隠れてていいよ

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漫画『宝石の国』 骨から魂が抜けきらない

現在、漫画『宝石の国』の8巻までを読了しており、先生について考えたくて1巻から読み直して感じたことを以前に記事にしました。

thun2.hatenablog.jp


この時に盛り込めなかったけれども、もう少し考えたいというか、感じたことをがあるので記事にしたいと思い筆を執りました。
考察というよりは、想いを書きました。
相変わらずですが、8巻までのネタバレを含みますのでご注意ください。


感情

3巻で、自分のミスからアンタークチサイトを失ってしまい自暴自棄になりながらも可能性を追い求め、ボロボロになっているフォスがいました。

精神状態がぎりぎりのフォス(3巻pp176-177より引用)


このページを含めた前後のフォスは、見ていられませんでした。本当にきつい描写が続きました。


アンタークチサイトを失うまでに、フォスは体の部位を次々と損ない、別の素材で補強されていきました。
フォスの体は例外中の例外で、複数のインクルージョンが上手く同居できる稀有な存在です。

だからといって全く影響がないなんてことはなくて、呼応するまでに時間は必要でした。
脚が動くようになるまでに少し時間がかかりました、腕を自由に操れるようになるまで少しかかりました。

腕の合金は特に厄介で、フォスが心の底から感情を爆発させ、自分の手だと認識してブチ切れて動き出しました。
宝石の国は印象に残るシーンが多いのですが、特に以下のフォスのコマは目を閉じて思い出せるほどに衝撃でした。

クズ(3巻pp144より引用)


フォスの力強いセリフは強烈なのですが、実はこの前ページはゆったりとした流れなのです。
アンタークチサイトが月人によって連れ去られようとする一連の流れが、フォスにはまるで止まって見えるように描写されます。

体を動かせないフォスが、何も手を出せず眺めるだけしかできない。そんな絶望的な状況を2ページ丸々、屏風を広げたような、盾にドカンと分割したコマが横並びになるコマ割りで右から左の時系列で並べ立てるゆったりとした状況、そこからの「さっさとしろクズ!」なんです。

ハラハラするシーンで、なんとかならないのかこの絶望的状況は……というところからの反転であり余計にカタルシスを感じるのです。


しかし、アンタークチサイトを助けられなかった、のです。


新式の月人が気まぐれでもたらす、過去奪われた宝石の欠片を病的に追い求めるフォス。
何かを考えて、何かを常にやっていないと狂ってしまうと自覚しているフォス。

先生の着物を直しながら、少し冷静になり、生き物の変化の速さを「怖い」と表現するフォス。
変化の速さは、自分が急激に変わっていってしまっていることに重ね合わせた言葉で、先生からそれを指摘される。

改めて自覚する。
すると、フォスの目から涙が流れる。

涙(3巻pp185より引用)

先生の秘密が8巻で明かされた後にこのシーンを読んだとき、複雑な気持ちになりました。

これまで「にんげん」は、魂と肉と骨に分解されるという形で説明が行われていました。
この説明を聞いたとき、最初、魂が人間らしさを一番持っているのだと思っていました。

けれども考えを深めるほど、そんな単純ではないと思うようになりました。
例えば4巻で、以下のようなことを書いていました。

魂・肉・骨に分かれたという記述がありましたが、魂の中でさらに別れ、肉の中でさらに分かれ、骨の中でさらに分かれているのではないかと思うのです。 宝石たちが一枚岩ではないように、肉の中でも王と姉で考え方が違うように、魂も別々となったのではないか。

漫画『宝石の国』 4巻まで読んで先生について考えてみた - 隠れてていいよ


綺麗に別れたのではなく、別れた中でも個性があるよね、という考えです。

その後さらに考えが深まり、魂・肉・骨それぞれにすら綺麗に分かれていないと感じました。
これまで登場した月人・アドミラビリス族・宝石は、とても均一とは言えない個性があります。

「にんげんらしさ」的なものを、どこか共通して持っているように思うのです。

感情、それはとても人間らしいものだと思っていますが、月人もアドミラビリス族も宝石も、皆、感情を持っていると思うのです。
1巻を読み始めた当初から、ずっと感じていたことでした。なぜ宝石は感情を持っているのだろうか、と。



フォスの感情が高まったその時、フォスの目から合金の涙が溢れました。
本当に、自然に流れたという描写がなされていて綺麗でした。

先生は涙について、古代生物の欠陥だと言います。
この言葉を初めて読んだとき少し気にかかっていましたが、8巻を読了した今、ようやく答えが分かったような気がしました。
つまり先生は「にんげん」の機能を持つ宝石を破壊することができ、それをしたくないので意図的に仕事をしていない、そう思いました。

月人に言わせると、先生はにんげんを破壊する装置で、その機能が停止してしまったそうなんです。
先生が仕事を再開すれば、にんげんを破壊し始めると捉えることができます。

そして思うのです。もしかしたら、魂を少しでも持つものは、全て破壊されてしまうのではないかと。
月人も、アドミラビリス族も、そして宝石も。

先生は「にんげん」を嫌っているか

なお、先生が「にんげん」を嫌っているかどうか、ここは難しいと思っていて。
欠陥という言葉はマイナスな意味を持ちますが、イコール嫌いとは限りません。
涙が流れることに対して、それはフォスのせいではなく、にんげんの欠陥だから仕方がないと言っているだけだと思っています。

情が動いた時に涙を流す原理は諸説あるようですが、自律神経の交感神経が刺激され、涙腺が刺激され、涙が流れるという説は有力で、いかにも人間っぽさがある機能だと思います。

感情は、私も不要だと思いたいときがままあります。感情があるから揺れ動く、ならいっそ感情なんて無い方がいい、よく思います。
その時々で、欠陥だと思うこともあります。

先生もそんな気持ちで言ったのかもしれないな、と。
生きる中で立ち向かわなければならない感情という機能、そして涙という機能、それらを持たなければならない人間。
その難しさを欠陥という言葉で表したのだろうと。

終わりに

結論はないのですが、先生の愛はやはり複雑なんだと思いました。
そして、宝石を始め、月人やアドミラビリス族も複雑な形で生きているのだと思います。

なんだろう、ホントこの作品は、いろんな解釈の余地を残してくれて楽しいです。
とはいえ、解釈ばかりしていると本当に先に進めないので、そろそろ次巻を読もうかなと思っています。