隠れてていいよ

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まふゆに必要な、愛と温もりと甘えと助け――キーストーリー「灯のミラージュ」初見感想

なんか、震えました。

いつもの悲痛な、叫んでるみたいな言葉もあるけど――、
その底に、誰かを想うような、あたたかい感じがある気がする


なんだろう、ここ最近一気にニーゴのストーリーを読み進めながら、奏がどんな曲を作っているのかそしてその曲を聞いたニーゴのみんながどんな想いを持っているんだろうとずっと考えていました。

これまでの記事でも幾度となく私の気持ちは文章に残してきたのですが、今回、奏の上記の台詞、そしてそこに至るまでの流れ、またそこからの未来のことの想像……それらを想うと胸がぎゅっとなって、得も言われぬ幸せというか、いい意味で悶えてしまいました。

想っていたことがそのまま言葉にされたような、それが奏の口から語られたことが本当に嬉しかったというか。
完全に自己満足の世界ですが、いろいろと考えてきた人に対するご褒美……というのは言葉の選び方が悪いのかもしれないのですが、なんだろう、そうなんだよねそうだよね奏! って思わずガッツポーズをしてしまうようなそんな気分なんです。



愛、なんでしょう。温もり、なんでしょう。
まふゆ自身もまだ言葉にできないといっているけれども、でもそれってやっぱり愛でしょう。


まふゆはいつから演じはじめたのだろうか、そのルーツを知りたいとずっと想っていました。
そのルーツを紐解く一つの要素として、今回始めてまふゆの幼少期が語られたように思います。

ただただ母親から愛され愛情を熱心に受けることができた時代もあったのだとわかり、ほっとしました。
一方で、親の期待に答える優等生を演じるようになっていってしまい、心がわからなくなってしまったまふゆがいるのも事実なわけで苦しくなってしまいました。

思い出の中にあるりんごが、美味しくないどころか味を感じない状態にあるのは異常であり悲しいことではあるのですが、同時に、奏がすりおろしてくれたりんごを食べたことで大事なことを思い出せて心の底からよかったと思いました。



まふゆが体調を崩して倒れてしまったことはショッキングな出来事でしたが、奏が偶然居合わせたことは不幸中の幸いだったと思います。
まふゆには、甘えられる相手が必要だと、愛情を熱心に受けられる環境が必要だと感じました。

心の不調が体の不調にもろに出ていて、ストレスという一言では片付けられない程に徐々に内面から蝕まれているまふゆは、今回奏が居合わせなければそのままもっとひどいことになっていたかもしれません。

……ひとりに、……しないで……

あまりに悲痛な、この叫びは見ていて胸が張り裂けそうになりました。
本当は、エモいというような言葉を使って表現したいんです、だけどもそれ以上に、ただただ悲しいのです。

まだ小さかったころ、体調を崩したときに、母親にわがままをいって甘えていたときを思い出してしまう……。
普段は優等生を演じていて、周りからは何でもできる完璧人間だと思われていて、だけども裏では必死に努力をして体面を保ち親の期待には応え続け……そんな彼女が、体調を崩してりんごを食べた先に思い出した子どものころの経験が、今このとき、「ひとりにしないで」という甘えそして助けの言葉として出てくる……この流れがあまりにも悲しいのです。


多分遅かれ早かれ、まふゆは両親のもとで生きていくのが難しくなると思います。今回の体の不調はその伏線だと思います。
ただの体調不良であればごまかしも聞くのかもしれませんが、それが日常的となり、いつか両親に対しても取り繕えなくなることが発生するのではと思うのです。

キーストーリー1話で同級生に対して冗談がいえなくなったまふゆがいましたが、そうやって演技と現実の区別がだんだんとつかなくなり、破綻する未来が見えます。

その時は、ニーゴのメンバーそして奏が手を差し伸べてほしいと思う。


精神的に本当に辛いときは、戦うことすらできなくなる、抗うことすらできなくなるんです。
その時は、ドクターストップを出さないといけないんです。無理やり止めてもらわないといけないのです。

だから、願わくばまふゆには、一度休んでほしいと思います。

親の期待、クラスメートの期待、部活動からの期待、受験の期待……何もかもの期待を背負っているまふゆが潰れることは必然です。
頼むから取り返しのつかなくなる前に、休んでほしい。もう十分、頑張っていると思うから。

終わりに

他にも書きたいことはいっぱいあるのですが、まずは最初のこの感情を言葉にしておかないと、と思い筆を執りました。