かけがえない毎日は、一体いつ「かけがえない毎日」であるということに気づくのだろうか。
かけがえない毎日を失ってから気づくのだろうか。それはとても悲しい。だから大人は子供に対して「何てコトない毎日が かけがえない」と言うのかもしれない。
かけがえない毎日は、一体いつ「かけがえない毎日」であるということに気づくのだろうか。
かけがえない毎日を自分は過ごしていたんだなと感じた時に気づくのだろうか。しかしそれは長く続くのだろうか。それを思うと毎日が怖い。
アニメを見ることは、自分にとってかけがえないものであると思っていたし、今でもそう思っている。現在はあまりアニメを見ていないが、それは別に失ったというわけではない。現在はあまりアニメを見ていないが、「あぁ、自分はかけがえない毎日を過ごしていたんだな」という後悔もない。
だからこそアニメは、自分にとって何なのかよく分からなくなってきている。よく分からなくて、考えようとすると怖くなって、だから曖昧にしておくのだけれど、やはり何なのかよく分からないので胃が痛くなる。
アニメは所詮娯楽なのだから、それ以上でもそれ以下でもないのだから、深く考えなくてもいい。そんなもんだと思って付き合えばいいとは世間では良く言われるが、それは確かに事実だけれども、一度でも、人生を救われるレベルの関わり方をしたら、切り離して考えられないというのもまた事実である。
あぁ、アイカツの星宮いちごちゃんは毎週毎週アニメで輝いているのだ、生きているのだ。そう思うと、その生き様を、現在見ることができていない自分は一体何なんだろうか、とまじめに思うのである。その一方で、見ていなくても何とか割り切って生きていくことが少なくとも1クールはできているという達観した自分もいるのだ。いや、達観しているというのは嘘かもしれない。やはり考えてしまうから。
自分にとって、かけがえない毎日はアニメを見ることだけなのか。そうなのか、そうでもないのか、それも含むのか、実は違うのか。
何てコトない毎日が かけがえないの
オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ
何てコトない毎日が トクベツになる
実践中の思考は 理屈なんかじゃないんだ
カレンダーめくって今日も わたしらしくアレ 前向きに
視界良好 おはようみんな
『アイカツ』1年目 前期エンディングテーマ「カレンダーガール」より
「実践中の思考は 理屈なんかじゃないんだ」という言葉はすごくいいですね。救われます。
思い出は未来のなかに 探しに行くよ約束
同曲より
いちごちゃんがアメリカに行く時に、あおいと蘭に伝えた言葉でもあるわけですが、この歌詞は本当に良い。思い出は過去だけでなく未来の中にもいっぱいある、といちごちゃんは言うのだ。本当に救われます。
今はアニメを殆ど見ていませんが、きっと大丈夫だと思います。
私のオタクの大先輩は、あるときほとんどアニメが見れない時期があったけれどその後、「あぁ、やっぱりアニメは必要だね」と、私にそうおっしゃいました。私は大体は大先輩の後を追っていることが多いので、多分大丈夫。アニメは必要。