隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

10年続けたはてなダイアリーからはてなブログへ移行しました

アニメ『アイカツ』の前期エンディングテーマ「カレンダーガール」。
この曲の歌詞で、今もずっと私の心に残り続けているものがあります。

何てコトない毎日が かけがえないの
オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ

アイカツ』1年目 前期エンディングテーマ「カレンダーガール」より


生きている毎日が、かけがえないものであると大人は言うけれども、
今まさにアイドルになろうともがいているものたちに取って、それはピンとこないという。



果たして自分は、いつから毎日が「かけがえのないもの」だと思うようになったのか
少なくとも10年前は、思っていませんでした。
アニメや漫画など、自分が好きなものを全力で楽しむために、学業もほどほどに日々バイトに打ち込み、
稼いだバイト代はその月で全て使い果たしては、また稼いで使い果たし、と激動、しかし楽しいソロオタクライフを過ごしていました。


契機は、間違いなく就職でした。
2012年に社会人となり、既に4年経過し、5年目に入っている今、私の生活の殆どの時間は仕事に費やされています。
人は余裕が無くなると、ここまで何もできなくなってしまうものなのかと、何度も自分を問い詰めた4年間でもありました。




というわけで、なんとなんと、ブログを書き始めてから10年が経過しました。おめでたい。
正確には、はてなダイアリーの「隠れてていいよ」は、2006年9月25日 03:09:52 に始まりました。
せっかくなのでキャプチャを取りました。

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素直に、10年続けられた自分を褒めてあげたいと思っています。
年齢を重ねるにつれて続けることの難しさを実感していたからこそ、この10年という期間は、改めて自分を鼓舞するものとなりました。

そして今回、10年続けたはてなダイアリーからはてなブログへ移行することにしました。
理由は、強いて上げるならばちゃんと新しいものを使っていこうと思ったからです。

ただ、はてなダイアリーは最近開発が止まっていて、当たり前のことができないことが多くて、それを補うためにコストを支払うのもそろそろやめようかなと思ったのも一因ではあります。
twitterのツイート埋込をするためにHTMLタグを修正する必要があったり、ニコニコ動画の埋め込みウィジェットがそのまま利用できなかったり……。

もちろんはてなダイアリーに未練がないといえは嘘になります。ただこの思考は、物を中々捨てられないあの思考だなぁと思うところもありました。
なので、今回移行することに決めました。


オタクとして10年

p-shirokuma.hatenadiary.com



私はおそらく、オタク迫害のよりリアルな時代よりも少し後の時代にオタクになったので、少し平和ボケしているのかもしれないですが、とは言え、「オタク」と言う言葉を出すことがはばかられる時代に生きていたことは間違いなく事実でした。

特に高校生の時代は、オタクを隠し続けることがとにかく必要で、バレたら人生が終わり、ということが冗談ではない、リアルでした。
だからとてもとても真剣に隠れました。

thun2.hatenablog.jp



私のブログ名である「隠れてていいよ」という名前の由来は、ご想像どおり「隠れオタク」にあります。
歌手KOTOKOさんの名曲『覚えてていいよ』というタイトルと歌詞に、隠れオタクの気持ちを投影させたものです。
誰が何と言おうと、自分はオタクだし、それを無理に誰かに言う必要なんて無い。ずっとずっと隠れててもいいんだよ、と。

10年経過して、明らかに世の中は変わりました。もう「昔のように」隠れる必要は無くなりました。
「オタク」という言葉を1ミリも出さないように神経を尖らせる必要はなくなりました。
MP3プレイヤーに入れていたアニメソング・エロゲソングを誰かに聞かれそうになって焦る必要は無くなりました。
深夜に、親に見つからないようにアニメを録画して視聴する必要もなくなりました。

もちろん、本当の自分をさらけ出すことはやはりまだできません。オタクはカジュアルに受け入れられるようになったものの、ディープに受け入れられるようになったわけではないというのが私の感覚です。まだまだ自制は必要ですし、余計な波風を立てないためにも、やはりまだまだ隠れる必要はあるのです。
時代が変われば、隠れる、が指す意味も変わってきます。

しかし間違いなく言えることは、この10年で、オタクに対する接され方はとても良くなりました。
すべての壁が取り払われる必要などは無いと思っていますが、しかし、とは言え、同年代の知り合いが、会社の先輩が後輩が……まるで息を吸うようにカジュアルにオタクの話題を出して会話をしている、そしてそこに加わることができる、そのことはとてもとても稀有なことだと私は思っています。

それでも私は、こんなにアニメやゲームが世の中に溢れている現状を嬉しく思う。私は、アニメやゲームがポピュラーになった社会にイエスと言いたい。本当にたくさんの人々がアニメやゲームを受け入れている社会にイエスと言いたい。三十年前には、こんな未来がやって来るとは想像もできなかった。長く生きていて良かった、と思う。

アニメやゲームがポピュラーになった社会に、イエスと言う - シロクマの屑籠

だからこそ、私もイエスと言いたいです。息をすることも憚られた時代を生きたことがある自分にとって、今は本当に生きやすい。
そしてこれからオタク文化に触れて行く若い人たちにとっても、そんなに悪くないことだと思う。そう、少なくとも「オタク」という言葉を出すことさえ遠慮された時代と比較すれば。

作品への感謝

この10年、とにかく感謝したいのは、たくさん出会った多くの作品たちです。
漫画、アニメ、ライトノベル、映画……様々のコンテンツに接して多くを学び多くを消費し、ときには笑いときには泣き、そしてときには生きる意味を見出すことができました。
何度も死にたくなりましたが、その時私を助けてくれたのは、作品の力でした。作品のキャラクターたちでした。

作品の中で頑張って生きているキャクターたちを見ていると、自然と「自分も頑張らなくては」と前向きになれました。
二次元と三次元を混同するなというような議論が度々見受けられますが、そういう次元ではないということをよく分かっていただきたい。
キャラクターは“居”るのであり、傍で見守ってくれるものであり、自分から語りかけるものであり、力をくれるものであり……つまりとても優しく接することができるものなのです。

自分の生死を一度でも二次元に左右されたことがありますか。キャラクターに出会い雷に打たれたような衝撃を覚えたことがありますか。
キャラクターの言動が許せず「ふざけんなよ!」と声に出したことがありますか。

とにかく私は、この10年、様々の作品に触れて、本当に心動かされ、成長することができました。なので、様々の作品にありがとうと言いたいです。

終わりに

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きっとこれからの10年もブログを書き続けると思いますので、よろしくお願いいたします。