以前、こんな記事を書きました。
この時はどちらのアニメも4話までしか見ていなかったせいか、「ネタエログロ」という表現が全てだと思っていました。しかし、そうではありませんでした。
特に、変ゼミ。回を追うごとに変態性も上がって行きましたが、それ以上に人情を強く感じることになりました。人情とはつまり人間の心の動きであり、特に他人への思いやりです。
特に9話ではキャラクターの心の素晴らしさを強く感じたので、是非紹介したいと思います。
なお、現在ニコニコ動画で公開されている9話『主観的自己観察の結果と自己開示に関する考察』を元にした感想を書くので、ネタばれにはご注意ください。未視聴の方は是非、本記事を読む前にご覧になっていただければと思います。
変ゼミ 第9話『主観的自己観察の結果と自己開示に関する考察』 ‐ ニコニコ動画(原宿)
(RSS購読などで、続きを読む表記が機能しない時の緩衝材)
変態的で、でもかっこ良くて、でも変態的で
9話は、市河とあんなの絡みでした。
話はこうです。「地元最強ヤンキーの兄のせいで未経験な元ヤンあんな」は、あんな自身が創りだしたもう一人の自分の設定であり9話ではその設定を市河がハードボイルド、いや人情的に暴くというお話。この9話をクライマックスにするためなのか、市河の登場回数は少し前から多かったように思います。
この9話、あんなが自覚的二重人格という特殊性を持っていたことが分かる、「あぁ、騙された〜」となるお話ではあるのですが、やはり特筆すべきは市河のかっこよさです。
変ゼミに出てくる変態さんたちは良くも悪くも自分の信念、ISM(イズム)を持っているのですが、市河さんの「かっこよさ」は頭ひとつ抜けています。
- 素晴らしき洞察力で、ずばずば斬り込む。
- 他人のために体を張れる。
- でもふっと、自己嫌悪する(素直になれない、ふてくされる)。
上2つと、下1つの落差、これがかっこよさであり憎めなさであり、市河のキャラクターを形作っているものなのではないか? と私は思うのです。
9話で言えば、Bパート終了の最後の最後までずっと気丈に振舞っていた市河が最後の最後でふっと見せる弱さ、これにもうやられました…。
ゼミという空間も後押しするのか、自分のISMを貫かなければならないというプレッシャーもあるのでしょう、「あんなが好き」という気持ちを素直に表すことができないのです。「本当にあんなを暴いていいのか?」と心の奥底では思いながらもそれを表に出さないように振舞うのです。
「俺は変ゼミの為にあんなを気にしているのか、それとも好きだから気にしているのか?」 この2つの間で揺れる市河さんがもう、かっこよくて可愛くて。
報われない男No.1でしょう。だけど、だけどそこがいい!
いやほんと、9話のカタルシス感は半端ないですよ、もう。特にですね、以下の画像のシーン、何度見ても何度見ても素晴らしい。(アニメチャンネルより引用)
このシーンのために9話があるといっても過言ではないくらい素晴らしい。
まとめ
市河△。あんなの可愛さも目立ちましたが、それ以上に市河さんの考え方や行動力、そして心に惚れました。すげーや、市河さん。
実はこのお話、一度見ただけではよく理解ができませんでした。だけど二度三度と見ていくと、いかに市河の洞察力が優れておりそして行動力があるかが理解できます。そしてそれが理解できると、最後の最後の上の画像のシーンにおいての感動が凄いです。
15分でここまで盛り上げられるストーリー作りがすんばらしい。