隠れてていいよ

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漫画『宝石の国』 4巻まで読んで先生について考えてみた

タイトルの通り、4巻まで漫画『宝石の国』を読んでみて、一度先生について考えてみようと思いました。
結論じみたようなものはなく、考えたことを色々と書いた内容なりますのでその点だけご容赦いただければと思います。
4巻までのネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。

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何者なのか

何者なのだろうという気持ちが、正直なところです。
1巻を読んだときから当然のように出てくる疑問だと思いますが、説明が少なすぎるため想像するしかできません。

とにかく強いらしい、最恐らしい、手袋を外すと戦闘モードらしい、フォスたち宝石が知らないことをたくさん知っているらしい、
そして月人と何か関わりがあるらしい。

2巻冒頭扉絵では先生の瞑想の中という前提ではあるものの、月人たちに敬われているような描写もあり、素直に受け取るならば先生は月の世界に住んでいたか、
または元が「にんげん」だったように、月の要素も一部含んだ体や精神なのではとも考えられる。

4巻では露骨に、しろという名前の、飼い犬だったのだろうと想定されるワンちゃんな月人が出てくるわけですが、分かりやすすぎるので逆に疑ってしまうという。
手がないことを気遣うような言動までも見られるのですが、もしかしたら宝石な彼女たちに見られるかもしれないということを考えていないようにも見えるため、
抜けているのかミスリードなのかマジで分かりません。

先生の手

先生は月人と戦うとき、月人を霧散させているように思います。
その際、手袋と思われるものを外して戦闘を行うので、宝石たちに割れやすい特徴があるように
先生も手袋で手を覆っておかないと困る事情があるのだと思います。
単純には宝石の彼女たちを傷つけてしまうということがあるのでしょうか、強すぎる力故に常に開放できないというか。
ちなみに直近の巻数では手袋を外す動作がきちんと描かれていますが、1巻からも描写があったことに読み返して気づきました。

当初、先生も宝石なのかなぁと思っていました。でも、割れるような特徴が無さそうな気もするので、彼女たちを生み出した存在なのかなと次に思いました。
しかし宝石たちは、ある種自然に生まれるものであるという説明が一応はなされたので、そうでもなさそうであると。

仮に先生が月人と関わりがあるとして、月人と今は対立しているような気もしていて、そうなると目的がよく分からないということになるわけです。

先生の目的

色々と推察を多く含む考えになっていまいますが、以下色々と考えてみます。

最年長のイエローダイヤモンドの年齢を信じるならば、三千年以上は先生も生きているのでしょう。
最初は先生一人がいて、徐々に宝石たちが生まれコミュニティができあがっていったのではと推察します。
もしそれが正しいとすると、先生は月から離れる理由があったことになります。

月人がどんな意図を持って宝石たちを狙っているのか明言されていませんが、装飾品として集めているだけとは思えないのです。
最終的には先生をどうにかすることが目的のようにも感じられていて、まずは外堀から埋めようとしているのではないか。

時折眠気が来るのは先生の愛嬌ではなく、先生の性質だと思います。流石にギャグ要素として入れているわけではないと思います。
すると、眠気の要素は月人の特質なのではと思います。そんな先生の間隙を縫いながら上手く少しずつ攻めていると。
ただ、あまりにも先生の力が強いのでほとんど勝負になっていないのではと。

それにしてはあまりに勝負にならなさすぎて、マッチポンプなのではと疑ってしまうぐらいですので、また難しいところなんです。

満足らしい

先生は月人を月に返しているけれども、対象が満足していたらそのまま存在が消えるような描写も4巻終わりになされます。
逆説的には、何かしらを得ようと月人はやってきていると推察できます。
そして、しろは先生との絆のようなものを得たように見えるため、必ずしも装飾品など物的なものを得なければならないということでも無さそうなのです。

しろが全てを代表しているとは思わないものの、やはり月人は先生そのものを手に入れようとしているのではと思うのです。
先生と、今の月人が揃って初めて本来の月人に戻るような感じで。
先生は、月人の一部が分かれた何かで、今の月人の考えとは異なる存在として分裂したものなのではないかと。

魂・肉・骨に分かれたという記述がありましたが、魂の中でさらに別れ、肉の中でさらに分かれ、骨の中でさらに分かれているのではないかと思うのです。
宝石たちが一枚岩ではないように、肉の中でも王と姉で考え方が違うように、魂も別々となったのではないか。

罪深き者とは

宝石たちは無機物から生まれ、特徴的な流氷は微小植物を含んでいる場合に生まれるといいます。
アンタークチサイト曰く先生は、そんな流氷を「罪深き者」と呼んだことがあるそうです。

「者」という言葉が使われて意味はあると思っていて、骨と区別しているのかなとは思っています。
Wikipediaの骨の記述から引用させてもらえれば、約4分の3はカルシウムとリンを主成分とした無機物であり、残りの約4分の1はコラーゲンを主成分とした有機物であるといいます*1

いわゆる一般的な骨と宝石たちの構造が同じかは分かりませんが、おそらくは無機物で殆どを構成されているのではと推察します。
流氷は多少塩分が残るとしても基本的に真水であるはずですが、そこに微小生物を含むというのがどういう意味なのか。

作中の流氷は基本平べったい普通の感じですが、罪深きものは月人のような特徴的な形をしています。流氷とは少し違うと思います。
フォスが流氷を月人と勘違いしたぐらいには不気味なわけで、素直に捉えると月人を示唆しているのではと推察できます。

この流氷を先生が「罪深き者」と評したのであれば、先生は月人のことも「罪深き者」と考えているのではと推察できます。
罪深い月人とは相容れない存在、それが先生なのだと思います。ではこれが何を示唆しているのか。

罪深いという言葉の意味には、倫理に背く・不道徳的な、といったものがあるのですが、これは何か重要なキーワードのような気はしています。
このあたり、仏教や宗教などの知識があるともう少し考察が進みそうなのですが、現状は不勉強なためこれ以上は分かりません。
ただ、煩悩というようなワードはかなり関連してくるのではと推察しています。
先生はその見た目通り、出家したというのが分かりやすいストーリーなのでしょうか。世俗を離れることが出家であるならば、月人たちは世俗そのものだという示唆なのか。

時間があれば仏教についてもう少し勉強してみようと思います。

終わりに

結論はないのですが、4巻までで考えたことを書き出しました。
おそらく5巻以降ではもっと詳細に語られるのでしょうが、自分の頭で考えてから読むのとそうではないのとでは、
作品の理解度も変わってくると思いますので、このタイミングで考えました。

5巻以降はどんなストーリーになるのか、もう怖くて読みたくないのですが、続きを知りたいという欲求もあるため、
いよいよ読み進め始めたいと思います。