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アニメ『境界線上のホライゾンII』 総括 - 最上級のワクワク感

境界線上のホライゾン』2期が終わりました。1期が放送されたのが2011年の10月から12月、そして2期が放送されたのが2012年7月から9月。
1期放送時、私は最終話1話前まで原作を読んでいませんでした。そんな「原作を読んでいなかった」私でもホライゾンを楽しむことができました。
なぜでしょうか?


それはもう一言で表すならば「ワクワク」したからです。細部を理解できなくても作品として楽しむことができたからです。なぜでしょうか?
それは、目的が分かりやすいからです。目的とは何でしょうか。それは敢えて端的に表せば「女の子のために行動する」ということに他ならない。大きい括りで言うならば、その女の子はホライゾンであるし、2期という縛りを入れるならばそれは傷有り、すなわちメアリということになる。


「よく分からん、だけど面白い、見てしまう」という感情が許されてしまうのは、何となく「こういうことがしたいだからだ」という目的が見えているからだと思う。ただ適当に、数えきれないほどのキャラクター暴れまわっているだけなら「意味わからん」で終わってしまう。だけどそこで終わらせないのが『境界線上のホライゾン』という作品なのです。


もちろん目的が見えているだけではない。私はこれに「規模の大きさ」という要素を付け加えたい。「規模」とは戦闘の規模ということでもあるし、「国々の争い」という意味での規模でもある。
彼彼女らが戦っている理由というのは、多かれ少なかれ国のためであることが多い。もちろん、特定の人を愛するが故に戦っている人もいるが、それは多くは国のためにという部分にも関連している。だから、個人対個人の戦闘シーンがあった時に「なんかこいつら戦ってやがるぜ」という思考で止まらずに「こいつらは◯◯のために戦っているんだなぁ」という目的が見える(もちろん更にミクロの視点に立てば誰々のために、ということになる)。

そして戦闘の規模はもう言うでもないでしょう。いわゆる戦艦戦は、なぜああもワクワクさせてくれるんでしょうか。これこそまさに「見ているだけで楽しい」ということなのではないか、見ているだけで楽しい描写になっていることの何と素晴らしいことか。このへん言語化できないのですが、大規模戦闘の描き方としては近年稀に見る上手さだと私は思います。

誰かのために

先程もちらっと触れましたが、誰かのために一生懸命になること、というのは見ていて気持ちが良いのですよね。
「たとえ世界を敵に回すことになっても、その二人以外が不幸せになったとしても、相手のことを想って行動をしたのなら、私はそれを否定することができない」
こういうことを綺麗事だと言う人もいますが私はそうは思わない。何よりも優先されるものは必ずある。
本作品ではキャラクターが多いこともあり、こういった個々人の想いが凄く見えます。皆それぞれが、自分の大切なもののために動いているということがよく分かるのです。こういった部分も、『境界線上のホライゾン』を見ていて飽きないどころか感情移入させられる理由だと思います。

終わりに

2期は原作2巻までアニメ化しました。現在、原作は5巻(上)まで刊行されています。私は2巻までは読了していますが、本作品がこれからもアニメ化していくだろうことを考えても、早々に5巻まで読み進めたいなと思っています。
恐ろしいことに3巻4巻はそれぞれ<上中下>の3巻構成になっており、すなわち700ページ超なボリュームを6巻ほど読み進める必要があるのです。楽しみであるとはいえ、なかなかボリューミーです。

アニメを見て楽しめた人は、原作を読んでも楽しめるだろうと思います。なぜなら、アニメでは原作の細かな設定を描写しきれないからです(厳密には、描写しているかもしれないが、映像として見るので理解が追いつかない)。原作にアニメと、いわゆるメディアミックス的な楽しみ方をすると、『境界線上のホライゾン』という作品が一層好きになること請け合いです。


2期も、素晴らしい内容でした。