今クール放送中のアニメ「日常」。制作は京都アニメーション。どんなアニメなのか一言で表すなら「日常アニメ」でしょうか。
この「日常アニメ」という言語の定義は非常に曖昧なのですが、どんなアニメなのかを何となく想像させてくれるので、使いやすいと感じます。
本記事では、主に深夜アニメに対する「日常アニメ」という言葉の使われ方について考えてみました。
日常アニメの特徴
「日常アニメ」の要件は幾つかあると思いますが、その中でも重要なのは、
- 1話で完結する、つまり各話を単独で見ても楽しめる
ことだと私は思います。これは、「ストーリーに激しい起伏が無い」と言い換えることもできるでしょう。
なお起伏とは、「盛んになったり衰えたり、さまざまな変化があること。」という意味合いで使っています(参考:デジタル大辞泉)。
もう少し具体的な言い方をしましょう。
例えば1クール12話のアニメがあったとすると、12話全てを見ていなければ作品を理解できないものは、日常アニメではないでしょう。
逆に、6話など途中から見始めたり、途切れ途切れに見てもそれなりに理解でき楽しめる作品なら、それは日常アニメだと私は思います。
日常アニメにだって起伏はあるぞ!
もちろん日常アニメにも盛り上がりはあるでしょうが、殆どは最終回、もしくは最終回間近に集中するのではないでしょうか。つまり、全体的に起伏があるとは言えない、ということです。
らき☆すた、あずまんが大王、みなみけ等々、いわゆる「日常アニメ」は、そういう傾向があるように私は思います。
「日常アニメ」の何を楽しんでいるのか
ストーリーに起伏が無い=「日常アニメ」、これで解決した! と思っていたのですが、よく考えてみると「ストーリーに起伏がないアニメ」なのに、何を楽しんでいるんでしょうか。
ネット上を彷徨っていると、的を射た意見を見つけたのでご紹介します。
- 日常系アニメでやってはいけないこと
関連:日常系アニメの定義(以上2つ、みなみけ - アニメ梁山泊より)
前者の記事では、以下のように指摘されています(強調のため、一部を太字にしています)。
日常系アニメはキャラクター設定をきちんとしていたらどんなストーリーでも対処できる。もっと言うと、日常系アニメはキャラクター主体のアニメといえる訳だ。
日常系アニメのみなみけもキャラクター中心であり、個性豊かなキャラクターたちが魅力的である。勿論、みなみけだけでなく、他のアニメもキャラクターの設定には慎重さが必要となる。
日常系アニメでやってはいけないこと
なるほど、「キャラクターが主体」という要素は抜け落ちていました。
確かに、日常アニメにおいては、究極的には「キャラクター」を愛しているのかもしれません。キャラクター有りきで、そこにストーリーが付随している、という考え方です。
アニメ「日常」は日常アニメ?
ストーリーに激しい起伏は無く、キャラクターが主体となって動いている、この定義に従うならば、アニメ「日常」は日常アニメだと思います。
例えば「東雲なの」というロボット女子高生がいますが、このキャラクターが15秒間、ただ座っているだけの演出がなされても、「面白い」と思う自信があります。
「居るだけで面白い」、日常アニメの究極的な強みでしょう。
まとめ
「日常アニメ」という言葉について、掘り下げました。何となく「日常アニメ」という言葉を使っていますが、奥が深いです。機会があれば、代表的な日常アニメについて掘り下げようと思います。
最後に、以下を再掲して終わります。
- ストーリーに激しい起伏は無く、キャラクターが主体となって動いている。