昨日22日の金曜ロードショーでジブリの『魔女の宅急便』がやっていたので、久々に見ました。
魔女の宅急便は子どものころから飽きるほど見ているので、もはや血肉となっている作品ともいえるのですが、それでも年齢を重ねてあらためて見てみると感じ方が変わる部分も多く、名作というのはいつ見ても名作だと感じました。
直接的に描かれていないけれどもちゃんと見ていれば分かることが案外あったんだと気づくことが、今回は多かったです。
例えば、キキがオソノさんに居候させてもらえることとなり最初に部屋に入ったシーン。
昔は部屋の埃っぽさばかりに目が行っていたのですが、実はキキは布団と枕を持ってることに初めて気づいたかもしれません(もしくは気づいていたけど特に気にもとめていなかったか)。
オソノさんがそれをキキに渡すシーンは描かれていないわけですけども、行間を読むことで二人のやり取りがありありと想像できました。
またトンボが、空を飛ぶキキを見て「うわー」と声を上げて一目惚れしてしまう一連のシーンは、トンボが飛行クラブに所属していて飛ぶことに対して夢を持っているからだと今更ながら腑に落ちました。
そりゃそうだろ、と思いませんでしたか? でも本当に、子どものころ見ていたときはあまり深く意識をしていなかったと思うのです。
次の台詞を暗唱できるほど飽きるほど見ている作品でも、ほんの少し見方を変えられなかった自分が過去にはたくさんいたんだなと。
それほど、人間の考え方とか物の見方はなかなか変わらないし、また一方で経験や年齢によって変わっていくものなんだなと、なんだかとてもしんみりしてしまいました。
感じ方の違い? 環境の違い?
物語中盤でキキの魔法の力が弱くなり悩んでいたところに、ウルスラという少女が手を差し伸べてくれて一緒に悩んでくれるシーンがあります。
昨日あらためて見たときに、この一連のシーンに得も言われぬ感慨を覚えました。
悩んでしんどくなったときに、普段の場所から離れて、何気ない会話を挟みつつもリフレッシュして、でもちゃんといろいろ考えてみたりする……。
ごちゃごちゃ書いていますが、息抜きって大事だよねって、息抜きするために普段の環境とは別のところに行くことって大事だよねって……ただただ感じてしまいました。
人生それなりに長く生きてきて、辛い時期もあって、心の病気で休んだ時期もあって、休むということに対して自分なりにたくさんの経験と考えを持ってきたなかで、あらためてこのシーンに、心に強い衝撃を受けました。
ペガサス絵のモデルと情報へのアクセス
今夜放送の「魔女の宅急便」。劇中に登場する絵画は、八戸市立湊中学校養護学級の共同制作版画《星空をペガサスと牛が飛んでいく》がモデルです。
— 八戸市美術館 (@hachinohe_art_m) 2024年3月22日
この作品を含めた「虹の上をとぶ船総集編I・II」の8作品のほか、当館所蔵の教育版画の展覧会を今秋に開催します。https://t.co/sYKmWuK2TV pic.twitter.com/ThzkDKg9al
ウルスラが書く劇中のあのペガサスの絵にモデルが合ったことを初めて知りました。
事実そのものに驚いたのもありましたが、同時にこのネット社会、SNS社会の急速な発展によってこういった情報に当たり前に即座にたどり着ける時代になったし、たどり着けてしまう時代になってしまったなと。
何かを見て感じたときに、即座に誰かの気持ちにアクセスできる環境は素晴らしいと思う一方で、自分の感情を他人の感情で簡単に上書きできてしまうので、一長一短だなと個人的には思っています。
なので私は、自分が触れたコンテンツに対してはまず自分の思ったことを言葉にして書き残すように心がけています。このブログがまさにそうです。
そうしないと、なんか自分の想いが薄っぺらくなってしまうようなそんな感じがするんですよね。
終わりに
最近、映画どころかアニメ1話も見れなくなってきている精神体力状況なのですが、なんとなしに見始めた魔女の宅急便を最後まで見て、あらためて映画って良いなと感じました。
できれば、今後もう少し見る機会を増やしていきたいなと。
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