲で予約。

見てきたわけです。
未来のミライがテレビなどでは大々的に押される中、弟から「未来のミライは見にいかんでええで」などと言われてしまってますます悩みました。アニメ映画、何を見ようか。結局はペンギン・ハイウェイに落ち着きました。
CMを見てもいまいちどんな作品かピンとこず、twitterを見たらやたらとおねショタおねショタとうるさい。事前にレッテルをはられると見たくなくなるのですが、好奇心のほう上回りました。
本記事はネタバレを含みますので、未視聴の方は特にお気をつけください。

「ペンギンは極地以外にも生息している!(キリッ」

ずっと考えながら見てたので、実は見終わった後に、超絶すっきり感はありませんでした。ホントは、頭空っぽにして、アオヤマくんに推理は任せておいたら良かったのかもしれない。
ただ、得も言われぬ開放感みたいなのがありましてですね。あら、ふわーって解決しましたね、みたいな。

実は細かなところは記憶に残っていないので、まずは箇条書きで印象に残ったところを書いてみたいと思います。

  • アオヤマくん超研究者資質。お父さんの影響だと思うけれども、お父さんも理系の研究者のようである
  • ペンギンの動きがいちいちかわいい
  • いじめっ子の設定は、やはりもにょる(やっぱり最後はいい子になるストーリーを入れてくるあたりとか)
  • 将棋ではなくチェスなのは、深い理由があるのかどうか(お洒落だからだろうか)
  • アオヤマくんの仮説の立て方が大胆で、検証のスピードが早いことが心地よい
  • 思っていたよりはおねショタしていなかった(本当に? 属性がないだけでは? いやいや、健全でしたよ)
  • おっぱいを否定しなかったアオヤマくんは偉い(否定しないどころか認めている)
  • 歯医者のお姉さんという圧倒的な設定の強さ
  • ハマモトさんのお父さんが怒ったところは、ちょっとビクッとした


さて、本作はペンギンが主役……だとは思うのですが、大学生時代に以下の本を読んだことがありまして、ペンギンの生態については知識が僅かながら残っておりまして、その一つはペンギンは北極・南極以外にもたくさん住んでるよーというものでした(リンクはAA)。

ペンギンの世界 (岩波新書)
上田 一生
岩波書店
売り上げランキング: 98,821



しかし現在本書が手元にないので確認できないのですが、ペンギンの種別によっては極地にしか住んでいないものもいたはず。
ということで、便利な機械が目の前にあるので本作のペンギン「アデリーペンギン」について調べてみたところ、南極大陸とその周辺の島々にて生息・繁殖するようです。
penguin-book.com

アオヤマくんが本編で「極地にしか生息しないペンギンたちがなぜ」などと言っていたので「それは違うぞ」みたいなツッコミを映画を見ながら入れていましたが、ツッコミを入れられるのは私の方だったわけです(アオヤマくんはアデリーペンギンと固有名詞を使っていなかったと思いますが、そこは単純に省略されていただけでしょう)。恥ずかしい。

冒頭に「ペンギンが主役……だとは思うのですが」と書いたのは、本編でペンギンが出ずっぱりではなかったから。むしろスパイスだったのだと。それはアオヤマくんとお姉さん、二人の甘い……いや甘くもない夏を描くための。
ペンギンって愛らしいし、非日常感を出すためには打って付けなんだなと改めて感じました。これが虎とかライオンだったら、非日常感はあるけど、可愛らしさとか言ってる場合じゃないですし。
ペンギンだから許されるギリギリ感が心地良い。のんきでいられる。

ハマモトさんのお父さんはなぜ怒ったのか

危ない場所に娘がやってきたことに対して怒ったというのは割と簡単なわけなんですが、俺の研究を邪魔するなという怒りもあったのかなと映画を見ながら考えていました。
それ故に、実の娘に対して研究成果のために怒るという構図が怖く、一番狂気を感じたシーンでした。

また、スズキくんたちがテントの中で嬉々として成果を話しているのを見てハマモトさんが駆け出す、それを止めようとしたお父さんがランドセルのみを持って止めるという古典的な止め方をしたことはこれまたショックを受けました。
ランドセルだけで止めても、子供って止まらないですよ、もちろん映画のようになる。しっかりと止めるのなら体をギュッと押さえてあげないといけないし、あの場面ではそうするべきだったと思う。
ハマモトさんのお母さんの描写が無かったので、亡くなられたのか離婚されたのか。お父さんは娘と普段からも上手くいっていたのだろうか、などといろいろ考えてしまうシーンでした。

ハマモトさんも研究者の気質を持っているようなので、お父さんの背中を見て育ったのではと思うものの、実はお母さんも研究者で、みたいな設定もあるのかもしれない……などととりとめのない事をずっと考えてしまいます。
原作を読めば分かるのかもしれないので、気が向いたら手を出してみようかなと思います。

お姉さんは何だったのか

正直映画の細部を覚えられなかったので、映画を見終わってからもきちんとした答えは持てていないのですが。

すべての始まりは謎の球体の“海”、ですよね。これに呼応するようにお姉さんがやってきた、生まれた、と。
海が秩序を乱すものなのだとしたら、お姉さんはそれを止めるもの、的なよくありがちな設定を考えてしまいます。
海自体は世界の表裏、アオヤマくんのお父さんが言ったとおり、巾着袋をひっくり返せば、裏が表になる。

我々の世界の裏側には世界があって、それがいつも横たわっていて、時々表と裏を入れ替えようとする、それが海。その海が現れる時、どこからともなく現れるのがお姉さん(のような役割の人)。秩序を乱すものと調停者的な。
はたして世界はもとに戻るが、海が消えればお姉さんも消えてしまう。しかし世界は繋がっているのだから、きっとお姉さんにはまた会えるよ……。そんな感じでしょうか。

なんか小学生並みの推測になってしまいましたが、映画にはこれぐらいの情報しか提示されていなかったようにも思えます(記憶が飛んでるのでなんともですが)。いや、読解力が高くないだけですね。

そう、読解力の低さと、映画でも明示的に答えを出していなかったため、自分の中では「謎が解けた!」のようなスッキリ感はなかったのです。
しかし上述したように、得も言われぬ開放感みたいなものがありましてですね。これがSF作品特有の後味の良さなのかもしれないなーと思ったり。
全然解決してないけど、とりあえず解決したぜ、っていうあの感覚。もう元には戻らないんだっていう、青春が終わった取り戻せない、あの感覚。

終わりに

おねショタの爆撃情報に惑わされず見に行ってよかったなと思いました。
もう一度見たい気もするし、もうお腹いっぱいな気もするし、というSF作品独特のあれを感じられて良きでした。