私が言うまでも無いですが、「人の死」は、悲しさだけを表現するものではありません。怖さ、怒り、悲しみ、辛さ、そして時には美しさも表します。人が死ぬシーンで、赤い血の色が、「綺麗」という表現で表されるのは美しさの良い例です。
さて、『さんかれあ』3話を見ました。まだ一段落はしていないけれど、少なくともプロローグとして一番の盛り上がりだといって過言ではないでしょう。
3話では、散華礼弥の死が描かれました(同時に生も描かれましたが)。この死の描き方の流れが、ほんとうに素敵でした。記事タイトルにあるとおりです。
悲しさ
人生、楽しむこと無く終了をしてしまった、悲しさを胸に抱きながら崖から落ちた。物心ついた時から一切の自由がなく、もしあるとしたらこれからの人生だったのに、それも潰えた。儚い。
恐怖
人が死ぬシーンというのは様々な描き方があるけれど、美しいものが串刺しにされることは、やはり惨たらしい。ぽーんと空を舞って、そして尖った枝に体が突き刺さる。
主人公、降谷千紘の顔面の左右が割かれ、歪む激しい演出。ゾクリゾクリと、一瞬のシーンでしたが、恐怖を感じました。
美しさ
綺麗な花の上に綺麗な肌が横たわり、赤い血が広がっていく様は確かに一般的な表現手法なのかもしれないけれど、悲しくなって怖くなった後にそれらすべてを忘れさせてくれるかのような美しい表現がされると、あまりにも美しい。
恐怖
生き返る、青ざめた顔で、近寄ってくる。生気が無い。散華礼弥が薬を飲んだ時点で誰もが想像していたことだけど、実際に生き返ってくると怖い。「ばーぶ」が、あんな感じだったから尚更。
つながり
絶望を感じて死んだ散華礼弥が、希望とともに生き返ってくるまでの、この一連の、短いながらも激しい流れ……最後の降谷千紘の「はい」という返事も含めて、最高の演出だったと思います。
終わりに
何というか、死にあざとさを感じないのが素敵だと思います。