ある少年は、とても失敗をした。
友達と、二度と連絡を取れなくなったのだ。
その友達とは何度も会って会話をして、気が合うと思っていた。
だが、少年は後悔をしていた。
気が合うと思っていたのは、きっと自分だけだったのだと。
物事は自分の都合よく進んでいると思い上がっていたし、自分には自信があるとも思っていた。
相手の態度を見て、強く確信をしていた。
だけど、なぜ相手の気持ちが分かるのだろう。分かった気になるのだろう。
良い人を演じて、良い態度を取っていれば相手も好意を持ってくれると強く信じていたのだ。
正しいことをやっているのだから、相手もそれに応えてくれるに違いないと、冷静な判断ができなくなるのだ。
それで上手くいくのであれば良い。
だけど相手に負担をかけていたとしたら、それは突然連絡が取れなくなるという結果に結びついたとしてもおかしくない。
少年にとっては突然の出来事でも、相手にとっては積み重なり、しきい値を超えただけなのだ。
そのスピードが、少年にとっては早すぎただけで相手にとっては必然だったのだ。
少年は反省したかった。だけど、相手に対して自分を演じて接していたから、何が悪かったのか分からない。
演じていたことを見抜かれていたのか、演じていたことが相手の気に障ったのか、演じていない部分が合わなかったのか。
全てかもしれないし、それ以外かもしれない。
演じてしまっていたから、次に起こせるアクションは演じない、ただそれだけになる。そうするしかできない。
そこから始めないと、また演じるしかできなくなる。
少年と友達の間には壁が合ったはずだが、少年はそれを冷静な目で見ることができなかった。
冷静に見れば壁が合った、だけど無いと錯覚していた。
壁の向こうで友達はそっぽを向いていたのに、こちらを見ていると勘違いしていた。
気づいたとき、友達はもう壁の向こうには居なかった。どこにも。もう何もできない。
