私はアニメを今でも大好きです。現在形? いや、強調系です。
そう、何かきっかけがあったというわけではなく、ごく当たり前に生活していただけなのに、「私はアニメを今でも大好きです」と言うようになりました。
それは好きなアニメが映画化決定した時のことでした。
「うわぁ、やっぱりきたかぁ。喜ばしいことだ。公開初日に行きたいのは山々だけど、仕事で無理かな」
公開当日。
「神だったwww」「これぞまさに正当系劇場版と言える」など絶賛の嵐だった。仕事場のトイレの個室でSNSを流し見した。
次の休みに見に行こうと思っていたが、しんどすぎて寝てた。そもそも、意欲が本当にあれば、前の日までに指定席予約しているはずだ。
最悪だねこりゃ。
自分が好きなものに対して、理由をつけないと自分を保てなくなっている。仕事、疲れ、眠い、環境の変化……アニメは楽しい、アニメは面白い……アニメは……本当に面白い……んだよね……?
時々、ふっとテレビつけた時にやってたアニメ見ても
「おっもしろー。やっぱアニメ面白いなぁ。活力をもらえる」
もっとアニメに対して時間かけないとなぁなどと意識的に思うようになり
「新作アニメ始まったけど、見続けるのは難しいそうだしなぁ」
アニメを積極的にチェックすることはなくなり、でも心の中では、アニメは面白いものだ、という強い気持ちだけが残った。
自分にとって好きは、「改めて確認するもの」ではなかった。アニメは、「私はアニメを今でも大好きです」と言う対象ではない。作品が好きだ、キャラが好きだ、ストーリーが好きだと、オタクらしく語ればいい、そういうものだった。
好きだという気持ちがあれば、心を強く保てると思っていたが、そうでもなかった。やはり、一度離れたものはそう簡単に戻ってこなかった。いや、戻すことに対してとてつもない力がいるのだ。だから、戻しにくい、ひどく戻しにくい。
誰かに聞いてほしいわけではない。自分に対して、もう一度言おう。それでも私はアニメが大好きだ。
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というわけで、絵は無理なので文章で創作してみた。
「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」まとめ - Togetterまとめ
メッセージ性があるものって、キャラクターに代弁させることが、本当にキャラクターが思っていることなのかが分かるかどうかに掛かっているなと思います。件の創作ストーリーは、最後の2コマ、「一人でも多くの人に知って欲しい」から始まる部分で、自分の内なる気持ちを、全体の気持ちとして代弁することで自分を保とうとしている。
本来は、自分がそう思っただけであって、全体に適応されるなんてことはないし、あったとしても、この漫画のように強く言い切れない。なので、独りよがりに見える。にも関わらず、これ許されるのは創作だからで、このキャラクターはそういうキャラクターだということなんです。
ただ私は、ちょっと独りよがりに見えたんですね。ちょっと作者の思いが強く出すぎたのではないかなと。この辺が、作りて側からすると難しいのだなぁと思う。一歩間違うと、作者の人格批判みたいなものにつながりかねない。
好きなものを否定されると、自分が否定されたような気になるのは、これはもう冗談でもなく事実だと私は思います。極論、作品が傷つけられると自分が傷つけられたような気になる、ということだ。そして誰もが傷つけられて立ち直れるとは限らない……というのがこの漫画の本質なのではないかと私は思っています。
この漫画を読んでいたら、以前フォロワーさんが書かれた漫画を思い出したので、ぜひ紹介しておきたい。言葉は愛だ!
だれも幸せにならないアニメの話 | 磯貝祐司 [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=38020243