偽物語というアニメ作品は、きっと伏線がたくさん張ってあって、実は頭を使って見ることが、ある種の正しい見方のような気がしないでもない。
そうはいっても、何も考えずにただ見ているだけで楽しいというのは凄いこと。30分の内、殆どが会話で占められているのですから、余計に凄い。普通、だらだらと会話が続くだけだと飽きる。だけど飽きない。
なぜか。
やはり映像が飽きない。「それは新房さんの凄さなんだよ」と一言で表せばそれで終わりなのかもしれないけど、やはり凄いと思う。ぱっぱっぱと、画面・視点などが切り替わる手法は心地良い。絶望先生にも同じ心地良さを感じたし、多分化物語にも感じていたと思う。
文章が飽きない。私は化物語や偽物語の原作を読んだことがないどころか、西尾維新さんの作品を文字(活字)媒体だと、一度も読んだことがない。なのに、「多分、この会話の繋ぎ方とか言葉の選び方とかは、西尾維新さんの色が出ているに違いない」と思うぐらいには、それを感じることができる。そしてそれは新房さんを始めとする制作陣が、西尾維新さんの独特の文体だとか文章の癖だとか、そういうのを映像化できているに違いない、ということに違いない。
化物語の放送時、知り合いの方が「西尾維新の文体を映像化するのに、新房さんは最も適しているのではないか・高度に映像化できているのではないか」と仰っていたけど、やはりそれは正しい評だったと思う。
何よりエロい。昨今の光規制だとか湯気規制に正面から喧嘩を売っているかのような、ストレートなエロさ。パンツを見せるでもなく、直接胸を触るでもない…ただただエロい。新房監督の他作品、少なくとも「ぱにぽに」や「絶望先生」や「ネギま!?」や「ひだまりスケッチ」のエロさが存在する限り、光規制だとか印規制だとか湯気規制を全肯定できる日は来ない気がする。エロさは即物的なものを出さなくてもエロくできる。
というわけで偽物語は、ただただ何も考えずに楽しんで見るという話で言えば全く文句のつけようがない。「皆が何気なくテレビをつけたら何気なくやっていて、何気なく見れるアニメ」というジャンルとしてはもう完璧なのではないかと思う。ジブリの「ような」アニメだけが、誰もが見れるアニメではない。