隠れてていいよ

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神のみぞ知るセカイのかのん編は、やっぱり冗長すぎる説

以前書いた神のみぞ知るセカイ、かのん編から感じる、劇中歌商法のやりすぎ感という記事の姉妹的な記事です。

「歌の時間が長いんだよ」と感じていましたが、実際にどんなもんなのか、かのん編3話について検証してみました。視聴者が歌を意識してしまう時間、という観点から計測しました。多少ズレはあると思いますが、概ね信用していただいても大丈夫かと思います。

結論から言うと、5話は4.65分、6話は2分、7話は5.58分、3話合わせて12.2分ほど。最も連続して続いたのは7話の5.58分でした。

計測していて思ったこと

歌の計測中は1.5倍速で再生を行っていたのですが、それでも長いと感じました。冷静に考えなくても、本編の時間の内、歌の部分が多すぎでしょう。
最大限好意的な見方をすると「演出」です。つまり、このかのん編という編を成立させるためには不可欠であった、またはより魅力的にするために必要だった、という観点です。
これについて少し掘り下げます。

原作の良さとは?

まだ3回と読み返していない原作ですが、なぜ原作の神のみぞ知るセカイにハマったのか、面白さはどこにあるのかは、おぼろげにですが、感じているつもりです。
神のみぞ知るセカイにおいて、主人公の桂馬のやっていることは「心のスキマを埋めること」です。私たち読者がどこにカタルシスを感じるかというと、多くは「問題を抱えていたヒロインやその周囲が、変化する」部分だと思います。そしてそれを達成するために努力する桂馬やその周辺の部分が付随してきます。
この解釈は私が原作を読んで感じたものです。そして私のこの解釈をアニメに持ち込むと、劇中歌商法は蛇足であると言わざるをえない。

歌を使った演出をするのはアニメの特権でしょう。映像化されるというのは、そういった演出が可能だということです。では成功する例とは?
これは以前の記事でも書きましたが、歌はストーリーに「付随」しているものだ、という印象を視聴者に与えることだと私は思います。「劇中歌商法だなぁ」と思われるのは良いのです。ですが、同時に「いいなぁ」と思わせないと駄目なんです。歌が、そのストーリーを、キャラクターを、何百倍にも盛り上げないと―。

話を戻します。(自分が感じている)原作の良さが無くなっていると悲しいし、「無駄だと感じるもので」その良い部分が消されていたり、または短縮されていたりすると、非常に悲しい。

私が今回、(長すぎる)歌の部分を蛇足だと感じたのは、(私が)作品に対して求めているものと、実際に見ているものが違っていたからだと言わざるをえない。原作を読む前に歌についての記事を書いていましたが、その時も上と同様の考え方をすれば分かります。「5話までの神のみぞ知るセカイに求めていたものと、5話〜7話の神のみぞ知るセカイに求めていたものが違っていたのだ」と。

分割2クールという暴挙

神のみは分割2クールだそうです。分割2クールということは、少なくとも2クール目のストーリーは概ね考えてあり、それを加味して1クール目のストーリーも考えてあるわけなんですよね。仮定の話ばかりしても駄目なんですが、もしも2クール目が「イマイチな出来」だった場合、そしてそれが「尺が足りなかったことによる」イマイチ感だった場合、その時1クール目の劇中歌商法は、さらに批判され、そして作品自体の評価が下がってしまうという未来が、容易に想像できます。

1クール目が終わった頃には、原作に手を出しているアニメ組が多いことでしょう。逆にそれが怖い。

仮定の話ばかりで、さらにネガティブな話ばかりで申し訳ありません。是非、原作を読んでいただいて、評価してもらいたい。多分に、私の主観が入っております故。