隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

「アニメを切る」という表現が使われているうちは華だとすら思う

何にとって華なのかというと、「切る」と言われたアニメに対してである。




@TrixterLiveさんの上記ツイートは、以前どんなアニメも住めば都 - 隠れてていいよという記事でも引用させていただきましたが、ずっと強く心に残っています。



アニメを「切る」という表現に含まれるニュアンス - subculic

では、アニメを「切って」はいけないのか。すべてのアニメを視聴するという人以外の“ヘビーユーザー”、クールごとにチェックリストを作成する視聴者は優先順位や嗜好、または時間の都合上チェックしないアニメ、「切る」必然性も出てくる。ただ、何気なく発したその言葉が、鋭利に見える刃物をかざす行為のように捉えられ、不快に思う人が出てくる可能性もあるという危惧を頭の片隅に置いておくことで、互いが傷つく事態を避けることが出来るかもしれない。


本記事は、上記のid:tatsu2さんの記事を読んで思うところがあったので書いています。


冷静に考えると、全てのアニメをチェックするなんていう所業は果てしなく「難しい」。アニメって別に深夜アニメだけじゃなく、朝アニメに夕方にゴールデンに、はたまた劇場版に……と果てしなく存在している。



20120619203456

(出展:日本動画協会 - 日本のアニメ業界・アニメ市場の近年の動向 2012年版
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お決まりのように上記データを出さなくても、その多さは皆さんご存知かと思う。そしてお決まりのように「2006年は異常」などとコメントするのだ。



さて私自身は今でこそ絶対量は減りましたが、2006年の終わり頃から2007年の終わり頃にかけて、深夜アニメに関しては、ほぼ全て視聴していました。仮に深夜アニメに絞って全部見るとどうなるかというと、1週間に50本くらい視聴するイメージで問題無いと思う。
50本ぐらい見るとどうなるのか。以前、もし、アニメを見る時間をなくせば… - 隠れてていいよという記事で、1話の視聴に掛かる時間を平均28分とした場合に、超大雑把に概算したので、ちょっと引用してみます。

1週間は24時間×7=168時間。睡眠時間を仮に1日6時間とすれば、168-(6*7)で126時間。また、毎日9時間は仕事や学業など、趣味以外に費やしているとしますと、126-(9*5)で85時間。土日はフリーとしてみます。

すると、超大雑把な計算ですが、週に85時間ほどしか趣味に費やす時間がない計算になります。
(略)
大体週に10本アニメを消化すると5%の時間を消費していることになります。

(太字は筆者)

週に10本視聴することで、自由時間の5%消費しているということは、50本なら言わずもがなですね。更に視聴するだけでなく、2ch見たり誰かと話したりTwitterでつぶやいたり……などと考えると、中々に恐ろしい数値です。ちなみに「アニメを多量見している人」というのは、週に50本とかそういうレベルではありません。



話を戻すと、やはりたくさんアニメを見るということは難しい。だから「切る」という事態になっても何もおかしくない。しかしポイントは「切る」という表現を使うことである。


ここで冒頭の話に戻るが、「切る」という言葉を使っているということは、少なくともそのアニメに関して、たとえ一瞬でも関心を持ったということに他ならないと私は信じている。


さらに記事から引用する。

そもそも、「切る」と表現されるのは利便性に優れているからだろう。カジュアルに意思表明できる。視聴意欲がない、途中で観なくなったと書くより、「切った」と書けば短く断定をもって伝わる。加えて、ヘビーユーザー的な表現だとも思う。現在放送している、または放送予定のテレビアニメ(クールで区切られる深夜アニメや一部朝アニメに限定されることも多いが)の“すべて”を候補としてチェックリストを作成する思考方式だ。ひとつふたつではなく、候補の多さゆえに使われる表現。これは同人誌即売会における買い手のサークルチェックに近い。

アニメを「切る」という表現に含まれるニュアンス - subculic

(太字は筆者)


感情の揺れ動きとしては、1話を見て「なんかつまらんなぁ、面白さが分からんなぁ」と思っているところに、2chだったりまとめサイトだったり最近だとニコニコ動画なんかで「つまんね」とか「このアニメは糞」とか、そういう類のものに接して、同調圧力に押される形で「切った」という表現に繋がっているのではないかと考えている。まぁ昨今の同調圧力っぷりを見ると、1話も見ずにとりあえず「切った」と言っている人も多いのかもしれないが……。0話切りについても語りだすときりがないので、興味のがある方は2年前ぐらいに書いた AngelBeats!に見る、0話切りさせないアニメの販促方法という記事をご覧ください。




で、繰り返しになるけど、「切る」という言葉を使っているということは、少なくともそのアニメに関して、たとえ一瞬でも関心を持ったということに他ならないと私は信じている。
つまり、関心を持たれているということなのですよ。「切った」などと軽々しく使っている人がいたとしても、その裏には「アニメを切った」と表現すらしない、無関心な人が大勢いるわけです。
『C3 シーキューブ』という作品を知っていても『C』という作品を知らな人がいるように。『BLOOD-C』という作品は知っていても『C』という作品を知らない人がいるように。



アニメの終わりとは何か、という問いかけには議論がありますが、今現在の私にとってのアニメの終わりとは「無関心」なのです。好きとか嫌いとかではなく、やはり無関心だと思うのですよ。話題にすら上がらない、されないって、もうそれはそれは、とてもとても怖いことだと思うのですよ。


まとめよう

ちゃんと最後に答えておくと、根本の言及記事で問題提起されていた「切る」という言葉を使うことに対して私はどう思っているのかというと、単純、私は使わない。「いやー、時間があんまりなくて、録画だけはしてあるんですよー。時間があるときに消化しますww」と、確かに上辺の言葉なのかもしれない。かも知れないが、しかし私は、「切る」という言葉を安々と使えない。
なぜかっていうと、まぁ、私は制作側に依ってアニメを見ているからです。作っている側はきっと素晴らしいものを作ろうとして頑張っているに違いない、だからこそ、そんな素晴らしいアニメたちに対して、そんな態度は取れないのです……という思想です。id:tatsu2さんが同人誌の例を出されていたように、まさしく「切った」は買い手本位の表現にすぎる。というような思想を持っているからです。思想のせいにすんなって? でもまぁ、そういうアニメの楽しみ方をしてきたので、多分今後も変わらんだろうなぁと思う。



では、その「切る」っていう言葉を使う人に対して私はどう思うかというと、「どうして切ったんですか? 理由を教えて下さい」という気持ちになるのである。切った理由を、私は求めてしまう。

しかし残念ながら、多くのまとめサイトなどでは、まとめ主の言葉ではない「切ったわっw」という言葉が並べられているのである。反論の余地がない。悲しい。