隠れてていいよ

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みんちの板前への思いは、憧れの域を出ない

花咲くいろは5話、次郎丸さんが風呂場で「遅かったか・・・彼は行ってしまったんだ」と言うシーン
遅かったか・・・彼は行ってしまったんだ、円環の理に導かれて
(via 『花咲くいろは』5話感想 板前イケメンすぎ!こりゃみんちも惚れるわけだ:萌えオタニュース速報

4話、5話は民子編。各キャラクターの熱い想いが描かれました。4話と5話は1セットだと思うので、録画をしている方は4話と5話を通して見ていただきたい。
民子の徹への思いは、まるで「恋」のように描かれていましたが、「憧れ・好き」の域を出ないのではないか? と私は考えています。

花咲くいろは、4話と5話を見終わりました。この二話は民子編と言えるでしょう。民子がなぜ、板前になったのか? なれたのか? それに付随して、板前の宮岸徹(みやぎし とおる)の掘り下げ。
「なぜ板前になったのか?」については明かされませんでしたが、後者、「何故板前になれたのか?」の部分が描かれました。


この二話を見てずっと考えているのは、果たして民子の恋は、本当に恋なのか? ということです。

民子の徹への思いは、憧れの域を超えないと私は感じています。



本記事では、民子の徹への思いを掘り下げてみました。

民子から見た徹

  • 「結構物言いがきつくて、でも本当は温かくて、誰よりも率先して動いて、死後に一生懸命で、髪の長さはこれくらいで目はちょっとつり上がっていて、」
  • 「誰よりも一生懸命で、誰よりも温かくて、ぶっきらぼうで、冷たく見えるけれど、本当は誰よりも吉翠亭の人と仕事を大事にしてて」


民子は徹の心に惚れている。

視聴者から見た民子

  • 部屋で「好きなんでしょ? 徹さんのこと」と言われたときの民子の顔が、恋をしている顔ではでない気がします。「やっぱり私、恋してたんだわ!」と露骨に頬を染めたりしない。
  • 「これからもずっと、徹さんと一緒だね、民子さん」と言われたときの反応も薄い。これは単に、問題が解決してほっとしていただけと考えるのが普通なのですが、描写として露骨に見せないのは面白い。


4話のお風呂シーンでの顔の赤らめはどうか?
あのシーンは、恋を知られて恥ずかしがったというよりは、「緒花に徹さんを馬鹿にされたこと」と、「誰にも見られていなかったはずの告白シーンを見られていたこと、さらにその告白シーンで徹さんへの思いを語ってしまったいたことに気づいたこと」による赤い顔だったと私は思いました。少し苦しい?

再び、民子の思い

「民子は徹のことを馬鹿にされるのが一番嫌い。徹は一見、嫌なキャラに見えるけれど、実際はそうじゃないんだ。私が板前になりたかった時は助けてくれたし、喜翆荘の事を誰よりも愛しているし。本当は良い人なのに、勘違いされるのが許せない!」という気持ちが強いのではないでしょうか。恋以前の問題、そう私は考えます。


民子の徹への思いは、人間的な憧れの域を出ないのではないか? 憧れが限りなく恋のように見えてしまっている、恋だと民子が感じているだけなのではないか?

民子の徹への思いは、「好き」を超えないのではないか。「憧れ」を超えないのではないか。

最後に

緒花「ホビロンって日常会話として、使いにくいよね。私のこと指しているのか、状況のこと指しているのか、ロリコンのこと指しているのか。」

「ほんとにびっくりするほどロリコン!」