隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

今生きている幸せ

約6年ぶりぐらいでしょうか、1ヶ月程度の長期のお休みをいただきました。心と体を壊してしまいました。もうすぐ復職です。
この1ヶ月、心と体を休めました。が、同時に、リハビリも行っていました。

お知り合い(などという言葉は失礼かもしれませんが)のすぱんくさんの以下の記事を見て、私もなにか書いておこうと思って筆を執りました。
spankpunk.exblog.jp


久々にアニメをたくさん見ました。ブログには書いていませんが、読書もそれなりにしました。漫画も結構読みました。
筋トレやジョギングも再開しましたし、ブログもいつぶりだろうかというぐらいの頻度で更新しています。忙しく働いていたときにはできないことでした。

休職に入る前から考えていたことですが、働く時間が長過ぎることは、自分にとってメリットは無いな、と思いました。6年掛かってようやくこの結論ですよ。小学生か。

長いという言葉は人によって様々だと思いますが、毎日帰ったらご飯を食べて一息ついたらもう寝るしか無い、とう生活になるでしょうか。
家事をする気力など無いし、もちろんアニメを見たり読書をしたりする気持ちにも中々なれず、スマホゲームをちょろっとだけやったりして寝る、の繰り返し。

土日は、疲れをとったりストレスを解消したりする。ただ、すごいスピードで時間はなくなっていく、1日ってこんなに短かったのか、と。
そしてまた月曜日がやってくる。

こんな生活を6年以上続けてきましたが、心と体はやっぱり疲弊してたんだろうなと、体を壊して分かります。
立ち止まってみないと、案外壊れているということに気が付きにくい。なぜなら無理をするから。
今回は、心と体が、我慢するしきい値を超えて壊れたので、休むという選択肢が先に出たに過ぎない。


仕事は多かれ少なかれしんどいし、そういうもんだと思っているけれど、果たして身を粉にしてまでやることなのか。

非常に苦労して働くの意味で、自分の身体をこなごなに細かく砕くようにしてまで働くという比喩

引用: 身を粉[こな]にする(間違いやすいことば)とは? 意味や使い方 - コトバンク

もちろん、結論としてはそうではないと思っています。なので、休職前に転職活動を始めようとしていました。

正直言って、ありえないぐらい満ち足りた日々を送っている。
金さえあるなら一生この生活を続けていきたい。だが金がないのでそろそろ病気を理由に休み続けるのも限界である。
毎日がめちゃくちゃ楽しい。仕事が再開すると思うと憂鬱である。というか働いていたころ、いったいどうやって幸福を感じていたのか思い出せないくらいだ。
それでも金が無いので働かねばならぬ。きっと今の生活を将来、まるで夢のように思い出すこととなるだろう。その為に、いまここでこの日々をここに記す。

この素晴らしく満たされた幸福な日々を忘れないようにするメモ : ゲームばっかりやってきました


すぱんくさんの記事の中のこの部分、特に「というか働いていたころ、いったいどうやって幸福を感じていたのか思い出せないくらいだ」という部分は、本当にそう思う。
一体マジで、自分は6年も楽しかったのかなと。もちろん楽しさ以外の要素もたくさんあるので一概には言えないけれども。やりがい? でしょうか。
そして金がないので働かねばならぬ、も激しく同意。


学生時代、一度小飼弾さんにハマった時期があって、その時に読んだ『働かざるもの、飢えるべからず。』という本がありまして。

タイトルの通り、働かないものこそ飢えてはいけない、という本。
働かざる者食うべからずが社会で生きている以上は人は働かねばならぬ、だとすれば人が居るのだから社会が制度としてどうにかするべきという主張だった気がする。
ベーシックインカム制度が取り上げられており、読みながら「最低限のお金がもらえるなら働かないかもなー」と漠然と考えていました。


ベーシックインカム制度の議論がなされる時に必ず出てくるのが、「こんな制度を導入したらみんな働かなくなってしまう」という主張。
これに対するよくある反論としては「ベーシックインカム制度はあくまで働かなくても良い制度。働いても良いのだから、働きたい人は勝手に働く」というもの。


当時自分はベーシックインカム制度については結構肯定的で、働きたい人は勝手に働くだろうと、そう思ってました。
その気持の部分は今もそんなに変わっていなくて、ストレスを溜め込んで体を壊すぐらいなら働かない方が良いとは思っています。
とはいえ、今休職という制度で休めているのも会社がそういう制度を持ってくれているからでして、そんな状態で主張をしてもあまり説得力はないわけですが。

休むと母に伝えたときに「人生、何とかなるよ。どうにか生きていけるよ」という旨のことを言ってもらえて、やはり自分はいろんなプレッシャーを勝手に感じて生きてきたのかもしれないと再確認したことを覚えています。
これからは、ほんとうの意味でもっと手を抜いて生きていこう、と考えています。


休む前に同僚と昼ごはんに行って、しんどいしんどいと話していた時に言われたのが「しんどいのは、中途半端だからじゃないか」という言葉。

仕事を頑張る気なのか、程々にやるつもりなのか、そもそも人生において優先度は何なのか。そのあたりが曖昧だから、仕事もプライベートも中途半端にしんどいのではないか、と。
この当たりは言い返す言葉はなく、まさにその通りだなとうなずくしかありませんでした。背負うものが増えすぎたのだ、なんて中二病みたいな事を言っている場合ではない、と。


話がまとまらなくなってきましたが、結論としては、やはり仕事は変えようと思っています。
まずは復職したら体を慣らしていって、ただ仕事は、割り切ってやろうと。
そして、割り切ってやれるような会社に転職しようかなと。

なんてことをつらつらとブログを書いてアウトプットできる時間があるのも今だけかもしれないので、それも幸せとして感じておきたい。