隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

桐乃原作アニメ化の8話は、俺妹の中でやっぱり異質だと思う

最近ニコニコ生放送で、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」というアニメ作品の一挙生放送が行われたのをご存知でしょうか(ニコニコアニメスペシャル「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」一挙放送)。総来場者数は約27万人、総コメント数約111万と、いわゆる公式生放送の規模としてはかなり大きい方です。
私はプレミアム会員ではないので公式放送からは追い出されることが多く、有志の方のミラー放送(公式コメントも流している)を複数窓で見ていたのですが、これが面白い。いろんな人の脊髄反射に近い感想が同時に見れるんです。
ニコニコ公式でのコメント、ミラー放送でのコメント・生主のコメント、twitterのTL…ここまで数が多いと、それなりに傾向が見えてきて面白いんです。

今回この記事で取り上げたいのは、桐乃の携帯小説「妹都市」のアニメ化を描いた8話です。8話については、私はあまり良い印象を持っていないのが事実で、今回の生放送でも、その思いは変わりませんでした。

ただ、いろんな人の感じ方に触れて、思うところがあったのでまとめておこうと思います。

なお、8話についての私の感想・感情は、「俺妹8話が気持ち悪い理由」「俺妹の桐乃の妹キャラ好きは、同性愛の問題を孕んでいるの?」の記事が詳しいですので、よろしければどうぞ。

8話の制作(改変)意図は何?

なぜ私が8話に違和感を持つのか。あの8話を額面通り受け取るならば、原作がアニメ化する時というのは、「原作が製作者側によって蔑ろにされ、売上のためにストーリーの根幹さえ変更することがある」ということでしょうか。
私もアニメ制作に詳しくないので、どこまでのレベルでこんなことが行われているか分かりませんが、好意的に見れば、きっと極端な例なんでしょう。いや、さらに好意的に見れば事実ですらないのかもしれません。製作者側の、反面教師的作りなのかもしれません。

この放送後、それなりにネットでは盛り上がったと思います。製作者側のプロデューサーがtwitterで怒りを顕にしたことも、燃料になったかと思います。

誰か、8話のこれだ!って納得出来る製作者側の意図を教えていただけませんか。

アニメの最終消費者は、ただの人

世の中、アニメを、それこそブログの感想を書こうと深く読み解こうと思っている人もいれば、一度だけ軽く見ている人もいます。アニメ業界に詳しい人から、全く知らない人までいます。「アニメ業界ってまぁ、あんな感じだよね」と達観した思いを持つ人もいれば、「うわひっでーwww」で終わる人もいます。
どちらのほうがより「イメージ」が残るかというと、後者です。彼・彼女らは内輪で原作云々について語らうとき、「原作ってアニメ化されるときに製作者側にめちゃくちゃに内容弄られるらしいぜ」「原作とか名前だけあるだけで、原作者の意向なんて殆ど入ってないし」なんて話すんじゃないかと、私は思うんです

これって、アニメ全体に対して物凄くマイナスになると私は思うんですよ。それは、命をかけて、より良いアニメにしようと、原作からキャッチアップして、原作者と相談して、出来ることは一緒になって考えて、出来ないところは一緒になって議論して、そうやってみんなが関わって最高の作品が出来上がる…そうやって頑張っている人にとって、あまりのマイナスだと私は思うんです。

きっと、俺妹8話のような現場も沢山あるのだとは思います。ですが、そうでないことも沢山あるはずだと思っています。でもイメージとして残るのは「やっぱり、アニメ化ってこういうことなんだなぁ」という部分なんです。イメージは想像、事実ではありません。その人が感じたこと・思ったことが頭の中に残っていて、それがいくらでも独り歩きしてしまうんです。諭す人がいなければ、その人が受動的に事実を知ろうとしなければ、その固定観念は壊れないかもしれません。

最後に

私の性分として、マイナスマイナスに考える、最悪の場合を想定して考える所がありますが。が、俺妹8話においてはこのくらいのスタンスで望んでも問題がないと思っています。全話を通して、この8話だけが異質すぎます。
今回の記事を読んで、製作者側の内部のことも知らないで適当なこと書きやがって、とか思った人がいるかもしれませんが、だって知らないんですよ。これは開き直っているわけではなく、限りなくそういった部分はブラックボックスされているように感じるのと、よりアニメ制作内部のことを知ろうと思う人が少ない、という立場をとってのことです。

アニメの最終消費者は、ただの人です。誰もが好意的に見るとは限りませんし、だれもが悪意に満ちた見かたをするとはかぎりません。