隠れてていいよ

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『アクエリオンEVOL』 違和感なく性的であるということは、とてもとても大事なことなんだよ

第8話「さらけだせ」まで、視聴を終えました。「くっはひゃっひゃっはっは」という気持ち悪い笑い声が出るぐらいに面白いです。実際に出ています。


本作品は非常にエロいです。登場する女の子のプロポーションが良い、という表面的なエロさはもちろんなのですが、やはりシチュエーションのエロさは外せません。

アクエリオンEVOLは、この「エロいシチュエーション」を違和感なく描くのが本当に上手い。例えば、

  • 胸・太もも等を露出させる、強調する
  • 女の娘が顔を赤らめて恥ずかしがる

という「シチュエーション」がありますが、これはある意味では「パーツ」みたいなもので、一応こういった描写があれば私たちは「エロい」と感じることでしょう。
しかし単に「エロい」と感じることと、そのエロさが物語の中で違和感を持つかどうかは別の話です。違和感を持つというのは例えば、「今のエロシーンは無理矢理過ぎる、テコ入れすぎる」というように、冗談ではなく真剣にツッコミを入れてしまうようなイメージです。

そういう意味で、本作品はエロが、性的な部分が上手く溶け込んでいます。「いやいやいや、滅茶苦茶あざといじゃん!」というのはもちろん分かります、だけどその「滅茶苦茶あざといじゃん」という部分は「アクエリオンだから」という、作品から乖離したものではなく、むしろそのものなんですよ。
ストーリーが一見ハチャメチャであることと、無理やりねじ込んだエロいものは区別する必要があります。

妄想を取り込む

例えば8話では、露出すればするほど強くなる、という展開があったのですが、このシチュエーションはある種の「妄想」パーツなわけなんですよ。
普通は服を脱ぐと恥ずかしいですから、服は脱ぎたくないわけです。しかし何らかに強いられて脱がざるを得ない状況になって、「恥ずかしい……でも脱がなきゃ!」となる、こういう妄想です。


こういうふうにパーツだけ取り出すと、非常にありふれたシチュエーションなわけです。単にこういうシチュエーションを持ってきただけでは、そこに超絶なエロスは生まれにくいわけです。
ですが、アクエリオンEVOLでは、そのパーツを使った展開が非常にエロかったわけなんです。


感情的に申しますと、やはり上手いんですよ。単に「パーツ」だけ持って来ましたよ、という感情を視聴者に抱かせることなく、エロスに没頭させることができているということなんですよ。これは脚本が凄いのだと思います。

「エロ」だけでなく「感動」も同様

ここからはアクエリオンEVOLから少し離れます。
先ほどは「エロい」シチュエーションについて考えましたが、これは「感動」するシチュエーションにも言えることです。
例えば、

  • 家族・親友・想い人が死ぬ、ケガをする、苦しい家庭環境に置かれる

という「シチュエーション」がありますが、先程と同様にこれはパーツみたいなもので、繰り返しになりますが、一応こういった描写があれば私たちは「感動」するでしょう。しかし単に「感動」することと、その感動が物語の中で違和感を持つかどうかは別の話です。


エロにしても感動にしても、視聴者の目線は結構シビアだと私は思っています。

  • とりあえずおっぱいを強調すればいいんだろ
  • とりあえず近しい人を事故で亡くせばいいんだろ
  • とりあえず◯◯をやっとけばストーリーが盛り上がるだろう


作品に没頭している人の思考を、こういった負の部分に向かわせることなく描いている作品・ストーリーは、とてもとても素晴らしいと思います。

終わりに

というわけでちょっと話が発散しましたが、とりあえずアクエリオンEVOLの性的な部分は非常に重要で素敵で大事だということが言いたかったわけです。
性的であるということは、とてもとても大事なことなんですよ。