隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

アニメのトレンドに追いつけなくてシンドクなる理由は、あなたがアニメを愛しているからだ

素敵な記事を読みました。

ネット上でのアニメ作品のトレンドに追いつけなくてシンドイ…という話さよならストレンジャー・ザン・パラダイス)



以下、あえて殆ど推敲せず、感情的に書きなぐりました。こういった感情的な部分が、上で紹介した記事主さんの一助になれば幸いです。
長いよ! っていう人は、一番下の見出しで、私の思いを簡潔にまとめております。

導入編

ちょっと自分語り入りますよ。
2009年から2010年の夏ごろに掛けてでしょうか、その近辺、様々の問題が重なりあって私は、アニメに対するモチベーションが下がっていました。それは、アニメの視聴数が劇的に減ってしまったこと、そしてブログ更新が滞ったことに現れていました。

アニメの視聴絶対数が少なくなるにつれ私は、アニメに対する情報をシャットダウンするようになりました。なぜならば、自分が見ていないアニメに対する様々の情報を見ることが苦痛だったからです。なぜなら、自分が見ていないアニメの記事を見ても楽しくないし、楽しくないどころか、「アニメを見ていない」自分自身への嫌悪感が半端無く、もうどうしようもない気持ちになるからでした。皆が盛り上がっている中、どうして自分はアニメを見ていないんだろう…やはり見ないといけないのではないか、というプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。
いやいや、じゃあ、アニメを見たらいいじゃないかという話になるけれど既にそういう問題ではなく、なぜなら前提としてアニメに対するモチベーションが下がっていたからです。

「アニメを見ていない」自分自身への嫌悪感がどこから来るかというと、それは今までずっとアニメを見てきたという自分に対するものが大きかった。すなわち週に10本20本を超えるアニメをあたり前のように見てきたはずなのに、それが何かのキッカケで見られなくなると、「もっと見なければ」という気持ちと「だけど意欲が出ない」という気持ちが相反して、もうどうしようもない嫌悪感に苛まれるのです。アニメを見ないといけないはずなのに、様々のモチベーションが低下してアニメの再生ボタンを押せないという状態。


すると次は、なぜ「週に10本20本を超えるアニメをあたり前のように見てきた」のか、というところに行き着く。実際、モチベーションが下がっていた時期、そういう、そもそも論的なことをずっと考えていました。
もちろん理由の一つは前述したように、既に習慣になっていたからなのですが、ではなぜ習慣になったのかというと、それはアニメを見ようと努力した時期があったからに他ならない。アニメを能動的に多量見しようとした時期があって、その時期とはすなわちアニメを見始めた最初の時期で、そしてアニメに限らずオタクというものに踏み込んだ時期でもあった。

すなわち、本当の本当の初期は、単に「アニメを見よう」と思って、アニメを見始めたことは事実。

事実だけども、だけども、その後も長い間、なぜアニメを見ることが習慣になったのかといえば、アニメを見て感じた想いというものを処理する過程が楽しかったからに違いない。どう処理したかといえば、それは知り合いの方とチャットをしたり、2chの実況スレでワイワイ楽しんだり、ブログを書いて発信してみたり、他人の描いた記事を読んだり…という行動へと自然と繋がっていた。

これはすなわち、アニメを楽しむことというのは、周りの環境へ少なからず依存、または影響されているということなのだ。

ひたすらにクローズドは可能なのだろうか

アニメ視聴というのは、もちろん自分の中だけで完結することができるだろう。それは単純に、そのアニメを視聴して楽しんだり悲しんだり怒ったりして、それで終わる、ただそれだけのことである。
だけど実際は、別にアニメに限らずだと思うけれど、自分が感じたこと思ったことというのは、他人と共有したいという強い想いに動かされていく。自分はこう思っているんだけど、他の人はどう感じているんだろう…自分の意見は一般の意見と同じなのだろうか…それはある意味では当然の流れであり、だからこそアニメに関する様々のコミュニティやクラスタというものが、ネット・現実問わず存在する。

すなわち繰り返しになるが、アニメを楽しむという行為の中には既に、自分以外の他人、他クラスタ、他コミュニティが含まれていると思う。

しかし面白い事にというか、当然ながらと言うか、アニメに対する接し方や「流れ」のようなものというのは、自分と他人では違う。
例えば、1クールに5本程度しかアニメを見ない人と40本以上見る人ではいろいろと違う。とりあえずキャラ萌えできれば良いという人もいれば、ガンガン人が死んで、誰も救われないようなドス黒い話が好きだという人も居る。世間ではクソだと言われているようなアニメをトコトン好きな人もいれば、世間一般が「名作だ」と持ち上げている作品を皆で共有することが好きな人も居る。ゆっくり今クールのアニメの余韻に浸りたい人もいれば、新しいアニメに相対することが好きな人も居る。


すなわち前述したように、アニメを楽しむことにおいて、既に自分以外の「他」が含まれているはずなのに、その「他」は自分とは違うことのほうが多いという矛盾が生まれるのです。

いやちょっと待ってくれ、「そんな矛盾は感じていないぞ!」という人は、既に自分と限りなく近いクラスタやコミュニティに身を置いているか、どっぷりとハマりこんでいるのではないでしょうか。

ここポイント?

しかし気をつけたほうがいいのは、気にしているその「ネット」というものは、あまりに抽象的過ぎる。同調圧力による集団暴力を指しているように思う。
でも大丈夫、アニメをこれでもかと、心のそこから愛している人はたくさんいることを私は知っている。
少なくとも、下のような記事が書かれていたり、この記事タイトルを見て無意識に「ニヤッと」する人が多分沢山いるだろうということを私は知っている。

まとめたい

アニメというのはやはりトレンドが早い。1クール2クールで次々とアニメが入れ替わるのだからそれはもう当たり前としか言いようがない。アニメの数自体も多いから、その傾向はより顕著になっている。
でも新しいものが始まったのなら、新しいものを見るのはある種当たり前のことであり、例え昔のアニメのことを強く想っていたとしても、新しいアニメを見たら新しいアニメのことも考える。ただそれだけのことなのかなとも思う。

面白いのは、新しいアニメを語ったからといって、昔のアニメを蔑ろにしているわけではないということなんですよ。むしろ、昔のアニメという糧があるからこそ、今のアニメをより様々の視点から楽しむこともできる。
そしてなにより、人は忘れないですよ。詳細は別として、そのアニメに対して感じた熱い思い、ストーリーやキャラクターの断片は、詳細は別としてやはり覚えているものなんですよ。
その想いが、その人から具体的に発せられるのか、その人が不器用で発せられていないのか、ただ単に自分が行間を読めていないだけなのか、「"何で"好きなのか?」「"どう"好きなのか?」が見えづらくなっているのか、だけなんだと思うんですよ、私は。


ハッキリ言ってですね、私は「ぱにぽに」というアニメ作品に人生狂わせられましたが、そんな駄々ハマりしたアニメでも案外覚えてなかったりするんですよ、詳細は。こんなこと言うと本当に詳細に覚えている人から怒られそうなんですが、そうは言っても、ぱにぽにが好きだという気持ちはなーんにも変わらない、ずっと好きという気持ちなんです。でも別に、ぱにぽにについて毎日Twitterで布教するかというとそんなことはないし、熱い思いもそんなに語らない。
だけど、作品を好きという気持ちは変わらない。

何度目の反語だろう

そうは言ってもですね、「まだまだ過去のアニメを見返したい」という思いがあったとしても、よく分からない圧力に押され、「今放送されているアニメを消化した方が良いよなぁ」という、まるでナニモノかに強制されるような気持ちになることはある。
これは先ほど述べた理由、すなわち無意識的な同調圧力や無意識的なコミュニティ・クラスタ圧力に気を使いすぎているからと考えられる。
これについては、良い面も悪い面もある。良い面とは、常に最新の情報にアンテナを貼り続けるモチベーションを保つことができるということ。悪い面はと言うと、それはややもすると、しんどくなるということだ。


自分がアニメをほとんど消化できない環境に置かれたら、あたり前のように消化するネットのスピード感に「しんどく」なる。ネットでは殆ど話題に上がらないようなアニメを好きな人は、ネットで持ちあげられている作品の記事を見て「しんどく」なる。オリジナルアニメが好きな人は、原作付きアニメが持ち上げられると「しんどく」なる。



そして再びこの問いを投げかけなければいけない。「別に無視すればいいじゃないか、気にしなければいいじゃないか」と。
しかしそういう問題ではないのだ。自分が持つこだわりが強いからこそ、どうにかしたいジレンマから逃れられないのだ。それは戸惑いやイライラや悲しみとして現れる。自分が大事にしたい問題だから逃げられない、だけども答えが0か1かで出るものではない。だから結局また考え続ける必要があり、ますます「しんどく」なる。

さぁ、今度こそまとまるはずだ

というわけで、これ以上書くと、わけがわからなくなるのでこのあたりでストップ。きっと最初に紹介した記事を読んで人それぞれ思う所があるはずだし、多分今後、いろんな人が言及記事を書くんじゃないかと予想しています。はてブが既に70以上付いていることから、こういった問題を潜在的に抱えている人が多いことが伺える。もちろん私も含めてである。
関連しそうなリンク:俺、某アニメの「アンチ」やってるんだけど

さて、記事の最後にもう一度だけ自分の想いを。



まず、「ネット」と一括りで考えている時、案外、限定したクラスタやコミュニティを見ていることが多い。
次に、アニメを愛している人はたくさんいて、人それぞれ楽しみ方が違いすぎるので、自分を他人に合わせなくてもよいし、逆に自分に合っていない他を無理に背負い込みすぎる必要はない。だけど、考えざるを得ないというジレンマはとても理解できる。そしてなぜそのジレンマに陥るかというと、それはあなたがアニメを愛しているからだ。
そして最後に、私はアニメが大好きです。