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俺妹8話が気持ち悪い理由

伊藤誠Pがブチギレた」なんて話を聞いていた8話を、今更ながら視聴を終えましたが、あぁなるほど、吐き気がするほど気持ち悪い。
何も難しい話では無いと私は思います。誰も得しない話は見ていて“しんどい”それだけだと思います。それは「悲しいお話、辛いお話」とは違います。

アニメスタッフの絵柄が、いわゆる中の人調である

中の人なんじゃないの、とか、なんかリアルっぽく書かれてるなって感じると、そのキャラクターの言動は全て「中の人」の本音なんじゃないの?って邪推してしまいます。ここは重要だと思います。
今回の筋書きが、所詮アニメの中の脚本であっても、「実際の作品作りもこんな泥臭くて、大人の都合が蔓延っていて、原作アニメってだから難しいんだね、だから―」って思わせる可能性があるなら、細心の注意を払って描写されるべきだと思います。ネタをネタと見抜けない、ではないですが、デリケートな話題であるほど、感情的に受け取ってしまうということは、事実だと思います。

桐乃が作品に込める愛を、スタッフのきついセリフを際だたせるために使う

作品への熱い想いを、そんな目的のために使っていいわけがない。熱い想いは、熱い想いで返すためにあるべきであって、熱い想いを冷めた現実的なもので被せて否定していいわけがない。否定することを否定しているわけではありません。ただ、少なくとも「大人の都合」で返すという行為は、それがたとえ(現実的にもアニメ的にも)事実であったとしても、ひどく視聴者を落ち込ませる、しんどい思いにさせることは、すぐ分かると私は思います。

真剣な思いに対して、そもそも論で返したり、あまりな「現実論」で返す

おそらく、制作者側は8話に関して「痛快さ」を出したかったのだと私は思います。どの辺が痛快なのか説明します。
当初はアニメ化に対してスタッフが否定的意見ばかりで、原作を蔑ろにする発言を繰り返します。原作を貶します。それを京介や黒猫たちが、ぶっ潰す、そこに痛快さを感じてもらう、というのが8話の制作者側の意図だと私は感じました。または、本編ではこうやってスタッフが悪く描かれていますが、本当の制作ではちゃんと原作のことを一番に考えてやってますよと、逆説的に伝えたかったとか…苦しいかな。

ですが、私は痛快さは感じなかった。むしろ痛さだけを感じました。なぜか?それは、お互い(スタッフも京介たちも)他人を責めているだけだから。お互いを否定しあっているだけだから、だから腸が煮えくり返る。

うまく視聴者に伝わるかといえば、案外そうではない

制作者側の行間を読み取る作業は正直しんどい。多くは額面通り受け取り、少しは考えるけれども、良い方に考えたり悪い方に考えたりするのは時間もかかるし、頭も使うからしんどい。
これは私が分析作業を投げ出しているとかそういう事を言いたいのではなくて、例えばリアルタイムで一度しか見ていない層に対して、どういった影響を与える可能性があるか、ということをどこまで考慮しているのか、ということです。視聴者は「これは無いな…」と感じると、それ以降の話さえもテンションが落ちた状態で視聴する可能性が、もしかしたら、あるということです。

まとめ

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