隠れてていいよ

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小説『九年目の魔法』 不思議であり、現実的でもある素敵なファンタジー

小説『九年目の魔法』という作品をご存知でしょうか。
イギリスのファンタジー作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ1984年に発表した原題『Fire and Hemlock』(火と毒人参)の全訳です。


ダイアナ・ウィン・ジョーンズという名前を聞いてピンとくる方は博識です。
日本では、アニメーション映画『ハウルの動く城』の原作である『魔法使いハウルと火の悪魔』を執筆された方というと分かりやすいかもしれません。
恥ずかしながら私は、本書の巻末に三村美衣さんが書いた解説を読むまで思い出すことができませんでした。

本作はファンタジーに分類される小説で、海外ファンタジー小説でこれまで読んだことがない作品を探していた時にたまたま見つけた本でした。
出会いは偶然でしたが、まさに読んで良かったと思える内容で、感じたことを残しておきたいと思います。

読みやすいor読みにくい

海外小説を読む時は、翻訳が読みやすいかどうかを少し気にかけます。
とはいえ実際には、読んで内容を理解できるかどうかのほうが重要だったりするのでそのバランスは難しいのですが(翻訳が難しいと理解し辛い、卵鶏問題もあるのですが)、本作品は最初の数章はとっつきにくかったです。

ストーリーの入りであるわけですからどんな作品か理解しようとするし、内容も分からなければ翻訳独特のテンポもありそのように感じたと思います。
ただ、徐々に登場人物が頭に描かれ始め、物語が進み始め、奇妙なことが起こり始めたときにはすっかり虜になっていました。

ファンタジーの境界線

舞台が完全にファンタジー世界(例えば異世界とか)になっている作品も好きですが、それと同じくらい日常にファンタジーが入り混じってくる話が好きです。
海外ファンタジーで言えばハリー・ポッターも日常の色が比較的あると思っています。1巻の冒頭がただの日常から始まるのが最高ですよね。

本作品もベースは日常の生活ですが、そこに不思議なことが侵食してくるのです。
主人公でありヒロインのポーリィが、ある日当たり前に流れている日常に違和感を覚えます。
自分が正しいと思っていた記憶が実は間違っているような感覚にとらわれていき、そこから記憶を辿る旅が始まるという王道的なストーリー。

ポーリィの日常描写が基本として描かれるのですが、セリフ回しが洒落ており思わずメモしたセリフや表現が多くありました。
日常を楽しみながらも徐々に不可思議になっていく、ファンタジーの醍醐味が詰まっている素晴らしい作品です。

以下ではもう少し作品の内容に迫っていきますので、ネタバレが気がかりな方はご注意ください。

リンさんという人物

終わってみればリンさんがポーリィに執着する理由は説明されるわけですが、当初は違和感しか無いわけで上手い話の作り方だと思います。
単なる少女好きな変態ではなくて、必要だからポーリィを求めたという骨格に中々気づけませんでした。もちろん本気で、ポーリィのことは好きなんですが。

ポーリィの視点で物語が語られるがゆえに、リンさんに対する印象がポーリィと同様上手く定まらなかったのだと思います。
それなりに歳を取っているようにも思えたし、作中同様若い青年だと思わされるところもあるし、ふわふわしているんですよね。
暴れ馬を御しきれないという分かりやすい型も、深く考えさせることを上手く遠ざけていたように思います。

読み終わってから思えば、リンさんが贈ってくる本とそのメッセージには意図があったはずなのに、ポーリィ同様そんなに考えない人なんだろうという勝手な想像がありました。

ただ、それはある意味ではローレルにバレないようにカモフラージュしていたことを読者も同様に体験できていたとも言えるわけで、楽しんで読めていたのでしょう。もう少しファンタジーよりに読解をしていればまた違った思考の結末になっていたかもしれません。

気に入ったセリフやト書き

以下では、本を読んでいる中で心に響いたセリフやト書きを引用しつつ感想を述べたいと思います。
なお引用元は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(2004),九年目の魔法,(株)東京創元社の上下巻のいずれかになります(上巻ppXXXより引用、のような記載をします)。

ポーリィの考え方

コーヒーの入ったマグを両手で持ったままじっとすわり、みじめな気分になっていた。ここは 〈どこでもないところ〉 じゃないわ、と思った。いやになるくらい 〈今・ここ〉。

上巻pp156より引用

この文章は、メアリ・フィールズという女性がリンさんと楽しそうに会話をするのをポーリィが見て嫉妬し気分を害する場面です。
この物語の中でも重要なキーワードである NO WHERE を上手く当てはめた痛快なセリフ回しで、読んでいてポーリィの心情がありありと想像できて素晴らしいです。

続けて同様に、メアリ・フィールズに対するポーリィの気持ちを表した以下の文章も素敵です。

よくわからないが、メアリのショッキングな発言でいちばんいやだったのが、実際の言葉づかいより、自分をぎょっとさせるためにわざとやったそのやりかただったのはわかっている。それ以上のこととなると、考えるのをあきらめざるをえなかった。大人の女の人がクラスの女子のような態度をとるのにはなれていない。

上巻pp157より引用

「大人の女の人がクラスの女子のような態度をとる」という表現がとても好きで、ポーリィの気持ちが手にとるように分かる素晴らしい表現だと思っています。
最初読んだ時思わず笑ってしまいました。嫌味な人を「クラスの女子」すなわち子供っぽかったり陰湿だったり、そういう形で毒づくポーリィが本当に面白い。

リンさんの酷い運転

家の外でおろしてもらったあとは、とちゅうで木に衝突せずにロンドンまで行き着けるだろうか、と首をひねらずにはいられなかった。
 だが行き着けたらしい。一週間後に手紙がとどいたのだ。

上巻pp168より引用

この表現の何が好きなのかというと、くどくど書かずにわずか2文でシーンが転換し結果まで記載されているそのスピード感です。良い作品ほど無駄な描写を省くというのは言われますが、テンポも相まってめっちゃ好きです。
手紙が届いたので行き着けたらしいと繋がるところを、逆に書いているので余計に疾走感があります。「一週間後に手紙がとどいたのだ」のセリフが本当にシュールに聞こえて笑いました。

あったことを表現する

リーロイさんとリンさんが実際にいたことさえ疑わしくなりだした。いたことを示すものとしては、自分のとどろく心臓があるだけ。それと怒り。怒りはこの間ずっと、こわさのかげでふくれつづけ、ついにこわさをすっかり隠してしまうほどの大きさになっていた。

上巻pp207より引用

とても危ない橋を渡っていたポーリィが、屋敷で最後に出くわす不思議なシーンの表現方法が本当に素晴らしい。
何度も同じ言葉を使ってしまうのですが、ポーリィのこの時の心情が目に見えるようなのです。
誰かいたはずなのに自分しか居ない、怖かったはずなのに怒ってもいた、そういう状況描写と感情描写の振れ幅が大きにも関わらず文字数は少なく端的に示していて、言葉選びが天才だと思う。


二人の関係

ふたりとも、五年ぶりで会ったかのように――または五分しか離れていなかったかのように――ホームを離れる前からしゃべりまくった。

上巻pp216より引用

言葉の通り久々にポーリィがリンさんに会うシーンなのですが、離れていたことを喜ぶ様子そして久々にあったとは思えないほどにすぐに話し込んでしまう関係性が見えるシーンです。人間関係の親密さをどう表すかは様々の表現があると思います。このように時間軸の手法は一般的ではあるものの、五年と五分という表現が気に入ったので。

心構え

人って変わってるんだよ。たいていは、はたで思うよりずっと変わってる。そう考えるところから始めれば、ふいをつかれて不愉快な思いすることもない

上巻pp220より引用

素直に受取るのではなくオブラートに包んで受け取ったり、予め構えておくことでショックを和らげる、そういった方法論は誰しも持っていると思います。
最近放送されている異世界おじさんという作品で紹介される、感受性を殺すテクなんかもまさにそういった類のものです。

リンさんの言葉も、事前に構えておくことで精神的なショックを負わないようにする考え方なのですが、とても丁寧な言葉づかいでポーリィに対して話しかけているセリフ回しがきれいなので紹介しました。そして、この考え方もとても素敵だなと思い、取り入れたいとも思いました。
自分が自分が、ではなく相手から考える、そうすれば自分にも良いものとして帰ってくる、そんな考え方です。

恋愛観

「こんな早いうちから始めなくてもいいのに」フィオーナ・パークスはポーリィに言った。「十五のおばさんになったとき、することが残ってないじゃない」
 ポーリィはこの言葉が気に入った。おばあちゃんあたりの言いそうなことだ。

上巻pp275より引用

私もこの言葉が気に入りましたよ。
前後の文脈を省いていますが、恋愛に夢中になりすぎて男狂いと呼ばれるまでになったニーナに対して、フィオーナが呆れるシーンです。
ポーリィの言うように格言っぽくて良いんですよねぇ。既にこういう心持ちでいるという事実も面白い。

心配り

たいしたことじゃないわ。あたしたちにはたまたま持ち合わせがある。あなたにはない。

下巻pp37より引用

両親たちに厄介払いされ途方に暮れていたポーリィが、リンさん含む四重奏団に偶然出会う。
帰りの電車賃さえ持ち合わせが無かったポーリィに皆がお金をカンパした後にアンが言うシーンなのですが、哀れみを感じさせるのではなく友達なら当たり前でしょ、と返答をするシーンなんです。
過程を逆説的にすることで、主題をぼやかし、悪く思わせないようにする会話のテクニックなんですが、こんな言い方を自然とできる人間性が素晴らしいと思います。
四重奏団の面々は良いキャラクターが多いので好きです。

愛の形

「あれ、本気だったんだろ」トムは言った。
「うん」ローレルのせいで、今後とも本気にしておかなければならない。さもなければまた振りだしにもどってしまう。手放せるほど人を愛するということは、いつまでも手放したままにしておくこと。そうでなければ、それほど愛してはいないのだ。

下巻pp248より引用

お互いの気持ちを素直に伝えるのではなく、ぜんぜん違うよ、ちゃんと考えてよ! って遠回しから詰めていく感じがたまりません。
リンとポーリィは本当に愛し合うことができるのか、それは誰にも分かりません。でも、この不器用さ加減がお互い似ているので、きっと上手くいくんだろうなぁと漠然と思ったりします。
めちゃくちゃ印象に残ったセリフ回しでした。

終わりに

久々に海外ファンタジー小説を読んだのですが、面白くてですね。途中からページを捲るのが止まりませんでした。
それほど長くはないのに、1つ1つのセリフが印象に残ります。良い作品は読後感が素晴らしいのですよね。

あらためて海外小説も良いなと思い出させてくれた素晴らしい作品でした。