隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

『かくしごと』を同一巻複数所持してしまいました

現在アニメも放送されている漫画『かくしごと』。アニメを見ていたら原作を読み返したくなっていたのですが、今日出かけたときに突然「今日はかくしごとを読もう」という気分になりまして、帰りに本屋に寄りました。
確か何巻か買ってなかったなーと思って、できれば全部読みたいという気持ちで探したところ、全く思い出すことができませんでした。

6巻は読んでいたはずだし、7巻は見たことがある表紙な気もするし無い気もするし。
ただ、外して読めなかったときのショックが激しいので、えいやと7巻から最新11巻までを購入し、帰宅してから読み始めたのですが、なんとまぁ7巻は読んでいました。
で、8巻を読みだしたらなんか見たことがある始まりだなと思ってたら、やっぱり読んでいました。よし9巻だと手にして最初のカラーページをめくった瞬間読んだことがありました。

10巻11巻は未読でしたので、たいへん楽しませていただきました。また既読巻も改めて楽しませていただきました。


10年前くらいだと、被る可能性があっても問答無用で全巻買うくらいの勢いだったのですが、今日本屋で久しぶりにこのシチュエーションにあたったとき、ちょっと躊躇があったところが歳をとったなと感じた瞬間でした。
10年前よりは間違いなく経済的には余裕があるはずなのですが、なぜ躊躇をもたらしたのか……慢心、環境の違い


とはいえ躊躇は一瞬だったのと、複数所持することに全く抵抗はありません。このあたりはオタクの血というのでしょうか、むしろ誇らしいとさえ思うというか。久米田先生の作品ならいくらでも所持しても痛手にはならないでしょう。
それよりも驚いたことが、本作品がなんと12巻で終わってしまうということ。しかもそれって今月発売らしいという、何というタイムリーと言うかなんというか。いや逆で、なんでこのタイミングで知るんだろうという。遅すぎる。

結局なんというか、真のファンではないのかもなと思ってしまうところもある。久米田先生は結構「どうしてあの時に応援してくれなかったのか、あんなに危険信号を出していたのに」(意訳)というようなことをよくおっしゃっている。

かってに改蔵が、打ち切られてから「なんでこの作品を終わらせたんだ」とか「面白かったのに」とか言うんじゃなくてなぜ連載されている時に言ってくれなかったのかと、そういう気持ち。絶望先生か、かくしごとのいずれかのコミック内ページで特に明確に書かれていたからすごく記憶に残っている(がすぐに思い出せない体たらく)。

円満に終わるのかそうでないのかは読者からはあまり分からないこともありますが、少なくとも真に向き合っていないとそういうサインは見落としがちなのだと思う。
そういう意味でかくしごとはアニメが始まるまでは原作をちょっと追うのを止めていたので、果たして応援する権利があるのかどうかとかそういうことも考えてしまうのですが、とはいえ面白いのだから読みたいし、面白かったからブログにも書きたいというところで許していただきたい……。

というわけで、俄然生きる意味が強くなってきたので6月も頑張って生きたいと思います。