隠れてていいよ

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琴浦さんはシリアスの種を蒔いて花が咲いたのに、そっと刈り取っている感じ

5話まで見ました。琴浦さん@もっと頑張るべき




nishi_51氏の琴浦さん批評「あの世界は前提がおかしい」 - Togetter

上記の件とはまたちょっと違った観点で納得がいかない部分があったので、そこら辺について言語化してみたいと思います。ストーリー展開についてです。


シリアスなんて無かった……のか?

この記事を書くきっかけになったのは多分、森谷さんというキャラクターが自然とESP研究会に入部して、普通に琴浦さんと関わっていることが受け付けなかったからだと思う、心情的に。
なんというか、タクシーで琴浦さんに会いに来て、謝って、そんじゃーね、って帰っていく森谷さんというか、そういう展開が気持ち悪い。
シリアスの種を蒔いて花が咲いたのに、そっと刈り取っている感じ。ガクーっとなっちゃう。

「琴浦さん」の原作とアニメを比較して〜太田雅彦監督の「原作尊重」スタイル - ふわふわスマイルから引用

そういう意味でアニメ版5話ってのは、原作でも「第二部」に突入して森谷と和解してESP研が安定路線に入っての「日常系」の路線なので、あれが本筋なイメージはあるんですよね。

その森谷を許せるかどうかというのは面倒くさい話題になると思いますが。

ただ琴浦春香が「人の善性しか見たがらない子」であって、それが母親や森谷、あるいは第三部で「春香を殺そうとしたとある人物」への態度にもなる。

そしてなんだかんだで森谷とは親友になり、母親や第三部の某キャラとも和解しちゃうって構造。

ただアニメ版はそういった部分を上手く拾い上げてるなぁと。

そうした「人は選ぶかもしれないけど、原作の本質的な構造」は決して崩してないというのが太田監督のいい所だと思います。

基本的に琴浦春香というのは調子ぶっこきがちなアホの子お嬢様でしかなくて、ただ彼女が笑っていられる事が幸福って、まぁそんな漫画ですからね。


おっしゃっている内容も分かるし、「3話までのシリアス部分に期待していた人にとっては5話以降の展開はあんまり受け付けないかもね」な言も理解はできるけど、それだったらやっぱり3話までのシリアス部分は、作品を盛り上げる装置としては、優れてはいなかったと私は思う。
何でかって言うと、私はアニメしか知らないし、アニメから感じることに対して真摯に付き合っていたつもりだけど、「うん? シリアスはどこへ行った」って思っちゃったもん。どう感じるかは人それぞれって言うのは分かるんだけども、「原作の日常路線を描きたかったから」というロジックで3話までのシリアス路線を緩い感じにふっ飛ばした、というのはちょっときついかなぁと思う。それ以外に何か理由が描かれていればいいんだけど、読み取れなかったというのが正直なところ。



そんなこと言いつつ、そりゃ日常編も面白いしエロスな妄想も好きだし、主人公と琴浦さんのやり取りは好きだし、ESP研究会の雰囲気も好きだし、モリモリって笑っている琴浦さんも見ていて癒されるし。だけどちょっと肩透かしを食らった感じ、というのが率直な気持ちです。
何でお前らそんなヘラヘラ笑っちゃってんのよ! とついついマジレスしちゃう感じというか。

終わりに

「嫌なら見るな!」っていう突っ込み入りませんよ! だって私アニメ好きですから、基本的に切るっていう概念が無いですから。