隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

『パパのいうことを聞きなさい!』はリアルすぎて辛い…だけど超面白い!

パパ聞きはリアルかどうか、といった時の「リアル」という言葉、これには捉え方の違いがあり、分けて考えないと議論が平行線になる。


本記事の結論を先取りすれば、この作品は受け手に何を伝えたいのか、また、伝え方が悪いのではないか、という点がもっと議論されるべきだということです。



本記事タイトルの「リアルすぎる」とは、キャラクターの言動の描かれ方やストーリー展開を見て「リアルすぎる」としています。このリアルさは、私が確かに感じたもので、嘘はありません。しかし人によっては、リアルではないという意見もある。


この噛みあわなさは一体何なのか。


もちろん受け取り方の違いなんでしょうが、本質には、この作品が「何を意図して作られているのか」「誰に向けて作られているのか」「どんなメッセージを伝えようとしているのか」という部分の、受け取り方の違いなんだと思います。
つまりこの作品を「萌え作品」として受け取っている人もいれば、萌えと辛さが絡みあったハートウォーミング作品だと考える人もいれば、ガチガチのシリアスものだと考える人もいるわけで、それぞれの人の、作品の捉え方によって、「リアル」「リアリティ」の捉え方が大きく変わってくるということなんです。


最近、以下の二つの批評記事を読みました。


最初、これらの記事を読んで、全くピンと来ませんでした。自分は『パパ聞き!』に対して物凄く感情移入しており、そしてリアリティを感じているのに、それが否定されているように感じたのです。

しかし前述したように、作品の捉え方の違いが大きいという結論にいたります。


後者の記事のコメント欄で、id:Perry-Rさんは以下のような、非常に重要なことを仰っています。

さて、この「パパ聞き」ですが、「ラブコメ」ではなく、「細腕繁盛記」もとい「細腕子育て記」的“ド根性系ホームドラマ”だと思ってます。リンク先(筆者注:リンク先とはツイプレッションさんの記事を指す)では「このアニメは女の子と同居して色々楽しい展開が有るアニメのはずである」との前提で、「だからここがおかしい」と批判していますが、その認識が根本的に違うのではないかと。

『パパ聞き!』のチグハグ感にはラノベ原作物のクリシェが根差しているのではないか? - flower in my head - コメント欄より

さらに

私は「パパ聞き」は、「世間知らずの大学生(子供)が、さらに子供3人を引き取って育てる事を余儀なくされ、四人が苦労しながら、周辺の人たちに助けられつつ生活していく『不幸系ホームドラマ』」だと考えています。
(中略)
このアニメを「女の子三人と同居ラブコメ」アニメとの前提で見れば、もうダメダメダメで、色々余分な設定・描写が多すぎで(両親がいきなり死んだとか、お金の苦労の話とか、見たくも無いですよね)、「そんな重い設定なんか不要! 楽しいイベントでブヒブヒ言わせてよ!」とDISられるのも無理の無い話です。しかし、これを『昭和風ホームドラマ的アニメ、貧困・生活苦などの障害を擬似家族の絆で乗り越えるド根性物』と見れば、そこそこの仕上がりだと思います。

『パパ聞き!』のチグハグ感にはラノベ原作物のクリシェが根差しているのではないか? - flower in my head - コメント欄より

もちろん私も、「美羽可愛すぎ笑った」とか「ひなたんは天使」とか、しょっちゅうツイートしていますが、そうは言っても、id:Perry-Rさんの言葉を借りるならば、“ド根性系ホームドラマ”『昭和風ホームドラマ的アニメ、貧困・生活苦などの障害を擬似家族の絆で乗り越えるド根性物』として見ている部分が大きいんです。

私の考えが見事に言語化されているid:Perry-Rさんのコメントを見たことで、なぜ私が本作品にリアリティを感じるのか、そして私が感じている「リアル」「リアリティ」の部分が、例えばツイプレッションさんの記事でなぜ批判されているかが見えてきました。



さて、以上が結論の先取りとなります。

以後ではまず、本作品の捉え方が違うと、どれほど理解の仕方に齟齬が発生するのかという実例を見せたいと思います。

以下、(ここから!)から、(ここまで!)という部分までの文章は、私が上のような結論に至る前に、感情的に書きなぐった文章です。是非、その噛みあわなさをご覧になってほしい。

なお青字は、上のような結論に至った後に読み返した時の、私のコメントです。合わせて楽しんでいただければと思います。


そしてそれ以後は、最初に述べた論点である、この作品は受け手に何を伝えたいのか、また、伝え方が悪いのではないか、という部分について私の意見を述べています。時間のない方は、「論点の考察」という見出しまでスクロールしていただいても結構です。

それでは長くなりますが、是非お付き合い下さいませ。




(ここから!)

まずは設定をおさらいしよう

本論に入る前に、幾つか設定をおさらいしてみよう。なお、今から書く情報は全てアニメで提供されているものです。ちなみに私は原作は未読で、漫画版は立ち読みしている程度です。

まず、「設定をおさらいしてみましょう」、と厳密に設定確認から行おうとしているところからも、齟齬が分かる。私は、悠太や3姉妹のバックグラウンドを理解することが作品への理解に大きくつながると信じていましたので、まずはその論の補強のために設定確認をしようとしたようです。


さて、本作品の主人公である瀬川悠太と、ヒロインズの小鳥遊家の家庭事情は結構複雑です。


まず瀬川悠太。彼は、幼い頃に両親を亡くしています。その際、姉の悠理と引き離されそうになりますが、悠理が「悠太を育てる!」と強く主張し、おそらくは半ば強引に悠太を育てたことが伺えます。おそらく小学校低学年から大学に入るまで面倒を見ていたと推測できます。
両親を亡くした悠太にとって姉の悠理は、親代わりであり大切な家族であり、そして大切な姉です。その姉の悠理は結婚していますが、それが小鳥遊家ということになります。


小鳥遊家には3人の女の子が居ます。長女の空・次女の美羽・三女のひなです。ただし、悠理の子供はひなだけで、空と美羽は旦那さんの連れ子です。旦那さんはバツ2です。最初に結婚した女性との間に空が誕生したようです。しかし奥さんは亡くなっているようです。時期は分かりません。
その後、外国人の女性と再婚するようです。そこで美羽が生まれます。美羽が金髪なのは、ハーフだからです。その後、原因はわかりませんが外国人の女性とは離婚したようです。
離婚した後は、どの程度の時間が開いたのかわかりませんが、悠理と再婚するようです。そして、ひなが誕生、3歳となる頃から本作品の第1話が始まるようです。



これらの設定は裏設定でも何でもなく、ちゃんと作品内で語られていることです。特段、隠されていません。案外、バックグラウンドがあります。

詳しく描かれていない部分にそれなりのバックグラウンドが存在したんだよということを強調するように、作品内では「ずっと」という言葉が頻繁に使われます。例えば悠理が、悠太のことを「ずっと大切な家族なのよ」と言うシーンはわかりやすいですね。

こんなにバックグラウンドがあるのにどうして感動できないのか、という論に持っていきたいことが透けて見えます。

時間軸を意識するべき

4話までの時間軸について、自分なりの考察を示します。

1話から主に4話までで、以下の出来事が起こります。

  1. 悠太が大学生になり、一人暮らしをはじめる
  2. 悠太に3姉妹を任せて、小鳥遊夫婦が新婚旅行へ行くが飛行機事故に遭う
  3. 姉妹は引き離されそうになるが、それを見ていられなかった悠太が親族の了解を得ずに3人を強引に連れ去る
  4. 3姉妹プラス悠太の生活が始まる


まず両親が新婚旅行に行ってから、悠太が3姉妹を引き取って生活を始めるまで、それほど時間は経過していないと考えられます。
悠太が大学に入学したのはおそらく4月でしょう。新歓コンパが行われて数日から数週間後に悠太が小鳥遊家へ行き、姉たちが旅行中の間、3姉妹を預かることになり、そして事故(事件という方が正しいかもしれないが、便宜上事故とする)が起きます。
飛行機事故なので死亡確定までにある程度の時間がかかると考えられますが、悠太に引き取られてからの姉妹の会話の中で「夏休みの間、おじさんの家に遊びに来ているんです」旨を言っていること、また、「姉妹たちの学校生活をどうするのか」という悠太の葛藤がまだ描かれていないことから、両親の死亡が確定したのは少なくとも7月の終わりごろか、8月の初め頃だと予想できます。
もちろん、両親が飛行機事故に遭った瞬間から学校を休んでおり、夏休みに入るまではずっと休むことにしているという設定があったら別ですが、そうでないならば、悠太が3姉妹を引き取ってから生活を始めるまで、あまり時間が経過していないと考えられます。少なくとも4話5話の時点では、葬式後1ヶ月は経過していないと推測できます。


さて何が言いたいかというと、悠太と3姉妹は、まだ気持ちの整理がついていないということです。3話の時点ではもちろんのこと、4話においても5話においてもです。

つまりですね、「両親が死んでるのに、なんで葬式の次の日にイージーモードに入ってるんだよ、ブヒりモードに入ってるんだよ」という指摘は、私からすれば全くの的外れで、むしろ葬式の次の日の描かれ方としては充分にリアルだと感じているのです。
彼・彼女らは。めっちゃ悩んでますよ、めっちゃ悲しんでますよ、めっちゃ平静を装ってますよ。

そして、この部分こそ、私が(ストーリー的な意味で、キャラクターの言動的な意味で)リアルすぎると主張するところでもあります。


同居に至る経緯の「リアルさ」

あちらこちらで散々指摘されていることですが、どう考えても同居に至る経緯はおかしい。
物語のとっかかりですから、三姉妹の両親が飛行機事故で行方不明になる点は致し方ない。
親戚たちが三姉妹の去就を決めて、「一緒にいたい!」とそれを拒否する長女、ここで2話終了もいい。
ところが3話冒頭、いきなり三姉妹を連れて逃亡する主人公。お前は誘拐犯か何かか。

この作品がガチガチのシリアスで行くなら、百歩譲ってそれでもいいでしょう。
「彼女達を引き取る」という主人公の宣言を若造の戯言とはねつける親戚と、覚悟を決めて三姉妹を連れて逃亡する主人公。そういうアニメならそれでよし。

ところが一転、その足でカラオケ店で昼食がてらキャラソンメドレー。折角シリアスに片足突っ込んだのに、ブヒモードに強制連行です。
「お前ら親戚のところから逃げてきた…ってか、そもそも両親の葬式の翌日ですよね?」と言いたくなります。
しかも能天気なシーンに突然親戚のおばさんから主人公を諭す電話で、主人公のシリアスモードのカットイン。

ツイプレッション : 「パパのいうことを聞きなさい!


私が思うに、同居に至る経緯はそれほどおかしくない。2話終了間際の、「悠太と悠理が引き離されるかもしれない」という主人公の回想を見れば、それが痛いほど理解できる。
前述しましたが、悠太は幼い頃に両親を亡くしており、その際に姉と引き離されそうになった経験をしています。今の自分があるのは、その時に姉が、自分を決して放さなかったからだということを、悠太は理解しています。だからこそ、理論もクソもなく、感情で動いて3姉妹を連れ去ったのであり、ここにはストーリー的に全く破綻はない。ストーリー的に、というのがミソで、「3姉妹を連れ出すために、主人公に過去のバックグラウンドを与えたという設定」は議論の余地があると思います。

作品の捉え方の違いが鮮明に出ていることに気づいていない。「この作品がガチガチのシリアスで行くなら」を曲解しているようである。


さて葬式の次の日に、3姉妹を連れ出す悠太。まずは昼食にしようということでファミレスに入ろうとします。しかし前日に葬式があったことを考えると、家族連れが多いファミレスに入ることには躊躇したようです。
そこでまず、できる限り空いていそうなファミレスを探しますが満席ばかり。やっと見つけたお店は、少しお値段が高い。どうやら一人最低1000円は超えるようだ。
そこでふと振り返ると、カラオケ店があります。「ここなら値段も安く抑えられるし、歌を歌うことでみんなの気分が紛れるかもしれない」と悠太は思ったのでしょう(値段については後述)。
さてカラオケ店に入った悠太ですが、彼の気が動転していることはおばさんからの電話イベントでよく理解できます。たまたま居合わせた同級生の仁村との対比から、いかに悠太が焦っているかが分かります。このへんの描き方、私は凄くリアルだと思いました。平静を装うとしているんだけどそれが隠しきれていない、感情的に動いたけれど現実問題としてはすごく重いことをしてしまった、という部分です。

では突然両親を亡くして、突然悠太に連れ去られた3姉妹の心境はどうでしょうか。3話、悠太の家に向かうまでのシーンでは、3姉妹は確かに全体的に明るく描かれているようです。しかしカラオケ店内では、空が顔を曇らせるシーンが描かれます。
美羽はどうか。彼女はかなり気丈に振舞っていたようですが、ひなの何気ない一言で、辛い現実を思い出します。
ひなはどうか。彼女は、まさしく3歳の子供の振る舞いそのもの。両親の死をまだ理解出来ないため、突然皆が触れたくなかったことを指摘するなどしますが、それ以外は普通の3歳児ですね。
悠太の家に到着するまでの間だけでも、充分すぎるほど3姉妹のリアルさが伝わって来ました。悲しいんだけど、それを表に出してはいけないという部分、それが行間からひしひしと伝わって来ました。

行間から感じられる「悲しいんだけど、それを表に出してはいけない」という部分は、悠太の家についてから明示的に描かれます。ひなの「もうじき帰ってくるんだよね」「遠いところに行ったんでしょ。でも帰ってくるよね、だってママ、ひなのことギュッとしていったもん、すぐ帰るからねって」という言葉に、美羽は涙を抑えきれなくなりました。でも、ひなの前で、空の前で泣くことはできないので、家を飛び出します。
空も同じです。夜、布団に入って皆が寝付いてから、涙を流します。いや、涙が自然と流れるという表現が正しい。なぜ涙を流したか、それは一緒に眠るひなと美羽を見て、両親がもう居ないことを改めて感じたから、そして同時に、3人一緒に居られることに対して、自然に涙が流れたのだと私は思いました。
私は、涙こそ流しませんでしたが、非常に胸を打たれました。




このように、同居に至る経緯について私は非常にリアルさを感じましたし、感じたからこそ感動したのだと思っています。
感動に至るロジックには、特段、違和感を覚えませんでした。

感動を演出するために◯◯のイベントを挟んだりすることは如何なものか、という議論には余地があるけれど、リアリティがないから感動できなかったという主張には、少なくとも私は賛同できない。

こんなにリアリティがあるじゃないか! と力説しているが、明らかにツイプレッションさんの記事の論と噛み合っていないことが分かる。

主人公の金銭感覚

次に気になるのは、主人公の金銭感覚です。 
「1200円のランチで逡巡してたくせに、カラオケで飯とか舐めてんのか?」というツッコミは措いておきます。

ツイプレッション : 「パパのいうことを聞きなさい!」で考えるブヒとシリアスの匙加減


悠太たちが昼食に使用したカラオケ店は、ビッグエコー立川南口店がモデルだそうです(参考:パパのいうことを聞きなさい!舞台探訪・3話(立川・多摩・八王子)編|ひきこもりかけぶろぐ
ただし、外観だけをモデルにした可能性が高いようです。参考記事によると、店内の内装が一致した場所が無かったそうですし、また以下で記述するようにドリンクバーをやっていないことからも、そう推測できます。



20120214011044
画像は、上記事から引用させて頂きました。
ちなみにグーグルストリートビューはこちら(http://g.co/maps/8cnqm)。


検証のために、立川南口店の各種料金を見てみましょう。この検証はあまり重要では無いので、興味のない方はちょっとスクロールしてやって下さい。

まず料理ですが、フライドポテトが430円、鶏の唐揚げが580円だそうです。次にカラオケの値段ですが、お一人様30分の室料(平日、OPEN〜19:00)は、学割で100円(1ドリンクオーダー制)だそうです。ファミレス選定時ドリンクバーが条件に入っていましたので、ビッグエコーの他店におけるドリンクバー付きの30分の値段がおおよそ180円程度だということを考慮して、試算してみましょう。
ひなは3歳なのでおそらく無料でしょうから、まず3人分の30分ルーム代金として180×3=540円。これにフライドポテト430円と唐揚げ580円を足すと1550円。明示されていませんがポテトチップスも注文しているようですので、これが(立川南口店では)380円だそうですから足して1930円。仮に1時間居たとしても1930+540=2470円。

ここで、ファミレスで食事をしていた場合の料金も考えてみましょう。最初に入ろうとしたお店はモデルが分かりませんでしたが、2軒目はガストでしたので、ガストを参考にしてみましょう。
まず料理ですが、ひなが注文するものとしてキッズメニューの「キッズハンバーグプレート」523円は妥当でしょう。悠太、美羽、空ですが、ランチメニューの「ライトミール」欄のメニューを眺めると大体500円〜600円ですので、600円としましょう。次にドリンクですが、ドリンクバーは大人208円、子供105円だそうです。
以上より、523+600×3+208×3+105=3052円。仮に悠太が昼食を抜いたとしても2244円なので、先ほどのカラオケの値段と比較しても大きな差はないようです。


以上より、カラオケ店のモデルがビッグエコーで実際の値段を計算するとファミレスと大差がない! …ということを主張したいのではなく、カラオケ選定という部分だけを見れば悠太の金銭感覚は至って普通です、ということが主張したい。検証しなくても理解できたことですが、このように検証してみても大差が無いことが分かりました。
むしろ家族連れが居ないだろうという考えからするならば、ファインプレーだったのかもしれません。

「カラオケ選定という部分だけを見れば悠太の金銭感覚は至って普通です、ということが主張したい」とか、非常に大人気ない。今は反省している。 ここは本質じゃない。


繰り返しになりますが、昼食にカラオケ店を選んだことを、金銭感覚が麻痺していることの根拠とすることは弱いと思います。


その後、さては凄まじい倹約でも…と思いきや、翌朝は「朝食の準備を忘れた」とかいう理由で、コンビニで8000円超の買い物。生きていくつもりはあんのかお前。
4話の終盤で「今日は姉妹を喜ばせたかった。明日からは倹約だ」とか言ってますが、それはケーキの理由にはなりこそすれ、「朝ごはんの用意を忘れた」としてコンビニで多額の買い物をした理由にはならないのでは。
「お金なんか心配しなくていい」と子供たちに言うのはそれでいい、だがお前はお金の心配をしろ。

ツイプレッション : 「パパのいうことを聞きなさい!」で考えるブヒとシリアスの匙加減


主人公の気持ちの動きを追っていくと、実は「朝食の準備」と「ケーキの購入」では、その意味が少し違うことが推測できます。
あくまで推測ですが、「朝食の準備」時点では、まだしっかりと主人公の気持ちが落ち着いていません。まだ、どたばたしている感じです。倹約という意思は強固ではありません。固まったのは、バイトに出かけるときの「いってらっしゃい」というシーン以後だと思われます。

あまりに多くの朝食を買ってきたことについて悠太は、「みんな何が好きかわからないからいろいろ買ってきたんだ」と言いますが、倹約しなければという強い強い意思が固まっていない主人公の思考からすれば、妙にリアリティのある言動だと私は思いました。
以下はさらに推測が入ります。
3姉妹には心配を掛けたくないという気持ちと、「朝食は少なすぎてもダメだし、みんなが好きなものがあったほうがいい」というよくわからない気持ちが混ざり合って、悠太は買いすぎてしまったのではないかと妄想する。


とはいえ、確かにこれは妄想かもしれない。だけど、仮に特に理由もなく8000円近くも朝食に使ってしまったことだけをみて、彼の金銭感覚が麻痺しているかと強く主張できるかといえば私はそうではないと思う。むしろ、その後の倹約という部分を浮き上がらせるためのイベントとも受け取れなくはない。もしくは、こんなお金の使い方で、この先主人公は大丈夫なのかという不安を煽る演出だとか。
すなわち批判としては、「倹約を強調するための演出として、8000円の朝食というイベントを挟んだことは違和感がある、感情移入できない」とか「このアニメは萌えアニメのはずなのに無駄に不安を煽る演出をするな」という批判なら妥当だと私は思うんです。



ではケーキの時はどうだったか。これは「いってらっしゃいおじさん → あぁ、家族っていいなぁ」や、「いってらっしゃい…か。よし」という悠太の言動から分かりますね。朝のこのやりとりは、「今日は今日だけは、みんなが喜ぶことをしたかったんだ」という最後の言葉に繋がります。
悠太の明確な意思が現れているのが「ケーキ」。朝食は、わりと行き当たりばったりだと推測できます。


敢えて批判するとするならば、3姉妹を養おうとしているのになんというお金の使い方! まったくリアリティがない! という作品設定批判に向かうべきでしょう。

ただ私は悠太の行動原理は、それなりに納得ができてしまいました。人それぞれですかね。

このあたり、無理矢理に理由付けをしようとしているてらいがある。固執した考え方は、こういう悪い方向へと行くことがある。自戒。

(略)
ブヒとシリアスどっちにしようかと迷った挙句、どっちつかずで、かつありえない結論になっています。
無駄に重いくせに、無駄に中途半端です。

ツイプレッション : 「パパのいうことを聞きなさい!」で考えるブヒとシリアスの匙加減

両親がなにやってるのかわからない、もしくは「海外出張」の一言で片付けられている作品なんて沢山あります。
(中略)
ところが本作品は、ハートウォーミングにもシフトをおいているため「同居する理由」「その事態をどう受け止めているか」の匙加減を大きくせざるをえず、かつ、それに失敗しました。
同居の理由は無駄に重く、かつ、無駄に重いのに当事者たちの受け止め方が軽い。

ツイプレッション : 「パパのいうことを聞きなさい!」で考えるブヒとシリアスの匙加減


私が理解するに、なんだかんだ言って、結局はここに行き着いているようですね。記事主さんはシリアス設定とそうでない部分のアンバランスさを批判しているのですよね。「ブヒとシリアスの匙加減」というタイトルからも伺えます。


しかし改めて言いたい。
ほんとうに軽いのか? 当事者たちの受け止め方が軽い? そんな馬鹿な、と私は思ったので、幾つか見てみましょう。

美羽に注目してみよう

美羽というキャラクターは、すごく大人っぽく見える。小学校5年生という設定ですが、口調や考え方は確かに「大人っぽく」見える。とはいえ、別に彼女は大人っぽいキャラではあっても、大人キャラではなく子供です。

両親が突然亡くなって、お葬式があって、次の日に悠太に連れ出されて、家に向かう電車の中で笑顔でいる美羽をみて、おかしいと思いますよね。なんで笑顔なんでしょうか。空でさえ、ちょっと悲しげな表情をするのに、美羽は終始笑顔なんです。彼女が脳天気だからではないでしょう。

気丈に振舞っているに他なりません、平静を装っているに他なりません。なぜそんな装いをするのかといえば、自分が悲しくなると、姉妹みんなを悲しませることを理解しているからです。
事実、悠太の家についてから、ひなの言葉をキッカケに飛び出してしまいます。緊張の意図が切れたようです。
姉に心配をかけないように、妹に心配をかけないように、人一倍気を使える大人っぽいという表現は確かに正しいかもしれない、だけどただの子供なんですよ。
この、美羽というキャラクターの描き方、すっごくリアルだと思います。

これも本質とは違う。美羽が平静を装っていることはあたり前なのに、まるで記事主さんがそれを読み取っていないかのように曲解している。反論としては明らかにおかしい。


(ここまで!)

というように

アニメの捉え方がそもそも違っているのに、自分の考えを押し付けようとしていました。反論をしているつもりでも、まったく反論になっていないわけです。
最近、論理的思考を鍛える5つの反論のパターン/「きのこVSたけのこ」論争に終止符を! - デマこいてんじゃねえ!という記事を読みましたが、その中で「反論のパターン」として以下の5つが上げられていました。

反論のパターンは以下の5つ。

1.No reasoning (論拠がない)
2.Not true (うそだ)
3.Irrelevant (無関係だ)
4.Not important (重要ではない)
5.Depend on *** (○○による)

論理的思考を鍛える5つの反論のパターン/「きのこVSたけのこ」論争に終止符を! - デマこいてんじゃねえ!

今回の私のケースは、5.の「Depend on *** (○○による)」を考慮できていないことが分かります。だから、どんなに反論をしたとしても、記事主さんたちとは相容れないわけです。


きのこの山たけのこの里よりも優れている」なんて主張をする人には、こう反論してやろう:
「そんなの時と場合によります」
ていうか、ぶっちゃけどうでもいいとコアラ派の私は思う。

論理的思考を鍛える5つの反論のパターン/「きのこVSたけのこ」論争に終止符を! - デマこいてんじゃねえ!

これが、つまりは以下のようなことになる可能性もあったわけです。


「『パパ聞き!』はめちゃくちゃリアルじゃないか!」なんて主張をする人には、こう反論してやろう:
「そんなのアニメの捉え方によります」
ていうか、ぶっちゃけアニメに対して何熱くなっちゃって(ry

記事を書いている最中に、こういった事実に気づけたことは本当に良かったと思います。

論点の考察

ではもう少し進んだ考察をしましょう。論点は、冒頭にも述べたように、この作品は受け手に何を伝えたいのか、また、伝え方が悪いのではないか、という点です。
再びid:Perry-Rさんのコメントを、後者の記事から引用させて頂きます。

と言う事で、このアニメ最大の問題点(?)は、リアリティがどうとかシリアス要素の配分を間違えたとか、そんな所には無く、「擬似家族の絆のドラマ」で有るにもかかわらず、「女の子と同居ラブコメです」「視聴者にブヒブヒ言わせるアニメです」みたいに思わせていること、に尽きるかと。ドラマの作り方はまっとうですが、宣伝の仕方が悪い。「甘〜いギャルゲーみたいな展開を楽しみたいのに、こりゃねーよ!」と文句言われても仕方ないでしょう。スタッフが批判されるのは自業自得かもしれない…

『パパ聞き!』のチグハグ感にはラノベ原作物のクリシェが根差しているのではないか? - flower in my head - コメント欄より


『パパ聞き!』がどんな作品かと聞かれたら、10人に聞いたら7人くらいは「同居ラブコメ」「ブヒアニメ」と答えるという感覚は確かにある。それほど、本作品は「萌えとかブヒ」と呼ばれる部分が持ち上げられやすいように思う。では果たして、制作側は、『パパ聞き!』という作品で「ラブコメ、萌え、ブヒ」などといった、シリアスではない部分をプッシュしたかったのだろうか。


ここで『ロウきゅーぶ!』という作品と比較してみたい。
アニメ『ロウきゅーぶ!』を「ブヒブヒできるアニメだった」と言われて、真っ向から反対したいという人は、どちらかといえば少ないと推測できます。詳しくは、ロウきゅーぶ! 原作を読んだら更にハマった! アニメと原作の照らし合わせという記事に譲りますが、制作側からは「ロリ」を押し出す姿勢を強く感じ取れたからです。スポコン部分を描きつつも、メインはロリ、というメッセージがしっかりと感じ取れました。

アニメだけを見た方はびっくりされるかもしれませんが、原作を読むと、案外「スポコン」しています。「ロリスポコン」などと番宣で流れたものですが、あれは別に嘘ではなく、原作ではスポコン描写がかなり尺を割いて描かれているのです(詳しくは上述した記事を参考)。

ロウきゅーぶという作品は、原作のスポコン部分を抑え、さらに抑えるだけでなくその部分を上手くロリ部分に転換させました。作り手の伝えたい事が、伝わってきました。アニメだけ見ている層にとっては、非常に楽しみやすい作品だったのではないでしょうか。
だからロウきゅーぶに対して、「スポコン描写が全然無いのに、試合でサクサク勝つことに違和感がある」という批判が向けられることは、ある意味では正しいことなんですよね。そしてその批判に対しては、上で述べたようにちゃんと理論武装できるわけです。


対して『パパの言うことを聞きなさい!』はどうか。私のように、『昭和風ホームドラマ的アニメ、貧困・生活苦などの障害を擬似家族の絆で乗り越えるド根性物』と見ている人もいれば、女の子と同居して色々楽しい展開が有るアニメと見ている人もいます。作品への感じ方は自由であるわけですから、もちろん捉え方が違っても良いわけです。

しかし問題は、「シリアスではない部分を強く捉えた側」にとって、違和感をやアンバランスさを感じさせるような作り方をしたことでしょう。この部分は、批判されてしかるべきなのかもしれません。もちろん、そう捉えた側にとって、です。

もし「萌えやブヒ」を大きくプッシュしたかったのなら、パパ聞き原作のアウトラインだけを拾ってきて、アニメで再構成しても良かったのかもしれない。ちゃんと意図がある原作改変であれば、それは「原作改悪」「原作レイプ」と言われにくいと私は思います。


ただし繰り返しになりますが、私の正直なところを申しますと、本作品を「ハーレムもの」とは見ていないんですね。だから、なぜ本作品を「ハーレムもの」と捉えたのか、という点は議論の余地があると思います。ラノベ作品だからイコール「ハーレムもの」というレッテル貼りをしているわけではないと、私は信じています。


さて、ではこの作品を「ハーレムもの」ではなくて、『昭和風ホームドラマ的アニメ、貧困・生活苦などの障害を擬似家族の絆で乗り越えるド根性物』などと見ている人にとってはどうなんでしょうか。すなわち私ですが。
この点について、私は少なくとも5話までにおいては、殆ど矛盾なく見ることができています。理由としては、上で長々と感情的に書いた部分なわけです。
すなわち各キャラクターたちは、ちゃんとバックグランドに基づいた言動をしているので、自分の中で理由付けができているわけです。

だからこそ、もしこの作品が萌えやブヒを一番にプッシュしたいのではなく、「シリアス」を軸にしたハートウォーミングなド根性物にしたいというのならば、6話以降の展開が鍵になってきます。
というのは、3姉妹と同居してからまだそれほど時間が経過しておらず、超重要イベントが訪れていないと思うからです。
例えば重要イベントとは、

  • 夏休み明けの学校はどうするのか
  • 3姉妹との同居について、将来的にどうするのか、についての意思決定

といったものです。本気の本気で意思決定の必要があるイベントです。
もしこの部分を、本作品が避けて通ってしまったのなら、私はこの作品に対して「一体何が伝えたかったのか」と批判をしなければなりません。

しかし現段階、すなわち5話までにおいては、まだ少なくとも私は矛盾を感じていません。楽しんでみています。
ですから私は、もう少しこの作品を見守っていきたいのです。

終わりに

「前提条件を疑ってかかれ!」とか「人は絶対に何かしらのバイアスがかかるから、それを常に意識しなければならない」とか「先入観は怖い」とか、よく言うじゃないですか。
こういう言葉って、ある種当たり前だと思うんですが、実際の立場になってみると、案外、気づかないものなんです。だからこそ、こういった言葉が金言となるのであり、常に意識しなければいけない理由なんだと思います。
気を引き締めたいと思います。


というわけで、『パパのいうことを聞きなさい!』はリアルすぎて辛い…だけど超面白い!



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