隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

小説『ねじまき鳥クロニクル』を今更読んだ

これまで読んでいなかった村上春樹さんの作品を読むシリーズ。
騎士団長殺し』『1Q84』『海辺のカフカ』と読み進め、つい先程『ねじまき鳥クロニクル』を読了しましたので、新鮮な気持ちのうちに読了感を記しておこうと思います。

念のためですが、本記事では作品のネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。


読後感

毎度同じこと行っている気がする、という枕詞を入れることで自分に保険をかけているのですが、とは言っても素晴らしい読後感。
読後感的には、今まで読んだ村上春樹さんの作品の中でも一番良かったかもしれません。

「ねじまき鳥」は、本来その鳴き声を聞いたものに不幸を呼ぶという表現が本文には存在したと思いますが、
主人公が自身を「ねじまき鳥」としたことで、そのあたりのバランスが崩れた気がします。
正確には、降りかかる不幸を主人公がすべて受けていたというか、吸収したというか、聞いていたというか。

クミコが主人公の元に最後には戻ってくるかどうかは分かりませんが、個人的には戻ってくることがなく人生が終わってしまうのではと考えていまいます。
それは主人公がねじまき鳥である以上は、もう無理なのではないかと。世界の歯車に主人公はなってしまったので、主人公が物語を動かすことはできなくなってしまったのではと思ったのです。
見えないところで回しているが故に、本人の意図なんてものはなくなっていくのではないかと思うのです。

主人公は様々な人の様々な境遇に触れて、それが何かを意味している、自信につながっているのではと考えを深めていったりしますが、
それは主人公にとっては無意味で、すべて運命に決定づけられた行動に帰結しているのではないかと思ったりするのです。

クレタにしろマルタにしろ間宮中尉にしろ牛河にしろ、それぞれが主人公であり、僕岡田亨は潤滑油を伴いにくい歯車だったのではないかと。
それこそぎいぎいと音を立てないといけなかったくらいには。

と、正直1回読んだだけでは考察できないくらい深い内容であったので、できれば何度も読み返して考えを深めていきたいところではありますが、次の作品も読みたいわけでなかなか難しいところです。

終わりに

しかし、この作品のNTRの表現方法は上手い。随所に唸らされました。