隠れてていいよ

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魔法少女に必要悪は必ずしも必要ではない――『おジャ魔女どれみ』の再放送を楽しみながら――

KBS京都では現在、無印おジャ魔女どれみが毎朝7:30から放送されています。まもなく2クールが終わろうかとしているところです。
http://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/anime/doremi/



おジャ魔女どれみといえば特定の世代であれば間違いなく見ていたであろうシリーズであり、御多分にもれず私も見ていました。ただ、実は思い入れ度はそれほど高くなく同じ魔女っ子ものである姫ちゃんのリボンのほうが記憶が鮮明です。
ということころで、再放送ながらも殆ど初見みたいな感じで見ていたわけなんですがこれがもう本当に面白い。声を大にして言いたい、めっちゃ面白い。

私は小さいころ、いわゆる正ヒロインは好きになれませんでした。おジャ魔女どれみならどれみちゃん、セーラームーンならうさぎちゃんというように。正ヒロインはどこかワガママで感情的で、「ありえないわww」と子供ながらに思っていたものでした。しかし今そのヒロインたちを見ると、私はとても心惹かれるのです。おジャ魔女どれみなら、おんぷちゃんが好きだったしセーラームーンなら亜美ちゃん一択だった私が、どれみちゃんを可愛いと思っているのです、うさぎちゃんを可愛いと思っているのです(ちなみにテレビ大阪ではセーラームーン無印が現在再放送されています)。ちなみにセーラームーンのレイちゃんの可愛さを再発見してしまって、可愛いなぁ可愛いなぁと思いながら見ています。


ところでおジャ魔女どれみのストーリーはやはり異質で、どこが異質だというと明確な敵が描かれないということです。なぜ急に異質だと思ったかといえば、それは昨今の魔法少女モノはほぼ間違いなく敵が存在するからで、再放送を見ながら改めてそれを感じたからです。
おジャ魔女どれみのストーリーは、魔女見習いのどれみ達が魔女になるための過程を描いたものであり、描かれるのはその「過程」であり、生活であり毎日であるのです。どれみ達主人公ズが中心にいることはもちろんなのですが、例えばクラスメイトが引き起こすトラブルや深刻な問題が主題となるような、一見サイドストーリーに見える話さえたくさんあるという特徴があります。それらはいじめ問題や複雑な家庭環境の問題など、子供向けとしては扱いづらく難しい問題を描いていることがあります。

ここからは少し感情的に物を書くのですが、昨今、敵が登場する魔法少女モノを多く見過ぎたせいで、「誰かを、友達やそれこそ一般の人を助けるためだけに、魔法を純粋に使う」シーンを見ると、違和感を覚えると同時に「なんだ、明確な敵がいなくても面白いじゃないか」と強く思ってしまいました。

それはストーリーの作り方なのかもしれません。型にハマった勧善懲悪ものは面白いです、これは間違いありません。プリキュアはもちろんのこと古今東西のヒーローもの始め、私も沢山楽しんできましたし、これからも楽しみます。でも何だろう、どれみのような、人の弱い心・強い心・優しい心を丁寧に描く作品がもっともっとあっても良いと思いました。

純粋で真面目で優しくて、でも時々ワガママで、そんなどれみ達を見ていると私はひどく強く心を打たれます。なんでこんな難しい題材を子供向けで扱うんだろうと、何度も何度も思います、でも思いながら私はずっと感動をしてしまいます。


魔法は、日々起こる問題を助けてくれる道具という扱いです。魔法は万能だけど万能ではありません。すごいものだけど、上手く使えるかは分かりません。誰かを困らせてしまうこともあれば、命を助けられることも有ります。誰かの、ほんの小さな悲しみを助けてあげることができることもあります。
「魔法の力って何なの、肝心なときに役に立たないじゃない」という言葉にもあるように、どうも私達は魔法の力を万能の力のように思いがちですが、そうではないように思います。


どれみ達が、自分たちの周りに起こる身近な問題を、魔法を駆使して解決しようとするその姿勢にこそ私は心を打たれているようです。