隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

じんたん妄想説をまだまだ信じたい

あの花の8話9話を見ました。以下、ネタばれにご注意ください。





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現実に干渉してきちゃったよ

日記が浮いたり文字が描かれたり、いよいよめんまが行動を起こしてきました。なんで今までやらなかったんだよ! という指摘が多くあるようですが、逆に言えば、このタイミングだったからこそ大きな意味があったんじゃないかと漠然と思います。
一応じんたん以外はめんまが見えないという設定なので、他メンバは「見えるわけ無いだろ常考」と思うわけなんですね。だけどじんたんからめんまが見えることを聞かされた当初と、色々と揉めた後の状態では、同じ「見えるわけ無いだろ常考」でも、意味が少し違うように思います。
作中でも直接言及されたことですが、皆、過去を引きずって生きているんですね良くも悪くも。つまりは、「めんまが居ることを信じたい」という自分の気持ちに素直に従えるかどうかという点においては、じんたんの妄想を聞く前と後では天と地ほども差があると思うのです。
「馬鹿馬鹿しい」と思う中に隠れている、「めんまの為に何か行動したい」という気持ち。この気持に素直になれるかどうかという点は、じんたん妄想前後で差があると思います。

めんま、漢字書けたの?

未だに頭の隅っこで、じんたん妄想説を考えています。つまりめんまなんて見えていない、じんたんが勝手に妄想しているだけ、という設定。
しかし8話9話ではついに、日記に文字が書かれたりノートが中に浮いたり…が行われました。特にめんまの日記の衝撃は大きかったです。
他の紙には書けず、日記だけには書けるというのは大きな伏線でしょう。もしかして最新話じゃもう明かされてるかもしれませんが、めんまが死んだ当時のものしか書けないとか、そういう制約なんじゃないかなぁと思う。だから、超平和バスターズの秘密基地の柱とかには案外書けちゃうんじゃないでしょうか…。


さて、自作自演説についてですがめんまの日記を見て私は脊髄反射的にこう思いました。
めんまフォントを使用した文章「ざんねん、あれはめんまフォントだよ!」


じんたんがめんまフォントを使って日記に再現したんだよ…と。ですが、この私の妄想はもろくも崩れ去ります。以下をご覧ください。

めんまフォントを使用した文章「今日は大きくなったみんなと秘密基地であそびました。ケンカはしちゃだめです。超平和バスターズはいっつも仲良しです。」漢字部分はフォントに収録されていないので、見えていない状態。

そう、漢字がフォントに収録されていないのです。とほほ。


それでふと疑問に思ったのは、めんまって難しい漢字書けるの? っていうこと。関西ではまだ10話が放送されていないため分かりませんが、めんまが死亡したのは少なくとも小学生4年生までなのかなと思っています。
ノートに書かれた漢字は「秘密基地」「超平和」など。この中で「秘密」は小学生6年生で習うもので、また「超」という字は小学生では習いません。
少し漢字を知っているタイプの小学生だった可能性はあるのですが、普段のめんまからは「超」という字を書く姿が想像できないのでした。

みんなの壮大な妄想

例えばぽっぽとめんまの絵しりとりなんかは、めんまにもう一度会いたいと強く願っていたぽっぽが見た妄想もしくは一人芝居だと考えられます。
筋書きはこうです。

超平和バスターズの面々は、めんまを忘れられない気持ちが異常なまでに強い。その中でじんたんはとびっきりだった。
日々めんまのことばかり考えていたじんたんは、ついにめんまを妄想の中に作り出す。そんな妄想を、当初の平和バスターズの面々は相手にしない。しかしじんたんの妄想が段々とひどくなってくるにつれ、呆れるどころか、少しずつ信じていってしまうのです。なぜなら皆、心のどこかでめんまに会いたいと思っていたからです。
そしてある時、それは日記に文字が書かれているという事象(じんたんの自作自演)を通してですが、暗示にかかってしまうのです。めんまが居るのだという妄想に、皆がとりつかれるのです…。


集団妄想説…邪推ですが、こういう筋書きでもそれはそれで面白いなぁと思ったり。

終わりに

関西では今夜10話が放送されます。サブタイは「花火」。じんたん妄想説も頭の隅に置きながら、楽しく視聴したいと思います。