隠れてていいよ

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雨は降らなかったけど『言の葉の庭』をもう一度見てきた

気象庁によると、関東甲信地方は5月29日頃に梅雨入りをしている。だからもう、毎日雨が降っていてもおかしくないわけだ。だけど雨が降らない。今日は雨だよ! って天気予報が言っていても、なぜか当日には振らなかったりすることが多い。それどころかめっちゃカンカン照り。
先週に『言の葉の庭』を見て強く強く感じたことがあった。これは多分私だけが感じていることじゃないし、制作側だって思っているはずだ。つまりは、「この作品は雨の日に見たい」ということだ。
だから、毎日仕事が忙しくて死にそうな中、土日に雨が降って欲しいと願い続けているのだけれど、降らない、降ってくれない。新宿バルト9で映画を見てから、新宿御苑に行って感傷に浸るということを実行したいのに、実行させてくれない。天気が憎い。
だけど、たとえ雨が降らなくても、『言の葉の庭』は、私を映画館に動かすには充分なパワーを与えてくれた。だから、今日、また見て来ました。

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先週見た時よりも、涙腺が緩んだ。
同時上映の「だれかのまなざし」。仕事終わりのあーちゃんが、電車の吊革に繋がってぼうっとするシーンの描写が、あまりにも自分に重ねるところがあって、1回目に見た時よりも感情移入してしまって、そして泣いた。これは吊革の手の話ではない。もちろんそこも非常に感情移入するのだが、それ以上に感情移入したのは、ナレーションの内容だ。ちょっとうろ覚えだけど、「批評じみた記事を確認する気力もなく」という部分。疲れている時って、何かをしようとする気力が失せるんですよね。何かをしようとは思うんだけど、だけど何かをしようとは思えない。特に、世の中の批評じみたネットの記事とかそんなんを読む気力に全くならない。泣きそうになるほど読みたくならない。私の場合、最近はパズドラを無意識にプレイしたりTumblrで淡々とリブログするか、もしくは本当に何も考えずにぼうっと佇むかをしている。だから、そういうことをまた思い出してしまって、2回目を見て、泣いてしまった。
「だれかのまなざし」という作品は、元々野村不動産の展開するマンション「プラウド」のコマーシャル用作品として制作されたもので、だから内容も、「場所」がモチーフとなっている。もっと言えば「居場所」だろうか。私は、本作品を見て、どうしても実家を思い出してしまう。今は一人暮らしをしているので、もちろん、あーちゃんのような生活をしている。時折家族から「元気にしてる?」というようなメールがあることがあるが、「まぁぼちぼちやってるよー」と返すのだ。本当はもう、死にたいくらい死にたいのに。
たまに実家に帰った時に、「忙しそうにしてるけど、体とか精神壊したら終わりやからな」って言われるけど、「大丈夫」って返してしまう。本当はもしかしたら大丈夫じゃないかもしれないのに。そんなことを思いながら、「だれかのまなざし」を見ていると、もう自然に涙が流れてくる。どうしようもない。もう、どうしたら良いのかわからない。

たった7分ぐらいの時間なのに、ホントに素晴らしい作品で、すごいと思う。言の葉の庭も素晴らしいんだけど、この「だれかのまなざし」も本当に素晴らしい。最初からクライマックス。どういうこった。どんなに高くてもいいから本作品を手に入れられるようにしてほしい。お願いします。そうじゃないと、目に焼き付けるまで映画館に通わなければならなくなってしまう。いや、手に入ったとしても映画館に通うだろうけれど。


本編、『言の葉の庭』も、涙腺が1回目よりも緩んだ。各種インタビューやパンフレットを読んでから見たのもあると思う。各種インタビューで新海誠さんが答えているように、本作品は「知ろう」という姿勢が強く見える。

――これまでの作品から変化された要素というと、他にどういった点があるとお考えでしょうか? 叙情的なモノローグや喪失感、夢を追いかける少年や社会に疲れた大人と、新海監督が得意とされるモチーフのいくつかは継承されている他方で、変わられた点というのは。

新海:自分の好きなものや得意なものはどうしても入ってきますし、そうした部分は観客の方々から望まれているところでもあると思うので変わらない部分としてあります。ただ振り返ってみてこれまでと大きく変わったなと思ったのは、特にタカオがそうですけど、「他人を知ろうとする話」になっているというところでした。
 僕の過去作品はどちらかと言えば「自分を知る話」だったと思うんですね。『秒速5センチメートル』はタカキが初恋の思い出に照らし出されていたことに気付く話でしたし、そのなかの「コスモナウト」というエピソードも、カナエがロケットの打ち上げを見ることで「男の子が私を見てなんていないんだ」という自分の置かれた状況に気付く話となっていました。だからモノローグも多かった。
 しかし今回の『言の葉の庭』では、タカオの関心のベクトルが逆向きで、他人のことを知りたいと思っている。ユキノと対話しようとする。そのため、いくつかの共通点を持ってはいますが、これまでの作品とは受け取られる印象が違ってくるのではないかと思います。

「ダイアローグへと歩み出すこと」――『言の葉の庭』新海誠監督インタビュー(中編) | 日本最大級を目指すアニメポータル「AniFav」

確かに、モノローグは少ない。印象に残っているモノローグといえば、「ビールとチョコレートって」というあの冒頭のやつで、後は本当に、二人の会話が続く。そしてその会話は、まさに知ろうという姿勢なのである。
そしてその知ろうという姿勢と対比的に描かれているのはもちろんユキノ。そしてそのギャップが、最後の、クライマックスシーンを引き立たせるものとなっている。パンフレットの見開き絵にも採用されているように、あのマンションでのシーンは心を打つ。泣く。あれはもう仕方がないと思う。



新海誠さん、あなたの作品は本当に素晴らしい。学生の頃に秒速5センチメートルを見て、色々と感じて、色々と考えさせられた。今、社会人として秒速5センチメートルを見なおしたり、そして言の葉の庭を見て、私は生きる勇気をもらっている。私が今かろうじて生きようと思える理由の一つに、間違いなくあなたの作品を見れるからというものがある。社会人になって、見方が変わったことがたくさんある。

――監督の作品には、駅のホームや電車の中から見た景色など、電車にまつわるシーンがたびたび登場する印象があるのですが、電車がお好きなのでしょうか?

新海:狙ってと言うよりも、生活に密着した移動手段が電車で、東京に住んでいるほとんどの人にとってそうだと思うんですね。当たり前の日常を描こうとすると、必然的に入って来るという感じなんですね。背景美術も「できるだけきれいに描こうよ」という気持ちが皆の中にありますので、ディティールを追及して行くと「こんなに細かく電車を描いてるんだから電車好きなんでしょ?」っていうふうに思われがちということでしょうか。

アニメーション映画『言の葉の庭』新海誠監督インタビュー - ニュース - アニメイトTV

本当にそうだ。元々京都にずっと住んでいた私にとって、電車の描写は単に「綺麗だなぁ」というものだった。でも今、社会人になって東京に来て、毎日満員電車に乗って通勤していて、そしてそれから電車の描写を見るともう、なんというか、やりきれないというか、辛いというか、なんとも言えない気持ちになる。



アニメだから、といって敬遠している人にも見てほしい。むしろ、そういう人にもアプローチするような作りになっている。

――バックグラウンドとしては、タカオとユキノの二人の関係がクローズアップされるだけでなく、家族であったり友人であったり学校の人であったりと、二人の周囲の人間関係にまで広がりと厚みを持った世界が描かれていたように見えました。この点は、これまでの新海監督の作品とは異なった手触りを残すものだったように思います。

新海:そうですね。僕のアニメーションは一時期、揶揄なんかも含めて「セカイ系」と言われていた時期があったんです。セカイ系というのは、自分の半径数メートルの人間関係と世界の命運が、その中間である社会を抜きに繋がってしまうような作品のことです。例えば僕の『雲のむこう、約束の場所』という作品では、ヒロインであるサユリを救うのか、それとも世界を救うのかという選択が描かれるのですが、その間にあるはずの社会が描かれていない=セカイ系だよね、みたいな言われ方をされることがあったんですね。とはいえ、僕はある程度意図的にセカイ系的な構図を採用してもいました。というのは、思春期とはそういうものだと思うからです。自分の隣の人や好きな人のことがほとんど世界の全てで、今どういう内閣がどういう政治を行なっているかみたいなことは興味の対象外、次には世界平和とか宇宙の成り立ちといった大きな問題へと関心が向かう。そういう風に、すごく近いものとすごく遠いものの見方をするのが思春期で、その間にある中景の見方というのは、成長していくいしたがって徐々に覚えていくものだと思うんですよ。だから思春期の人へ届けたいならば、そもそもセカイ系でいいんだという気持ちがあったんです。
 ただこの数年でだんだんと僕の作品を求めてくださる方の年齢の幅も広がり、また海外の観客も増えてきて、これまでの形式のままではどうしても伝わりにくい部分が出てきてしまった。アニメーションファンの間だけであれば、もしかしたら暗黙の了解として成り立つ世界なのかもしれないけれども、アニメーションに興味のない人がふと目にしたときや、日本とは違う社会状況にいる外国の方が目にしたときに、社会まできちんと描いておかなければ物語そのものを十分に楽しんでもらいにくい……そんな状況がだんだんと増えてきたような気がしたんです。それと共に僕も少しずつ、社会についても必要があればある程度描いていこうという気持ちになってきていて、結果『言の葉の庭』でもそうした描写の厚みが出ているのだと思います。


恋人の人が見てもいいと思うし、疲れた社会人が見てもいいと思う。また、高校生が見たっていいと思う。中学生だってそうだ。この作品は、色んな人が見ていろんな感じ方をできるようになっている。素晴らしい。なんて素晴らしい。

終わりに

上映時間は46分。同時上映+番宣とかを合わせても1時間ぐらい。料金は一律千円です。
絶対、あなたの何かしらの感情を動かしてくれるはずです。そして、社会人の皆さん、是非見に行ってみて下さい。救われるかもしれません。私は救われました。今後、多分毎週見に行くと思います。雨が降った土日は間違いなく見に行くと思います。あぁ、素晴らしきかな。BDももう買っちゃいました。今日も明日の仕事のことを考えながらもBD見て寝ようと思います。ああ、素晴らしきかな。