隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

オタクがメインストリームになる日は近いのか?

このまとめは、架神恭介さんという作家(で良いのかな?)の方が、自身の小説が中高生に受けるかどうかのマーケティング調査をされる、という内容になっています(超意訳)。今の中高生のリアルを、多少ながら垣間見ることができます。
架神恭介さんという方、どういう人かなと調べていると、都条例施行後の影響についての以下の記事が見つかり、あぁ、この人だったのかと思い出しました。

さて、中高生のリアルのまとめの中で気になった呟きを以下に。

これを見て感じたのは、やはりオタク文化というのは、より一般化してきているのだなぁ、ということです。一般化はライト化とも言えるでしょうか。

大学生のリアル

私は大学生なので中高生とは少し違うかもしれませんが、確かにここ数年、しゃべりの話題としてアニメや漫画・声優さんが上がることが多いという印象を受けます。感覚的なものなので、一般的にそうだとは言えません。ですが、明らかに変化していることは肌で感じ取れます。

AKBで盛り上がるように声優さんの話題で盛り上がるイメージでしょうか。ただAKBと違うところが一つあって、声優さんの話題は深く掘り下げられない、ということです。ここから何が読み取れるでしょうか。

盛り上がりのツール的要素

ネットインフラの爆発的な普及、パソコンの低価格化、高機能携帯の普及等々により、一昔前(といってもここ数年でしょうか)と比較して、ネットに簡単に触れる機会が増えたと私は感じます。するとこれまで手に入りにくかった情報を、いとも簡単に手に入れることができるようになります。

簡単に手に入れられるようになると同時に、膨大な情報をうまく提供する人が増えてきました。各種2chのまとめブログはまさにこれで、それらブログを見ておけば、現在ネットで盛り上がっている情報はすべて手に入る!ような錯覚に陥ってしまうほどです。
またYouTubeニコニコ動画に代表される動画共有サイト。特に後者、ニコニコ動画の影響力はすごい、と私は感じています。アニメ・漫画に限らずですが、「楽しめる話題」を供給してくれるんですよ。

圧倒的な萌えインフラが整備されており、オタク話題を語る際の土台が出来上がっているんです。例えば、「化物語は面白いよね(キリッ」が通じる土台ができている、ということなんです。


圧倒的な情報量と手に入りやすさ、加工された情報。これらは全てツール的に使われていると思います。例えば、「昨日のテレビ見た?」という話題振りは、まさに盛り上がりのツールとしてテレビが使われています。それらが今は、「ネットのあの情報知ってる?」に、少しずつですがシフトしているのではないかと、私は思うんです。もちろんテレビの話題が無くなることはないと思います。

以前、堀江貴文さんが以下のようなつぶやきをされていました。

まさに、「オタクがメインストリームになる日は近いのではないか」、と私も思います。
では、こうしたオタク文化の一般化(ライト化)は良いことばかりでしょうか?

当たり障りの無い受け答え、精神的苦痛

オタク的なことを、話題作り・ツールとして使用する人が増えると、普段の会話の中では深い話題を出しにくくなる、という弊害があるのではないかと私は思います。もちろん、オタク的な語らいというのはオタク同士でするのが普通ですし、興味がない人には押し付けてはならないという前提は昔からあったことは分かっています。ですが、より強固に一般化ネットワークが敷かれたことで、そこへ入り込むのに以前より力を要するようになったのではないかと思うのです。

さらに、「中途半端に話題にでるから余計モヤモヤする」、この精神的苦痛が発生する割合が増えているのではないかと思います。オタク同士で語るから放っておいてよ、と思っていた自分の領域に、ずかずかと踏み込まれるイメージです。「うんうん、そうだよねぇ」と当たり障りの無いコメントを残す…恐ろしい。まぁ、私のことでもあるんですが。

つまり、(私を含め)よりディープな内容を語りたい人たちにとっては、息苦しい世の中になってきた気がする、ということです。

ブログやtwitter2ch

少しだけ余談。こうやってリアルに疲れてきた時に、ブログやtwitter2chというツールが存在するというのは、良いことだと思います。ネットの世界で、内々で盛り上がって楽しいの? って思う方もいるかも知れませんが、オタクってそういうものなのかな、とも思います。
より深い自分を出しても、引かれることはない。むしろ自分のアイデンティティが尊重されることもあるという、そんなインフラが整っているので、心地良いのではないかと思います。現実逃避じゃないですよ、えぇ。

最後に

色々と書きましたが、一般論ではなく私の個人的体験からの意見だということはお忘れないようにお願いします。私のような隠れオタクもいれば、オープンな濃い人も沢山おられます。人それぞれ、感じ方が違います。

最後に、「みんなちがってみんないい」というフレーズで有名な、金子みすゞさんという詩人の有名な詩「私と小鳥と鈴と」をご紹介して終わりたい…と思ったのですが、調べてみると著作権に関してややこしいことが分かりました。書きだすと長くなるので要点を述べると、作者本人がすでにお亡くなりになられており、50年経過しているので法律的には著作権はないのですが、金子みすゞ著作保存会なる団体が著作権を管理し主張しているそうです。詳しい経緯については、「金子みすゞの著作権について(高遠信次の公式サイト)」が詳しいので、こちらをどうぞ。

私は、金子みすゞさんという詩人に特別な思い入れがある、というわけではないのですが、こうやってただブログを書いていて、引用したいと思ったときに、素直に引用しにくいという土壌が存在したのが残念でした。
間違えないで欲しいのは、著作権法自体を批判しているのではなく、死後50年経過して法律的には著作権が無いのにも関わらず、別団体が著作権を主張しているという点に疑問を感じている、ということです。著作権について少し勉強しようと思いました。