隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

「○○は俺の嫁」と「ガチで好きなキャラ」

新番組が始まり出すと、○○は俺の嫁という言葉がそこらかしこで用いられますよね。そしてその新番組が終わるとその嫁は捨てられ次の嫁へとすぐに乗り換えられることが多いようです。最終回で「このキャラがもう見られないなんて!」と嘆いていたと思ったら、次クールのアニメの番宣が流れると「これはかわいい!」とすぐに切り替えを行う人がアニメのまとめ記事で取り上げられるのはすでにネタとして確立してると思います。嫁なんだからそんな簡単に乗り換えるなよという気持ちはごもっともなのですが、「○○は俺の嫁」に関しては一過性のものであって良いと思います。前置きが長くなりましたが、「○○は俺の嫁」で表すキャラと「ガチで好きなキャラ」という言葉で表現するキャラとではニュアンスがかなり違うように見えて、実は両立する事も多いですよねというお話。
具体的な作品で説明してみます。例えばけいおんという作品を挙げますと(各キャラ好きな方に石を投げられそうですが)、私にとっては律っちゃんは嫁キャラでガチで好きなキャラなんです。しかしムギちゃんは好きなキャラではあるものの俺の嫁とまではいきません。また唯は可愛いキャラでとても好きなんですがなぜか俺の嫁まで昇華されません。逆にあずにゃん俺の嫁レベルまで達しているように思いますがガチで好きなキャラではありません。同じようで微妙に違うこのニュアンスを分かっていただけるでしょうか。
嫁キャラとガチキャラという表現はひとまず置いておいて、あなたが執心しているキャラクターがいるとします。そのキャラクターは「○○は俺の嫁」と「ガチで好きなキャラ」という双方の意味合いを持ってませんでしょうか。逆に言うと、どちらかだけで表せてしまうキャラクターは実は心奪われるという所までは到達していないのではないでしょうか。少し暴論かもしれませんが、自分が過去に執心していたと思われるキャラについて改めて考えてみると「確かに嫁キャラなんだけど、本当に心のそこからガチで愛してると言われると困る」というキャラがちらほらいました。
あるキャラクターに執心するようになる過程として

  • まず何らかのきっかけからそのキャラクターを可愛いと思う
  • 可愛いという表現から何段階かレベルが上がり「○○は俺の嫁」と思えるキャラになっている
  • いつしか嫁でありながら「ガチで好きなキャラ」になっている

というものがあるのではないかと。この一番下の段階まで行くとそのキャラに「心奪われている、固執している、執着している」状態になって、さらに悪化すると「病的」になってしまうのではないかと(ネタにマジレスしてしまうとか)。上のけいおんの部分を読んで、「澪が取り上げられていないじゃないか、どういうことだ!」とネタではなくかなり真剣な気持ちで突っ込みを入れてしまった人(さらには怒りさえも感じてしまった人)は、澪というキャラクターをとても愛している人だと思います。
今回はかなり断定的な書き方を多くしてしまったのですが、ふと冷静になってもう一度自分の好きな(好きだった)キャラについて考えてみると面白いかなと思います。自分ではかなり好きだと思っていたキャラが実は今ではあまり執心していない、というのが私は多かったです。ただし、一度でも心奪われてしまったキャラクターはそう簡単に自分の意識から消えてくれません。例えば即売会で同人誌を見かけると私は必ず手にとってしまいます。