最近プロセカのキーストーリーを読んでは、感想記事を上げています。
それはとても楽しいことで、今の自分の生きる意味の一つといっても過言ではないのですが、少しアウトプットに傾倒しすぎているとも感じています。
定期的にやってくる哲学的な問いなのですが、果たしてアウトプットしたいからインプットしているのか、インプットしたからアウトプットしたいのか、なのです。
まず1つに、インプットしたものをアウトプットしたいは事実なのです。
私はコンテンツに触れたときの初めての気持ちをとても大事にしたいと思っています。初見感想、それは唯一無二の貴重なもので、これを書き残しておくことは何ものにも代え難いと思っています。
一方、この思想が強くなりすぎると、どんどん先を読み進めたいのに、アウトプットしないと先に進めない病にかかってしまいます。
心の奥底では「早く続きを、一刻も早く、寝る間も惜しんで読みたい!」なのに「まずはちゃんと自分の気持ちを書き残してからだ」となります。
アウトプットにはそれなりの労力を使います、ましてやブログという媒体で他人に見られるという前提となればなおさらです。
すると、インプットしたいのにアウトプットしていないからインプットできないというよくわからない状態に時折陥ることがあります。
直近だと、プロセカがそうでした。ニーゴのシナリオを一刻も早く読み進めたいけれども、自分の気持ちはちゃんと書き残しておきたいジレンマが発生していました。
そんな折、ふと以下の記事が目に入りました。
omocoro.jp
その中で、以下の部分がとても印象に残りました(画像で引用させていただきます)。
特にでも感想書こうとすると、映画を観てる最中に頭の中で「ここをこう書こう」って考えちゃいません?
という部分。
まさに、こういう部分が、上で書いていたジレンマに近いものなんだろうなと感じていました。
本当はもっと気楽に創作物を楽しめばよいのに、いつしかアウトプットすることばかり一緒に考えてしまっているんですよね。
ブログのことを考えず、ただただ作品を楽しめていたのはいつが最後だろうと思うくらいには、常に何かしらアウトプットすることが横たわっているんですよね。
もう今は、思考の一部みたいなものになっているので苦痛というわけではないのですが、同時に、たまに、それが足かせとなって楽しめていないなと思う時があるんです。
プロセカも、早く読み進めたいのに読み進められないことがこの数ヶ月続いていました。
ただ、ここ最近、体調を崩して会社を休まざるを得なかったのですが、どうしても読みたくなって、プロセカのニーゴのキーストーリーを全部読んでしまいました。
ある意味では、自分に課した「初見感想」というルールを破る所業なわけなのですが……でもですね、本当に楽しくてですね。
プロセカって本当にストーリーがー素晴らしいし、ニーゴって本当におもしろいなってとにかく、とにかく強く強く心の奥底から感じて、ストレスが一気に開放されたような気持ちになりました。
これを持ってしてアウトプットのためにインプットすることが悪とは全く思いませんし、これからも初見の気持ちは大事にしていくことに異論も反論もないのですが、でもですね、時折、リミッターを外してとにかくインプットに勤しむとですね、何か清々しい気持ちになることも事実なんですよね。
そして、その後に、猛烈にアウトプットしないと! と意思が出てくるのもセットです。
あんまり結論はないのですが、今後もプロセカは適度に読み進めながら感想記事も書いていきます。
目下は、ニーゴの感想記事を上げまくります。