誰もが一度は思ったことがあるでしょう。馬鹿馬鹿しいと思う人もいれば、これは陰謀だ!と叫ぶ人もいるでしょう。
そう、DVDの販促のために、わざと作画を崩壊させているのではないか? という疑問ですね。
私は「わざとやっているとは信じたくない」というスタンス。実際やってようがやっていまいがどうでも良いのですが、きっと制作陣は命をかけて作品を作っているはずだ、と信じたいわけですね。証明する手段がないので、曖昧にしておくのが一番楽、というスタンスです。
馬鹿馬鹿しい派
馬鹿馬鹿しい派のスタンスを極端にすれば「人間の本性というのは生まれながらにして善である。制作者側が命をかけて作っている作品を悪く言うな!」でしょうか。ここまで行くとちょっと性善説に立ちすぎかなとは思います。ですが、その気持ちは良く分かります。
陰謀派
「例えば需要がありそうな水着回などをわざと作画崩壊させ、『修正されるに違いない』という期待を視聴者に抱かせ、そして買わせる。アニメは、究極的には商売なのである。売れないと生きて行けないのだから、『わざと』作画崩壊させることは日常的に行われているのだろう」。これもまた極端ですが、理解はできます。水着回の作画が崩れると勘ぐってしまいます。
ここで少し水着回について掘り下げてみましょう。
水着回は作画が崩れるという都市伝説
皆さんは「水着回は作画が崩れる」という都市伝説・ジンクスをご存知でしょうか? 「水着回以外はそれほど崩れてなかったのに、なぜか水着回だけは崩れる」を表した言葉ですね。誰が使い出した言葉なのかは分かりませんが、よく使われます。
では実際、作画が崩れることが多いのでしょうか? 今まで私が見てきたアニメの水着回から考えるに、「おお、水着回なのに崩れてない!」と思う程度には崩れることが多いように思えます。あくまで主観です。
水着回が毎度崩れるところを目撃すると、「これ、わざとやってるんじゃないの?」と言いたくなる気持ちはもの凄く分かる。えぇ、よく分かりますとも。
どうして都市伝説ができるほど、水着回は作画崩壊している(ように見える)のでしょうか?
技術的に水着回は崩れざるをえないのか?
単純な仮説を立てるとすると、「実は水着を作画するのは手間がかかる」でしょうか。水着ということは、肌が露出するということであり、骨格などを、より正確に描かなければならず、手間がかかるとか。
もしくは逆に「水着回は手を抜きやすい」説も考えられる。服を描くのは非常に手間だが、水着なら殆ど描く必要がなく楽であり、手を抜きやすく、結果的に作画が崩壊するとか。
もし技術的な理由があるよーっていうのをご存じの方がおられましたら、教えていただけると幸いです。
まとめ
わざとなのか偶然なのか、(基本的には)証明することが不可能であるはずなので、深く考えすぎないほうが良いでしょう。ただ、自分のスタンスをはっきりさせておくことは重要だと思います。どなたか、中の人が水着回について「こんな見解を述べていたぞ!」という情報をお持ちでしたら、是非教えてくださいませ。
追記
この記事を更新した直ぐ後に、@ohagi23 さんから、こんなリプライをもらいました。
@thun2 私の認識では「水着回は崩れる」という都市伝説が流れてから、少しづつ良くなってきた印象はあります。あと水着回ってシリーズ中盤に多いと思いますが、水着回に関係なく中盤って序盤や後半より作画に力を入れない傾向があるので、中盤の水着回がその煽りを受けるとも思います。
2011-04-04 21:52:45 via web to @thun2
@thun2 ええと、印象論で恐縮ですが1話>最終話>序盤>後半>中盤というような感じで力を入れる傾向があると思ってます。どの作品も最初は視聴者にインパクトを与える為に作画に力を入れるようです。
2011-04-04 21:57:52 via web to @thun2
なるほど。「水着回は中盤に持ってこられる事が多い点」と「水着回に関わらず、中盤は手を抜かれやすい感がある点」は抜け落ちていました。
少し話はそれますが、「1話だけアニメ」という言葉もありましたね。1話だけは気合いが入っていたけど、その後尻すぼみになっていくパターンのアニメに使われます。よく言われるのはフタコイオルタやコヨーテラグタイムショーなどでしょうか。ちなみに私は、どちらのアニメも尻すぼみになっていったとは思っていません。コヨーテラグタイムショーについては以前感想を書いたことがあるので、よろしければどうぞ。コヨーテ ラグタイムショー
ひとつ言えるのは、あまり言葉にこだわり過ぎないほうが良い、ということですね。「1話アニメ」と聞いたからきっとそうなんだろう、と安直に思うのは危ないですよ。