隠れてていいよ

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ダンタリアンの書架とGOSICKは違う

今期、ダンタリアンの書架という作品が放送されています。公式サイトはこちら。


ダンタリアンの書架をリアルタイムで見ながらTwitterのタイムラインを眺めていると、時折「GOSICK2期始まった」というツイートを目にします。
このツイートの意味はそれほど難しくなく、ダンタリアンの書架GOSICKという2つの作品を比較した時の、「似ているなぁ」という感情を、揶揄もしくはネタ的に表現したものです。
もう少し具体的に言うと、

  • 小さい女の子ヒロイン(博学)と青年、という組み合わせ
  • 謎の事件が起こり、それを解決する流れ
  • ヒロインは基本ツンツンしているけれど、青年に好意を寄せている

という部分ですね。

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なぜネタだけでなく揶揄という言葉を使ったのかというと、ダンタリアンの書架を叩く際に有効な便利な言葉でもあるからです。具体的には「ダンタリアンの書架は劣化GOSICKwwww」みたいな、脊髄反射叩きに容易に利用できます。
少し話は逸れますが、こういった脊髄反射的な意見は場当たり的過ぎて説得力に欠けます。「別に説得する気なんてねーよ」って言われたらそれまでですが。


話を戻しまして、私自身が両作品をどう思っているのかというと、確かに似ているなぁとは思うのですが両作品は別物だと考えています。これについて、軽くですが掘り下げてみようと思います。

コンビの違い

かなり個人的なイメージですが、作り手側の「ヴィクトリカ押し」と「ダリアン押し」を比べたときにヴィクトリカの方が露骨に見えることが多いです。
つまり「推理とかどうでもよくて(ヴィクトリカ・ダリアン)に萌えておけばいいんだよ」という文を考えたときに、圧倒的にヴィクトリカに軍配が挙がってしまうという状態です。

もちろんダンタリアンの書架については、まだ「#5 第6話 魔術師の娘」までしか視聴していないので一概には言えないことは分かっています。


ヴィクトリカが映える原因は、主人公がヘタレ気味かどうかがそれなりに影響していると考えています。
GOSICKの主人公である久城一弥は正義感の強い好青年ですが、普段の彼には実に頼りない印象を受けます。ここぞという時以外は、てんでヘタレなのです。ヴィクトリカに「君は本当にばかだな」的なツッコミをいつもされていたように思います。
一方、ダンタリアンの書架の主人公であるヒューイはそつが無いのです。ダリアンと対等に付き合っているという印象を強く受けます。
ヘタレは見てられない → じゃあヴィクトリカに萌えとけば(ヴィクトリカを見ておけば)良いんじゃない? という流れは起きやすいのかなと感じています。一方、ダンタリアンの書架のヒューイは、彼を中心に話が進んでいると言われてもそれほど違和感がありません。


というわけで、ダンタリアンの書架GOSICKは似たようなコンビが登場するアニメだと思いがちですが、細かいところでは違います。

ダリアンとヴィクトリカ

もう少し二人のヒロインの違いについて考えてみます。
これまた私のイメージですが、ヴィクトリカが引きこもり体質なのに対してダリアンは活動的だと思います。これは事件が起こった時や依頼が入った時などで分かりますが、基本的にダリアンとヒューイは同伴することが多い一方、ヴィクトリカは出不精です(ただし、久城一弥が本気で危ない時は除く)。
さらに二人の発言についても同じ事が言えます。というのは、ヴィクトリカは事件の解決ギリギリまで語りませんが、ダリアンは積極的に語る傾向があると思います。
ダリアンは出し惜しみしていない、むしろ自分の知識をひけらかしたいタイプだと認識しています。時折ヒューイに怒られてますが、それもまた可愛い。
ヒロイン二人もずいぶんと違います。

ツンデレ性について

時間軸的ツンデレ定義(時間の経過と共にツンがデレに変化していく)に従うとすると、ダリアンの方がツンデレだなと思います。まだ5話までしか見ていないのでハッキリとは言えないのですが、直感です。ヴィクトリカはツン期が思いのほか短かった記憶があります。
ツンデレの比率についても、私の理想のツンデレ比は9:1なのですが、この比率に近いのはダリアンかなと思います。感情的に言えば、デレた時の破壊力がダリアンの方が大きかったという理由です。
このあたりは感情的な話なので異論はあると思います。


さて、ここまで両作品の簡単な違いについて見てきましたが、最初にも述べたように「密かに好意を抱いている」「推理モノである」などの点については確かに両作品は似ていますよね。つまりは、両作品が全くの別物であるという考えは変わらないものの、GOSICK2期とネタにされる理由は、細かいところでは納得できるということです。
「◯◯2期」というワードの裏には深い意図があるかもしれない、という視点で作品を見ることは面白いと思います。

◯◯2期

これまでも◯◯2期という評価をされた作品は幾つかあったように思います(こういったバズワードを作ることで作品批評の下地にするという言い方が正しいのかもしれないけれど)。直ぐに思い出すのはソ・ラ・ノ・ヲ・トという作品。これは言わずと知れた「けいおん2期」というものですね。
詳しいことは、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』における雑種性――『けいおん!』との類似性を超えて - 反=アニメ批評、という記事に譲りますが、どう言った点が類似していたのかを記事より一部引用させていただきます(詳細は記事へどうぞ)。

実際本編に目を通してみても、キャラデザの他にも、

『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』における雑種性――『けいおん!』との類似性を超えて - 反=アニメ批評


もちろん本記事で取り上げているダンタリアンの書架GOSICKという両作品と、けいおんソラノヲトの関係は違います。単純には、ソ・ラ・ノ・ヲ・トはオリジナル作品という点ですね。
ただ放送の流れという意味で、クール跨ぎで「GOSICKダンタリアンの書架」という企画が進んだことは偶然ではないのでしょう。両作品とも角川関連で、且つプロデューサーとして小林潤香さんと紅谷佳和というお二方が被っています。
推理モノという括り方は失礼かもしれませんが、この両作品を続けて放送することでGOSICKからダンタリアンの書架へ視聴者を誘導する意図はあったのかもしれません。このあたり、ぜひ皆さんの意見を聞かせてもらえればなと思います。

まとめ

本記事で取り上げた部分だけを見ても、2つの作品は違うことがご理解いただけたでしょうか。しかし違うとはいっても、見方によっては両作品をつなげることも可能でしょうし、新たな発見があるかもしれないことは上でも述べたとおりです。

本記事ではダンタリアンの書架の内容については割愛しましたが、機会があれば内容の感想も書きたいと思います。