隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

放浪息子に嫌悪感を感じているのではなく、自分に嫌悪感を感じていただけだった

上の記事は、最近それなりに盛り上がっていると勝手に思っています。

さてさて、放浪息子2話を見ました。私も放浪息子には困惑している部分がありまして。というのは、一体感想に何を書けばいいのか、ということです。そんな気持ちを素直に出したのが1話の感想「放浪息子の感想は何を書けばいいのやら」でした。タイトルが投げっぱなし過ぎて非常に申し訳ない思いなのですが、でもそれが素直な気持ちだったのでそのまま書き下したのでした。

どうして自分が、こんなよく分からない気持ちになるのか少し考えてみると、それなりには納得できそうな理由が出たので書いてみます。先に結論を書くと、

例えば、同性愛が嫌いではない

同性愛が受け付けない、とか女装趣味が駄目だ、とかそういう理由でないことは分かっていました。でも、何故か生理的に受け付けない時に感じるような、よく分からない気持ちになっていたことは間違いありませんでした。

最初は、自分の中学時代の事を思い出して、重ねあわせて、トラウマを感じているのかなと思っていました。私自身は、中学生にあまり良い思い出がないので、そもそも中学を舞台にしたリアルな人間関係が受け付けないのではないのか?という仮説です。
ただ、これは違う気がしました。もちろん、これも一要因ではあるとは思います。が、本質的な問題ではないと感じました。

「ボーイッシュな女の子っていいなぁ」

放浪息子のテーマって、決して軽いものでは無い、と思っています。そんな放浪息子に対して「ボーイッシュな女の子っていいですよねぇ」とか「こんな可愛い子が男の娘のワケがない」といったことを、書きにくい、と思ってしまうんですね、不思議なもので。
何でそこで自分を制限するんだ、と思われるかもしれませんが、これには人間の何らかの心理が働いているのかなとも思います。もしかしたら専門用語があるかもしれません。

書きたいんだけれど、「周りからどう思われるかな…」という、ある種の日本人気質な部分なのかもしれません。自分としてもこの部分を変えていきたいと思いますが、なかなか難しいというのも事実です。頑張れ自分、と鼓舞し続けています。

まとめ

同性愛とか女装趣味とかそういう部分に嫌悪感を感じてるのではなく、そういった土壌が存在することで、感想をうまく表現しきれない自分に嫌悪感をいだいているのかな、という仮説。もしこの仮説が正しいとするならば、このジレンマから抜け出し、自分の思うがままに感想を書くことが解決の道なのかなと思います。もちろん、これが答えではない可能性もあるので、放浪息子にはしばらく付き合って、精度の高い仮説を立てられたら、と思います。

放浪息子の感想記事を巡回する作業に入ります。