隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

一生アニメを見て幸せでいたい

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酔っ払っている勢いで書く記事としては、ゾンビランドサガではなく、こういう記事のほうがいい。
以下引用は、全て上記記事から。

若き愛好家の「一生アニメを観て幸せ」という言葉は、若さという前提に支えられていることを。熟慮するまでもなく「一生アニメを観て幸せ」と言えてしまう能天気さじたいが若さの証であり、私や私と同世代の愛好家、そして愛好家とは言えなくなってしまった連中が喪ってしまったものであることを。
 
 
 本気で「一生アニメを観て幸せ」で居続けるためには、幾つもの条件をクリアしていく必要がある。

卑怯な返しをするとすると、私は「俺は一生アニメを観ていれば幸せ」と思ったことはない。一生アニメを見ているだろうな、と思ったことはある。
一生アニメを楽しめるだろうな、とも思ったこともある。

それは多分、自分は萌えヲタだという自覚が昔からあったから。萌えヲタという言葉自体がもう死語みたいな気がするけれど、ようは二次元の可愛い女の子が好きということ。
アニメを始めとする、可愛い女の子を感じることができる媒体にずっと触れていたいと強く思っていました。つまり「俺は一生可愛い女の子に触れていれば幸せ」とずっと思っている。

・第一に、アニメを観る自分自身の心が変わっていくから、それに適応しなければならない。
(略)
だから、キャラクターへの感情移入に頼ったかたちでアニメを楽しんでいる人は、そうでないアングルから楽しむ方法を確立しない限り、思春期の終わりで「一生アニメを観て幸せ」の難易度が跳ね上がる。

((略)は筆者)
「アニメを観る自分自身の心が変わっていく」には激しく同意。しかし、アニメに限らず、年齢や立場によって見方が変わっていくのは世の常なので、ここはあまり絶望しなくてもいいと思う。
ライトノベルティーンエイジャーに向けて作られたものでも楽しめるように、プリキュアが主に女児向けに作られていても楽しめるように。

・第二にキャラクターや筋書きには流行があるから、変化を前提としなければならない。
(略)
ということは……長くアニメを観て幸せでいたければ、好みではないアニメもときにはチョイスして、眺めかたを知っておいたほうが良い、ということでもある。「一生アニメを観て幸せ」とのたまうような人なら、そうしているかもしれないが。

((略)は筆者)
今期の『とある魔術の禁書目録』を見て改めて思った、やっぱり流行り廃りはある。とあるの1期放送が10年前で、原作の初版発行が2004年らしい。
ある意味リバイバル的な3期ではあるものの、このアニメだけを見て懐古主義になっているのであれば確かに辛いかもしれない。でも、そうじゃない人も多いと思う。
少なくとも私は、最近のアニメもめっちゃ楽しんでる。良くも悪くも、昔から食わず嫌いせずほぼすべてのアニメを見て楽しもうという意思があったからだとは思う。

・第三に、アニメを観る自分自身は社会的な存在だから、辻褄をあわせなければならない。
(略)
もっと重要なのは、家庭とか、仕事とか、地域とか、介護とか、そういった問題と無縁ではいられない、ということだ。
(略)
しがらみが無いということは、ポジションが無いということでもある。その結果、収入やソーシャルキャピタルが脆弱になって、趣味を楽しむ土台が脅かされるようでは元も子もない。一生アニメを観て幸せに過ごすなら、なんらか、堅牢なライフスタイルをつくっておく必要がある。

((略)は筆者)
一段落の中に矛盾が孕む。辛い。ここは一番辛いと感じているところである。というかここが全てじゃね? って思うくらい辛い。辛すぎる。
大学生のころは、アニメだけに限らずオタク趣味に対して全振りできた。今は大体、仕事に全振りしている。
仕事でメンタル壊して会社を休んだときにお金がほとんどなくなったときは久々に「あ、これは生きなあかん」って思った。ほんと、お金がなくなると、働かねばっていう気持ちが強く出てくるから不思議、その仕事で体壊したくせに。

・第四に、アニメを観る自分自身はフィジカルな存在だから、健康を守らなければならない。
(略)
二十代の頃は歯牙にもかけていなかった健康問題が、じわじわ迫ってきて趣味生活を圧迫する。メンタルもまた肉体に宿るものだから、フィジカルをないがしろにしているとメンタルの側から健康が脅かされるおそれもある。健康に関心を持っていかれてアニメへの関心が減ってしまうこともあるし、健康に時間やお金を費やさざるを得ない局面も増えてくる。こんなことは思春期の頃は考えなくても良かったのだが。

((略)は筆者)
フィジカルは、1年前くらいから筋トレを始めたので悪くはない。が、メンタルはやはり辛い。心を壊して会社を休むことになる直前は、アニメとかそれどころじゃなかった。
個人的にはここは比較的「なんとかなる」エリアだと思っているけれども、突然怪我したり病気したりっていうことはあるので、あくまで「今は」だけども。健康でいたい。


君は、朽ちていった屍を乗り越えられるか?
(略)
私はインターネットの内外で二十年以上、アニメ愛好家の生きざまを見つめ続けてきたけれども、たくさんのアニメ愛好家が朽ち果てていった。

昔は毎日ブログを更新していたような人も、今ウェブサイトにアクセスしてみると更新が数年前に完全に止まっていたり、ブログ自体消滅していたりする。
この前RSSを整理していたが、墓場フォルダ的なところに分類しないといけなかったのが辛かった。

しかしそれでもアニメは面白く、自分だけが楽しむのではなく、誰かにこの面白さを伝えたいという気持ちがいまだに残っている。
だからこんなブログも10年以上続けられる。


そりゃ人間だから、変化しないことなんてないと私は思っているので、変化したっていいと思う。
個人的には、社会人になったことがアニメとの距離を変える大きなきっかけとなったので、これから社会人になろうとしていたり、いま社会人1年目2年目の人に言いたいことがある。
今アニメが好きなのであれば、その気持さえ忘れずにいてくれたらいいと思う。気持ちさえ残っていれば、いつだってアニメは見れるし、楽しめる。

私は、社会人になって、アニメから少しでも離れることになったら、もう一生戻ってこれないのではないか、という恐怖感を強く持っていました。
だから、絶対に離れてやらないという強い意志を持って社会人生活に臨みました。

しかし、仕事内容にもよるだろうしどのくらい仕事に対して情熱を傾けるかにもよるだろうけれども、やっぱりしんどくなってきた。
しんどくなって、アニメから意識的にも無意識的にも離れざるを得なかったような時期が事実あった。

しかし今、こうやって生きているし、アニメを見れているし、ゾンビランドサガのおかげで毎週生かしてもらっているし(ゾンビはもう死んでますけど)、なんならこの5年間ぐらいで一番ブログを書いている。
冒頭に紹介した記事を読んで、大きく3つの反応があるだろうと思う。1つは興味がない人、1つは「俺もやっぱりそうなってしまったよな」と思う人、そして1つは「それでも突き進んでいくぜ」と思った人。どれがいいとかはないけれども、自分はなんとか突き進んでいきたい。自分が死んでも代わりはいるかも知れないけれど、自分が死んだらもう自分が楽しめなくなってしまいますからね。


死んでも夢を叶えたい いいえ 死んでも夢は叶えられる
それは絶望 それとも希望 過酷な運命乗り越えて
脈がなくても突き進む それが私達のサガだから