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漫画『ブルーピリオド』11巻 教養が足りない自分は死に値するか

アニメがまもなく放送開始のブルーピリオド、その原作である11巻が最近発売されました。
本記事は11巻のネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。


どこまで本当なのだろうか

11巻のストーリーはざっくりというと、大人が子供の可能性を潰すときの話でした。
衝撃的なシーンは、小枝と橋田の共同作品がお父さんの手によって引き裂かれる箇所でした。

破れかけた絵をなんとか直そうとする八虎を、絶望した目で見つめる小枝の表情は悲壮感に溢れすぎていて直視するのが辛い。
ここに至るまでの、小枝に始まる子どもたちに対する親の反応、そして八虎を含む周囲の大人たちの子供への対応、そういったものが積み重なった素晴らしい話でした。

読み終わった後に思ったのは、果たしてこれはステレオタイプを強調しているのだろうかということでした(言葉の使い方があっているだろうか)。
つまり、幼少期に大人が、子供の可能性を潰したり伸ばしたりするということは「よく聞く」話だけども、それを漫画のために特に重要なポイントを取り出していい感じに表現しているのだろうか。

こういう思いを持ってしまう一番の原因は、自分の教養が足りなさすぎるからです。
すなわち、子供教育であるとか、大人と子供の幼少期の関係とか、そういったものに対する研究とか体験記とかが世の中には多分良いものも悪いものも含めてたくさん出回っているはずで、
少しでも自分がそういった物に興味を持って接していれば、このブルーピリオドで描かれた内容が、どの程度リアリティがあって、それを漫画としてどれぐらい素晴らしく表現しているのかを、
もっと感じられたし、力説できたと思うのです。

アニメを見たり漫画を読むために教養なんて要らないし強制はしないでほしいというのが昔からの自分のスタンスではあるけれども、年齢を重ねるに連れて、自分は昔から全然成長していなくて、ただの不勉強を棚に上げているだけだと思うようになりつつあって、創作物に触れるたびにその気持ちが昔よりも強く感じられるようになってきていて、もっと頑張らないといけないなと思う。
きっかけがあれば今からでも間に合う。